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二つの町の今の姿

地元の一市民が見た復興格差

初めての方は初めまして。今回は3月11日から8年が経過するという事で地元の現状について簡潔ながらお話させて頂ければと思い筆を取らせて頂きました。
今回は南三陸町と女川町、二つの街の現在の姿とこれまでの経緯について述べさせていただければと思います。

先ずは女川町の現在の姿をご覧ください。

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駅前は綺麗に整備され、街は日常を取り戻しつつあります。
そして、街のシンボルともなっている再建された女川駅がこちらになります。

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駅の中は売店と入浴施設もあり、列車の待ち時間や車の運転で来た方もくつろげる作りになっています。

(筆者も列車の待ち時間中、入浴施設を利用しました。)

また、自動券売機や窓口も営業しており、使いやすい駅になったなという印象を受けました。

そして、私の地元である南三陸町の現在の姿をご覧ください。


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かつての中心部は商店街を離れると未だに空き地が目立ちます。

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かつては多くの通学客や観光客を乗せていた気仙沼線の橋梁跡

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そして、かつての駅は代行バスの待合室となり、仮設の建物のまま、商店街の陰に隠れる形で建っています。
震災による津波で沿岸部は市街地が消失し、多くの方が犠牲になりました。
あれから8年が経ちますが、鉄道による復旧を果たした町と諦めた町とでは再建の格差が如実に見える形となってしまいました。では、何故、この様な結果となってしまったのでしょうか。

地元の問題点にについて情報を発信してくれている議員さんのTwitterです。
私の地元は交通インフラ(特に鉄道)の再建を無視し、その結果、他の町よりも大きく衰退する結果となってしまいました。
嘗て私の地元を走っていた路線は『気仙沼線』といい、仙台と気仙沼を結ぶ観光や通勤ルートともなっており、通学や仙台や気仙沼への商談に向かうビジネスマンや観光客でそれなりの乗客が利用していました。特に、仙台と気仙沼を乗り換えなしで結ぶ快速列車は3月11日を迎えるまでほとんど満席の状態だったように記憶しています。朝夕の普通列車が主に街の外から通う通学生の足となり、そして、快速列車が、ビジネスマンや観光客の足となっていたのです。それだけに、震災後は必ず復旧するのではと、地元も期待はしていました。ところが、町長が鉄路の復旧に当初から消極的であり、「費用面での負担は出来ない」と拒んだことで、事実上の廃線と至ったのです。

バス転換がもたらした影響

では、鉄道時代とバス転換後の利用客推移を下記に纏めました。

1日平均乗車人員推移
年度 鉄道 BRT
2000年(平成12年) 360  
2001年(平成13年) 340
2002年(平成14年) 333
2003年(平成15年) 352
2004年(平成16年) 381
2005年(平成17年) 358
2006年(平成18年) 330
2007年(平成19年) 295
2008年(平成20年) 289
2009年(平成21年) 285
2010年(平成22年) 269
2011年(平成23年) 営業休止
2012年(平成24年) 営業休止
2013年(平成25年)   91
2014年(平成26年) 74
2015年(平成27年) 77
2016年(平成28年) 81
2017年(平成29年) 62

この様に、鉄道時代は270人前後の利用客がいましたが、バス転換後は著しく減少し、1日当たり僅か62人の利用に留まっています。

そして、それと同時に南三陸町の人口も大幅に減少しました。

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2010年は17000人いた人口が、現在は12000人ほどに著しく減少してしまいました。
震災により町が壊滅し、多くの方が亡くなったのもありますが、街の再建が遅れ、内陸部の町に引っ越した方が5000人程いる形となります。
街の再建が遅れただけでなく、『陸の孤島』となり、通学や通勤に支障が出てしまった結果ともいえます。これは真剣に受け止めなければなりません。
BRT以外の交通手段は地元のコミュニティバスもありますが、本数が少なく、そして平日にしか運行されない事から利便性が悪く、その結果として、高齢者もハンドルを握らなければならない事態となってしまいました。昨今、三陸縦貫自動車道が開通しましたが、対面通行区間が多く、運転に不慣れなドライバーや高齢者、そして、世間を騒がせている悪質なドライバーも残念ながらいるのが実情です。一地元民としては通勤するのさえもある意味命がけとなってしまいました。


通学生に与えた影響


バス転換前は他の市町村から地元の高校に通学したり、南三陸町から他の市町村の高校に通学する生徒も多く、就学の選択肢もありました。しかし、バス転換されたことで、通学そのものが負担となり、また、一般道を走行中、渋滞に良く巻き込まれるという事もあり、定刻通りに着かないという問題もある事から、保護者の方に送迎をして貰っている生徒も多いそうです。そして、始発のバスでは学校の始業に間に合わないという話も以前聞きました。こうして不便な状況が当たり前となった末に、バス通学は敬遠されるようになってしまい、その結果、地元の高校の生徒数が著しく減少してしまいました。

このまま衰退を招いて良いのか

南三陸町はこのまま人口減少が続けば、2040年には消滅するとの分析結果もあります。今の町の体制が変わらない限り、これは避けられないでしょう。
では、これを解決するにはどうしたらいいのか。鍵はマイカー以外の移動手段の早期確保、つまり、公共交通機関の再整備が必要になるだろうと考えています。
しかしながら、鉄道で復旧というのは私個人も最早不可能であると考えています。町の再建に時間が掛かり、その結果人口が減り過ぎてしまいました。では、既存のBRTという代行バスで良いのかと言うと、利用した側からすると、これも中途半端過ぎると考えています。では、どうしたらいいのか。
答えはバスと鉄道の中間的な役割を持ち、都市間輸送にも使える交通機関の確立以外にないと考えています。そこで、以下の輸送システムについて取り上げてみました。

