12年前の備忘録

久々の投稿になります。当時の記憶を呼び起こしながら認めますので
誤字、脱字が多いかも知れません。
それでもよろしければ読んで頂ければ幸いです。


2年前の話(備忘録も兼ねて)
当時、地元のブラック企業に勤めていた私は 生産スケジュールと
それに伴う伝票の 発行業務をしていました。 その日は飛び込みの仕事や
欠品した部品の受け取り業務があり、昼休みや昼食も取れなかったほど忙しかったのを覚えています。仕事がひと段落した頃、
急ぎで納品する荷物の納品指示があり、午前に出発した定期便の運転手に途中の引継ぎ地点で急ぎの品物を渡すために会社を出発しました。
配送車を走らせ、当時警察署があった交差点近くで大きな揺れを感じ、
近くの電器店の駐車場に停車しやり過ごすことにしたのですが、
揺れが想像以上に大きい上に比較的長時間に渡り揺れたのを感じ、
「これはただ事ではない」と内陸部に車を走らせ難を逃れたのです。
働きに出ていた両親のことが心配でしたが、当時は会社の社風から「途中離脱は許されない」と認識しており、自宅に帰らず取引先に車を走らせることにしたのです。これについては正しかったかどうかは今も分かりません。
ただ、当時は職務放棄することは考えられず、何としても完遂せねばと思っていました。寸断された道の中から通れそうな道を手探りで探りながら隣県の取引先まで何とか製品を送り届けることで精一杯だった用に憶えています。やっとの思いで取引先に到着し、遅れて到着したことを毒づく定期便の運転手をなだめながら来た時と同じように、通れそうな道を手探りで会社まで戻ったのを覚えています。会社に戻り、町が消えたこと、そして、被害は想像を超えるものだと社長から聞かされ、その時、全身の力が抜けるのを感じました。やっとの思いで自宅のあった場所に帰るも時すでに遅く、そこにあったのは瓦礫の山だったのです。仕事を放棄してでも、両親を避難所に連れて行けばよかった…あの時ほど、自分の行いを悔いた日はありません。 (余談ですが合流した運転手からは「●●君のせいで道に迷ったと有難いお言葉を頂戴しています」) もし、これを呼んだ方がいましたら、 家族や大事な人の安全を最優先で考えてあげてください。(私の場合は両親ともに寸でのところで助かりましたが、紙一重だったそうです。)

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