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金言

クボ🖌️




aphorism【アフォリズム】
短いぴりっとした表現で、人生・社会・文化等に関する見解を表したもの。警句。箴言(しんげん)。

周りに気を使いながら、ポケットの中、前に背負ったリュックの中、ポーチの中を探してみる。
お目当てのイヤホンは見当たらない。
どこに忘れたのか、はたまた無くしたのか。
今日のような日にイヤホンがないのはかなり危険だなと思いながら、電車に揺られる。
吊り革を掴み損ねて横の人にぶつかってしまう。
舌打ちが耳元で聞こえる。

最近、なんだかダメな日は、文章を書くようにしている。
上手くなりたい、というのもあるが、メインの理由は、一番客観的に自分を見れているような気になれるからだ。
どこに出す気がなくても、私の文章には必ず「こう見られたい」みたいなものが発生して、かっこつけたり、被害者ぶったり、弱いものぶったりしようとしてくる。
書いていくうちに発生する、この、「こう見られたい」に''なんかダメ''のヒントがあって、「そうか、今私は被害者ぶりたいのか」「じゃあ私は今、何かの被害者になったと心のどこかで思っているのか」と気付ける。
''なんかダメ''の根源が見えてくれば、対策が打てる。

そしてどうやら今日の私は、賢く見られたいらしい。
誰かに見下されたり、考えてないと思われたりしてないか不安なんだろう。
対策を打とう。
そうだ、今日はじゃあ、思い切り賢く見られようとしてみるか。

アフォリズム、という言葉がある。
私もよく知らないが、日本語で言う格言や箴言のことで、小説や漫画の中に出てくる、人生を生きていく上で前を照らす光になってくれるような言葉たちのことだと、小説で読んだ。
私はアフォリズムが大好きである。
小説や漫画の中に出てくる言葉だけをアフォリズムと呼ぶのかどうとかは知らないし知ったこっちゃないし知る気もないが(賢く見られようと?)、小説や映画、アニメや漫画、そして、身近な誰かにもらった言葉で息ができる日が多々ある。
今日はそれを並べていこうと思う。


『条件を加えることで、物語はより広がりを持つ』
脚本家 三谷幸喜
→ [Serendipity ~偶発的な出会い~ vol.36 インタビュー:朝井リョウさん]より
朝井リョウが、五作目、「少女は卒業しない」を書く際に、どう頑張ってもアイデアが出てこず、尊敬する脚本家の言葉を元に、「校舎の一部を使えなくする」「卒業式の朝から夜までを順番に書く」という条件をあえて増やしてみると、するするとアイデアが浮かぶようになった、と語った。
本当にそうだ。根拠とかはわからないけれど、何もないところで漠然と考えてしまうより、縛りがある方がみえてくることもあると思った。そして人生も、同様に。

『世の中には悪人も善人もおらんねやと思う。おるのは弱い人と強い人だけや。』
中山七里
→[月光のスティグマ]より
テロに巻き込まれてしまった主人公が、幼馴染の罪を許すのかと聞かれた際に出した言葉。
その人自体が悪かどうかは愛には関係なく、弱かっただけ、と認めてあげる意思を感じる。

『ある時ふと思ったんです。女性には「母」と「娘」の二種類いるのではないか。母になることができる女性と、娘であり続けたいと願う女性。いいかえれば、「母性」を自然に持っているような女性と、どうやっても手に入れられない女性。』
湊かなえ
→[「母性」刊行記念インタビュー これまでにない「母と娘」を]より
母性の中には、永遠に娘でありたいと願い、自身の娘にさえ嫉妬する女性が登場する。
一般的には、子どもを産めば皆自然に「母」になると考えられているが、果たしてそうだろうか。
いつまでも庇護の対象でありたいと願う女性は一定数存在していて、その女性たちを「娘」と仮定するのであれば、娘たちの「娘」は、どうやって母を感じればいいのだろう。そして、どう努力しようと擁護される対象でなくなっていく自分に耐えられない娘は、どうなってしまうんだろう。

『サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、だれがシロクマを責めますか。』
梨木香歩
→[西の魔女が死んだ]より
不登校の娘が、学校に行かずにずっとここにいようかな、と発言した際の彼女の祖母のセリフである。
人間も生き物の一つでしかないし、こうしなきゃいけない、こうならなきゃいけないなんてしがらみより、広い分野で見て、自分の中に選択肢を増やしてから悩んでも、いいのかもしれない。
今作は他にも、『人はみんな幸せになれるようにできてるんですよ』や、『いちばん大切なのは、意志の力。』など、アフォリズムにあふれた不朽の名作と言える。

