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22時、サッカーともつ鍋。


お疲れ様です。2回連続遅れてすみません。まーちゃんです。
文章を書くことが好きなので、noteを書かせてもらえる環境があるのはうれしいし、「金曜日の22時に交互にnoteをあげよう」とクボが言い出した時は「おっけー!」と確かに言ったのですが、あの時「土曜にせん?」と言っておけばよかったと2週に1回必ず思っています。

ただいま2/3(土)午後14時すぎ。このnoteも含めてすべての進捗が芳しくありません。
「進捗を煽っていいのは進捗を煽られる覚悟がある人だけですよ」と、妄想発明家にせっつかれ、「え~ん、ごめんなさい~…」と頭を垂れる日々。あの男はいつ寝てるんでしょうか。すごいと思います。

このように私は結構無能だし、めんどくさがりだし生活が下手だし、何の才能もありません。勉強が得意だったわけでもないし、音楽もやめちゃったし。
それでも昔から、文章を書くことだけはずっと好きでした。
締め切りが迫ってやばい時も、「note書いてる場合じゃないかも!」と焦ってるときも、書き始めさえすれば「自分は言葉が好きで本当に良かったな」と心の底から思います。私は自分の言葉が好きだし、人の言葉が好きです。

月並み過ぎてあんまり書きたくないけど、言葉の持つ力ってめちゃくちゃすごいと思っていて、私はこれをきっと、神様とか仏様とか、愛とか正義とかの代わりに信じています。
私は現代の日本人らしく信心深さに欠けているところがあるけれど、その言葉への信仰心があるから、今日も元気いっぱい生きられている。
これはきっと、たくさんの本と、それを手に取れるところに置いてくれていた家族のおかげで、今日までたくさんの言葉をくれた、私の大好きな人たちのおかげ。
もう近くにいない人も、一生会えない人も、いつも近くにいてくれる人も、最悪な思い出だけ残していったあいつだって、誰が欠けても駄目だった。
色々な人にもらった言葉を、ずっと手から落ちないように持ったまま生きていて、何かの拍子にこぼれちゃうのが嫌で、いつか必要な時に思い出せるように置いておきたい。言葉をどこかに忘れてきちゃうのが嫌だから、私は文章を書くのが好きなんだと思います。
まあでも、これをもっと緻密に、婉曲的に書けるのが、本当に文章がうまい人だ、とも思います。全然だめじゃんか。

そんな風に、たくさんの人に素敵な言葉ですくすく育てていただいたので、私も誰かにとってそうありたいと願うのですが、これが結構難しい。
遠回りしすぎて伝わらなかったり、ストレート過ぎて逆に傷つけたり。どれだけ言葉を尽くしても、届かなかったり。
でも、死にたがるあいつにも、いっぱいいっぱいなあの人にも、消えてしまいそうなお前にも、貰ってきた中からとっておきを贈りたい。
言葉を信じることは、自分を信じることなので。

これができるようになるまで、誰にもみられなくても、仕事と関係なくても、きっといつまでも、私は文章を書き続けるんだろうな。

と、ここまで書いたところで22時。
途中でミーティングがあったとはいえ、あまりにも遅筆すぎる。商業作家には絶対なれないな、と思いつつ、電波の悪い居酒屋で続きを書いています。
一緒に居酒屋に来たふたりは、なぜかアジアカップを観てます。誰が一緒に酒飲みに来て全力でサッカー観るんだよ、と思いつつ、もつ鍋を食べながらああだこうだ言うふたりをながめられる今が、なんか愛おしくなった1日でした。

愛おしいのは彼らではなく、今です。

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