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ととのう、とは?



「なぜ私たちはサウナに魅了されるのか?」

「なぜサウナに入ると、ととのうのか?」


いつもその疑問が頭に浮かびつつも、毎回「今日もととのった…」と満足しては考えることを忘れてしまっている。

昨夜みた 連続ドラマ「サ道」が面白かった。
サウナを愛し、似たような感覚を喜びに感じる人がこんなにもいるんだ!って感動した。


しかし正直なところ、私はサウナ歴浅め。高校生の時まではサウナは熱さの我慢大会だと思っていて、耐える自分とその後感じる達成感に酔いしれていただけだった。
いわゆる”整う”感覚に出会ったのは、大学生になり神戸大生御用達の灘温泉に行き初めてからだ。

だから正直サウナ道なんてものはサラサラない。
“ととのう”という概念を知ったのすら数ヶ月前で、今まではソノ現象を「ふぁああ」って気持ちいい感覚って認識していたのだ(笑)


そして、昨夜いい機会に巡り会えた。
ドラマに影響を受け、自分にとってのサウナ道、今回は”ととのう”について言語化してみたいと思った。

わたしにとっての”ととのう”とは大きく2つある。


1.肉体と外界の融和


私のサウナサイクルは、10分、15分、15分、休憩。

私がいつも整うのは水風呂の中

最初はもちろんヒヤッと気持ちよくて
だんだん鼓動の音が聞こえだし、体の芯からじわあ〜ってでてくる熱を感じる。
そしてふとした瞬間に、不思議な感覚に襲われる。

「あれ?私の身体はどこにある?」

自分の身体の実態も周りにあるはずの冷水も掴めず、ふわふわと浮いているような感じがする。

つまり、肉体と外界が溶け合っているのだ。

言葉を借りれば「自然との一体化」
この瞬間の気持ち良さといったら!!!!!!ね?????!!!!!

これは瞑想や断食にも似た感覚。
もしかしたらこの感覚、つまり「自然との一体化」は人間が潜在的に感じる大きな喜びなのかもしれない。

そして”自然との一体化”が当たり前だった縄文時代には1万年争いがなかったという歴史的事象を踏まえても、「皆がサウナに入れば世界平和」という話中での会話は、まさに的を得ていると思う。(大真面目)


2.サウナ鎮守との融和

これは割と女性特有なようだが、サウナは地元のおばちゃんたちの井戸端会議場になっていることが多い。彼女たちを私は敬意を込めて「サウナ鎮守」と呼ぶ。

私のような若造が意気揚々とサウナに入っていけばもちろん、サウナ鎮守達からの「はいはい〜小娘が冷やかしにでもきたんかな〜」といわんばかりの冷ややかな視線から始まる。(※銭湯差があります

これを私は、第一関門「試しの眼差し」と呼ぶ。


まずは礼儀なので挨拶をして、当たり障りのない場所に座る

私がいようといまいと関係なく、井戸端会議は続く
その内容もその内容でずっと話し続けれる話術も、これまた一興。

私も自分の世界に入り、いつもの15.10.10サイクルを回す

だいたい1巡目の最後の方あたりだろうか、彼女たちの私をみる目が少し変わってくるのを感じる。

「この子、意外といける口だわ...。」(と言われている予定)

そして2巡目に入って少しすると、話をかけられ始める

「お姉ちゃん、この近くに住んでるの?」


これを言われたらもう勝ちだ(なんの?)

それからたわいのない会話を交わし、共に汗を流し、サウナへの思いこだわりなどを話し、、、そして打ち解け合う。

この時初めて、私はこの銭湯のこのサウナで整う、つまり”地に足ついた整う”を実感するのであった。




今日も今日とてサウナへと

この世界にはサウナを愛する民がたくさんいらっしゃいます。少し調べてみるだけでも色々な記事がでてきてすごく面白くて、サウナ道に惚れました。
私もっと深めたいと思いました。
そして学びの出発点はまず自分の現在地を知ることだと思っているので、初心者サウナーとして今のサウナ道を言語化してみました。
拙い文章を呼んでくださった方本当にありがとうございます。


みなさんはなぜサウナに行くのでしょうか?
みなさんにとっての”ととのう”とはなんでしょうか?


お酒と共にサウナについてひたすら語り合いたい、と思う今日この頃でした🍻


さらばっ

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久保 陽香│Kubo Haruka

「人と自然とおいしいごはん」大学休学中。屋久島生活を経て、栃木県那須の非電化工房住み込み弟子入り。東洋哲学、樹林気功、発酵、納豆、ひじき、スパイスカレー、南インド、ガーナ、縄文人が好き
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