『常に生きるか死ぬかで生きろ』
クボ・父
→[実家 保険証が失効した時]より
保険証が失効してしまい、作れる目処がなかった時にもらった言葉である。病院に行くととんでもない額の支払いが求められるから、絶対に健康でいてやる、おまえもそうしろ、という覚悟を感じる。

『双子の女の子ってさ、年取った時どうするんやろうな、おばさん×2になるやんな』
クボ・姉
→[実家、テレビの前]より
テレビに双子の女の子が登場。可愛い可愛いと持て囃されているところに発言。「確かに」と「人を式に直さないで欲しい」のちょうど間を一刀両断していて、すごい。

『私が幽霊やったら成仏してたわ』
クボ・姉
→[サイゼの間違い探しで、誰にも見つけられなかった間違いを見つけた時]より
「何が未練の幽霊やねん」と思った。

『ソメイヨシノって、枝を折ってそのまま植えたらまた生えてくるんやって。そうやって辿っていったら、全部のソメイヨシノの木って吉野に生えてる一本の桜の木に辿り着くらしいよ』
ふわり春・まいち
→[北村文化財、クボ、まいちの3人の花見旅行]より
後ろには桜吹雪が舞っていたし、ロケーションは完璧だったが、発言者がこいつじゃなけりゃ良かったのに、と思った。
あと、手を置いていた木は全然ソメイヨシノではなかったし、なんなら梅だった。

『泣こうと思って泣いてるやん』
チームクボスタッフ まーちゃん
→[カメラを向けられている時に泣いている女の子を見たとき]より
絶対にあの子は泣こうと思って泣いていたので、かなり良かった。てか涙でてた?あれ。泣いてへんかったよな

『僕だったら、まず拾いません。』
ガングリオン・北村文化財
→[ガングリオンの灰になるまで #9 ]より
「たとえばさあ、道に犬が捨てられてたら拾って世話するやん?」というクボの例え話に対し、「拾いません。」と一刀両断。トークを速攻終わらせる。かなり痺れた。

『コンパニオンは人間ではないと?』
愛知県 小林敏秋市議員
→ [愛知県西尾市議会の自民党系会派「市民クラブ」コロナ禍での17名での会食会]より
記者会見にて、「コロナにかからないように、議員同士が動き回らずに済むよう、コンパニオンさんにビールをついだりしていただいていた」との発言に対し、記者から出た質問が、「コンパニオンは人間ではないと?」である。
「あーあ、やらかしたな」とテレビの前で思い、結構ジワった。記者も心なしかイキイキしているように見えた。

『ブチギレそう』
チームクボスタッフ まーちゃん
→[企画会議でふざけ続けるクボ]より
ブチギレる前に教えてくれるん優しいな

『ペッパー君が…解雇されてる…』
クボ・姉
→ [姉が会社員になりたての頃、私と姉は嫌なことがあったときに近くのはま寿司に行っていた。
その寿司屋ではペッパーくんが席を案内してくれるのだが、数ヶ月ぶりにその店に行くと、ペッパーくんがいなくなっているのを見つけた時]より
寿司の味、一つも分からなくなっていた。
社会人になりたての姉にはあまりに刺激が強かったのか、3日くらいことあるごとに「でもペッパーくんでも解雇されるのにお姉ちゃんなんて…」と言っていた。繊細すぎる。

『おもん無いを嫌いすぎると、何もできんくなるよ』
→世の中におもん無いやつなんか山盛りおるのに、嫌いになるのなんか勿体無い。
面白いと思った方がよっぽどいい。
そうすれば、世の中に面白いものなんか山ほど転がっている。
Twitter、インスタのIDから、絵文字の使い方、ストーリーにLINEスタンプ。
今日もありがたい世界を生きてるな

『いい人に囲まれてるとか、友達に恵まれてるとか。そんなふうに思えるのはあなた自身の実力やで。同じ境遇にあっても不幸ぶりたい人っておるねんから。それも実力。生きるのが上手いってことやで。』





人生はアフォリズムに溢れている。
大切な人がくれた言葉で、今日も、息をしていられる。

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