『ゴムタイヤトラム』


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ゴムタイヤトラムとは、ゴムタイヤで走行し、中央の一本の案内軌条に誘導され走行する中量輸送機関。いくつかの方式が主にフランスで開発・実用化されている。
基本的に架線からの電源供給を必要とし、3両程度連結して走行する。「トラム」は英語で路面電車を意味し、路面電車とトロリーバスの長所を併せ持つ。 案内軌条の代わりに道路上の塗装や磁気マーカに誘導され走行するものも開発されている。
(Wikipediaの記事から引用)


外国で採用され始めた路面電車とバスの両方の特性を持ち合わせた輸送機関です。海外ではフランスのナンシーやカーン、イタリアのヴェネチア、中国の上海で採用されています。

フランス・ナンシー市の採用例


中国・上海


イタリア・ヴェネチア

また、スマートレール電車というシステムも開発されている様です。


ガイドウェイバス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ガイドウェイバス(ドイツ・エッセンのEVAGで運用されているメルセデス・ベンツ・シターロ)
ガイドウェイバスとは、ガイドウェイを用いる形態のバスおよび輸送システムを指す。
バス専用走行路の両側に低い側壁(ガイドウェイ)を設置し、バスの走行を誘導する仕組みを持つ[2]。英語では "Guided Bus" と呼ばれる[3]。発祥のドイツでは開発を担当したダイムラー・ベンツのシステム名称[2]である "O-Bahn" とも呼ばれている[3]。「バスウェイ」と呼ばれることも多い。
磁気や光学的に誘導されるバスもガイドウェイバスの一種とすることがある
(Wikipediaの記事から引用)

こちらはBRTの進化系ともいえるシステムで、オーストラリアのアデレード、イギリスのケンブリッジ、そして、日本では名古屋市で運行されているシステムです。専用道の側壁を沿って走るシステムの為、停留所や交差点以外ではハンドル操作を必要とせず、運転士の負担軽減につながる他、万が一アクシデントが起きた際、路外逸脱のリスクがなく、これまでの専用道のみのBRTよりも定時性が確保されます。基本はバスの車体に案内車輪の装着と言った改修で済みますので、費用対効果としてはこちらが現実的かも知れません。また、多客時には連節バスを導入することで積み残しや続行運転の手間も省けるという利点もあります。日本の法律上『無軌条電車』扱いとなりますが、投資に見合う価値はあるのではないかと考えています。

オーストラリア・アデレード


イギリス・ケンブリッジ


名古屋市(ゆとりーとライン)

これらのシステムを導入し、通勤、通学や観光客のアクセス手段として早期に再整備することで街の衰退を抑え、再び発展の可能性を見出すことが出来るのではないかと考えています。また、通学の利便性も考慮し連節バスでの運用が望ましいかも知れません。

フランスで運用されている連節バスです、一見すると路面電車に見えますね。(事実、BRTをトラム(路面電車)の一種として運用している国もあります。日本でも規制緩和で入って来ると良いのですが…)

※3/24追記

ベルギーのバンホール社の連節バス『ExquiCity』というモデルです。日本の道路交通法で乗合自動車の規制が緩和されれば都市部の輸送や廃線となった鉄道の代替輸送には最適だと思うのですが…時代に合わせて変えるべき法律を変えないのが日本の悪い所ではありますね。


多客時以外はどうすべきか

さて、これらのシステムを地方に導入する場合は、朝夕の通勤、通学以外は利用客が少ない時間帯というのがどうしても発生してしまいます。乗客の少ない時間帯があるとはいえ、本数を減らしてしまっては利用者に敬遠されるかも知れません。そこで一つの解決策として『貨客混載輸送』というのがあります。これまで、宅配便の営業所間の荷物の転送をこれまでのトラックから代わりにバスや列車に運んでもらうという方法です。先ずは比較的規模の大きい駅や停留所に営業所を併設し、バス停や駅から駅の間を宅配便の荷物を運んでもらうという方法となります。これを活用することで、配送ドライバーの負担軽減につながると共に鉄道やバスの運行事業者に旅客以外の運賃が入ります。今後のローカル線の活用方法としては上記の『貨客混載輸送』が普及することが重要なのかなと思っております。


終わりに

幼少期から気仙沼線を利用してきた自分にとって、先人の努力によって開通を果たした気仙沼線は地域の誇りだと思っていました。それだけに此度の災害でバス転換を余儀なくされてしまった事実を重く受け止めると共に、今でも罪悪感と喪失感に苛まれているのが正直な所です。

一方、女川町は鉄路の復旧に当たってはJRと協議を重ね、鉄路の再建だけでなく、駅舎も現在の立派な駅舎に再建することが出来ました。これはやはり、地域の復興に鉄路の再生が不可欠であったと女川の方々が認識し、その行動が結びついた結果だと考えています。それだけに『地域の悲願』といいながら「誰かが乗るだろう」と無関心を決め込み、最後は『地域に見捨てられた』結果となってしまった地元の路線を何とかできなかったのかと地元の者の一人として深く後悔しています。


これは宮城の一地方で起きた出来事ではありません。もし、皆様が住んでいる街で大きな災害に見舞われた時、地域を如何にして再建していくか、ある意味明暗を分けてしまった二つの町から感じ取って頂ければ幸いです。最後に、市民団体の集会で女川町の関係者の方が仰っていた言葉をお借りする形で締めとさせて頂きます。
「ここは終着駅じゃない、このレールは東京までつながっている。そう、つまりここが『始発駅』なんだ。」

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3/24追記

昨日3月23日、旧JR山田線を引き継いだ三陸鉄道リアス線が開通いたしました。本当に喜ばしいニュースです。末永く地域に愛される鉄路となる事を願って、筆を置かせて頂きます。

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