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【ヴィパッサナー瞑想】 ”今、ここ” に向き合う覚悟

はじめに

ヴィパッサナー瞑想では、1日目〜3日まではアーナパーナ瞑想を行います。
アーナパーナ瞑想とは、自然な呼吸を観察しひたすらに”気づき”続ける瞑想法。

つって。
言葉でいうのは簡単だけど、これがなかなか難しいものなんです。
ともすれば、すぐに妄想しだすし、寝てるし、、、
自分の集中力のなさと、心の煩さに本当に嫌気がさしました。
1日目は今でも一番しんどかったのを覚えているほどですが、2日目からだんだん集中できてきて「自分ってこんな呼吸早かったんだ」とか「鼻の中ってこう繋がっているんだ」とか色々気づくことが増え、苦痛がなくなっていきました。


瞑想4日目

そして4日目から遂にヴィパッサナー瞑想が始まりました。
ヴィパッサナー瞑想では、身全体の肉体に感じる感覚を、順追って意識を巡らせ、客観的に観察していく、というものでした。(肉体を旅行している感覚〜〜)

そうやって精神と肉体が常に変化しているというその性質を観察し、無常、苦しみ、そして無我という普遍的な真実を体験を通して学びます。
その体験を通して真実を学ぶことが、現実社会においても応用可能な心の浄化につながると考えられています。

また、1日に合計3時間あるグループ瞑想の時間は、瞑想中に身動きをとることも許されません。


「さてさて、はたして久保はどうなったのでしょうか?」


「いや、しんどいわ!!!動かないって、なんやねん!!
小学校の卒業式かよ!(あの、かゆくても絶対にかいちゃダメっていう謎の掟)」

こんな感じで、心の中は安定の大荒れ模様☺️


でも、それでも馬鹿正直に瞑想し続けていくと、あることが見えてきたんです。

瞑想中、今意識を巡らせるべき部分以外の感覚が、より大きく感じてしまうことがよくありました。
例えば、足の痛みや痒みや痺れ、それ以外にもパチパチするような感覚。

最初はそこに意識が向いてしまい、気持ちが悪くなったり良くなったりしては、気がつけばまた別部位の感覚に気を取られている。
それが繰り返されていく…。

こんな風に気が散る時間を過ごしてしまった時には、心にどこか落ち着かなくて雑味のある感情が残っていました。

この時にハッとしました。


この感覚、この感情、わたし知ってる..!


つい最近も、同じ感覚を感じたところでした。
それは、屋久島を半年間で出ることを決めた時

最初は屋久島という島に惚れて移住して、自分の理想であえる自然共生型の暮らしができていました。でもその生活を続けられなくなると分かった時、私はそれでも神戸には帰らず屋久島に住み続けることを決断しました。
「本来の休学の目的とは違うけど、学ぶことはたくさんある」って、自分を納得させました。

それなのに、それなのに、
結局自分は理想を諦めることはできず..
最後は外にそれを求めてしまった...。



ああ、ごめんなさい...。


ないものねだり

「隣の芝は青い」とか「ないものねだり」なんてよく言われることだけど
自分の目の前の出来事、自分がもっているものは必ずあるのに、それ以外のものが魅力的にみえてしまうことはよくある。
でも、目前のことから目を逸らし、外にある魅力的なことに飛びついたとしても、その魅力はすぐに消え、また他のことが魅力的に見えてくる。そしてまた繰り返す。

そして何をやっても、どんなスキルを身につけても、いつも心に残るのは”空虚さ”と”惨めさ”だけ。

しかし、自分が欲しようがしまいが、すべては誕生と消滅を繰り返す。
これがこの世の真理、”無常さ”である。


この世は”無常”なのだから

だから、屋久島のことだって後悔していても仕方がない。
実際に、日々すごくたくさんの学びがあり、素敵な方々にも恵まれ、納豆の世界にも入ることができた。
目的思考に縛られないからこそ、気づけた大切なことがあった。
屋久島もどんどん好きになった。
だから、純粋な屋久島への感謝を、胸に刻むんだ。


そして私は、”今、ここ”に向き合う覚悟をもった。

「今、ここを生きる」なんて、よく聞く言葉だし、自分もモットーにしていたはずなのに、全然できていませんでした。
言葉で言うのは簡単だけど、実際に体現するってどれほど大変なことなのか、私はまだ知りませんでした。今回、瞑想を通じて、まさしく体験を通じて、初めて気づかされました。

今、このタイミングで、この事に気づけたことに感謝したいし、きっとこれにも意味があったんだろうと思います。


だから今年一年は、何が起こっても途中で逃げ出さない、向き合ってやるんだから!



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