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色即是空とATフィールド

般若心経とエヴァ

有名な言葉ですけど、「色即是空、空即是色。」という言葉を知っていますか。
仏教僧の龍樹が、洗練させた空の哲学をまとめた般若経。それを凝縮したのがあの有名な般若心経ですが(お坊さんが読まれるお経ですよ。)
そこにでてくる言葉です。

よく聞く言葉ですが改めて意味を説明します。色即是空、空即是色。
ここでの「色」というのは見たり触れたりできる物質の事。「空」とは実体のないこと。
色即是空、色これすなわち空である。ということは、
物質には実体がない。という意味です。空即是色はこれをただ反対に言って強調してるだけ、簡単ですね。、、て、どういう事?ってなる人もいますねそりゃ。

こういってしまうと、この文章を書いている僕の存在すら実体のないものとなってしまう。そもそもあなたは何をもってあなたですが?髪の毛ですか?皮膚ですか?それとも臓器?原子?いいえそれはただの要素です
じつは「あなた」という独立した実体はなくて、ただある要素の集まりをある部分だけ切り取り、「あなた」と呼んでいるに過ぎない。
つまりこういうことを言ってるんですね、説明が下手ですいません。

そしてその要素の集まり、相互関係を「縁起」といいますね。よくご縁があってー。というあれです。そうあらゆる物事事象は単独で存在してなくて、ご縁という関係があって成り立っている。エヴァ新劇で渚カヲルが何回か言う「円(縁)が僕らを導いてくれるよ」は完全にこれです。西洋の形而上学にとっても似てるけど、東洋はだいぶ昔にこの考えにたどり着いてる

なんか実体がないってマトリックスみたいな話になるけどそれも後で詳しく書きたいな。

そう考えるとエヴァと般若心経ってすごい関わりある話だなって。このこと知っておけばもっとエヴァを楽しめるっていうか。

般若心経って結局、本当は何にもない世の中、自分も他人もない世の中なのに、それを強引に区別し始め、煩悩が生まれ苦痛を感じる。だからその煩悩を棄て、すべての存在を徹底的に否定する。そうすれば苦悩から解放される。って話なんですけど、何もかも否定しても最後にどうしても否定できないものがある、それが自分という存在です。だって自分がいる、というのを否定する自分が存在しちゃうから。だからすべての苦悩がない究極のところまでなかなか行けない。この自分を形成する最後の壁が、
エヴァでいう「ATフィールド」ですね。

となると、「人類補完計画」っていうのはそのフィールドを取っ払って、
本来のこの世の姿、何も境がないもの、どろどろの海、L.C.L化させて、
苦悩が存在しない、完璧で全てが統一された世界を作ろうとした。「悟り」の世界。
ゲンドウはそうすることでしかユイと一緒になれなかったし、他人がいるせいで苦しんでいた。それはもちろんシンジも。だからゲンドウはシンジを利用した。

だけど、シンジは旧劇では、人であふれる世の中を望んだ、それが苦しむを生むことと分かっていても、他人がいることで自分という存在があるんだと。認めてもらいたかったんだなと。なにより人の温かさを信じたのでしょう。

苦しみもないけど自分もない世界なんて怖いし、まず想像もできない。そんな悟りの境地まで行くことは不可能だと思うけど。
どんだけ意見が合わなくてもむかつく人がいても、それが当たり前だし、この人も自分と一緒なんだなーーって思う。必要な人っていうか、結局。
でもたまに瞑想とかして、自分を忘れ、すっきりするのは、やはり本来世界はそういう所だからなのか。釈迦は何を見たんでしょうね。

エヴァって観たその時の自分の知識とか成長加減によってたくさんの見方があるし、解釈がある。その中の自分の解釈を少し書いてみました。

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