無題

より広大な真実の世界とは?仏教からインターネットへ

皆さん、こんにちは。久保家です。

久保家のリビングにはホワイトボードがありまして、毎朝、そこに夫が考えたことを描いて、朝ごはんを食べながら夫婦でディスカッションをしているのですが、その内容をコンテンツとしてまとめてみようというのが、今回の試みです。

本日のテーマは「十如是」です。夫の実家は、父方が禅宗(確か臨済宗)、母方が法華宗でして、夫も小さい頃から「般若心経」やら「法華経」に親しんできました。もちろん、単に親しんでいるだけで、お経の内容は意味不明です(笑)

お経のおもしろいところは、意味がわからなくても、音読するとなぜか心が軽くなるところです。夫が好きなのは、法華経の妙法蓮華経陀羅尼品第二十六でして、これが「安爾(あに) 曼爾(まに) 摩禰(まねい) 摩摩禰(ままねい) 旨隷(しれい) 遮梨第(しゃりてい)」と始まりまして、最初から最後まで、全くもって意味不明(笑)でも、なにかの呪文みたいで、なかなか気持ちが良くなるのです。不思議ですね。(しゃりてい)」と始まりまして、最初から最後まで、全くもって意味不明(笑)でも、なにかの呪文みたいで、なかなか気持ちが良くなるのです。不思議ですね。

意味が不明でも、音読すれば心が軽くなる。

法華経では、「実相」という言葉が出てくるのですが、どうやらこの言葉が法華経の真髄らしいのです。そして、「実相」とは何かとお釈迦様の弟子である舎利弗さんが問うと、お釈迦様が「十如是」だとお答えになった。夫の法華経のイメージは体育会系でして、この舎利弗さんも智慧第一と言われているにも関わらず、お釈迦様に「この、未熟者めが!」とフルボッコにされる、かわいそうな人なんですね(笑)

諸法実相とは、十如是のこと。

それでは、「十如是」について説明していきましょう。

○原因を構成するもの

Wikipediaによりますと、十如是とは、相(形相)・性(本質)・体(形体)・力(能力)・作(作用)・因(直接的な原因)・縁(条件・間接的な関係)・果(因に対する結果)・報(報い・縁に対する間接的な結果)・本末究竟等相(相から報にいたるまでの9つの事柄が究極的に無差別平等であること)をいい、諸法の実相、つまり存在の真実の在り方が、この10の事柄において知られる事と定義されています。

一つずつ分解して理解しましょう。学習するとは、分けることです。

まず、「如是相」です。如是とは是(かく)の如(ごと)しで、そのようにであるという意味です。あらゆる存在には「相」(すがた)があります。そのことを「如是相」といいます。ここでは、物理的なイメージをもつと良いと思います。水が冷たいと氷になったり、熱くなると水蒸気になるイメージです。

仏教は、物理学に近い。

次に、相のあるものはそれにふさわしい性質をもっています。これを「如是性」といいます。そして、相があって、性質があるものには主体があります。これを「如是体」といいます。この順序は東洋的ですね。西欧は「要素」から入りますので、最初に主体がありますが、東洋思想はそうじゃないのですね。東洋では「関係性」が重要です。

西洋は要素、東洋は関係性。

体はある潜在能力(エネルギー)をもっています。これを「如是力」といいます。イメージとしては、ポテンシャルエネルギーのようなものですかね。そして、力があるものは、必ず外へ向かっていろいろな作用を起こします。それを「如是作」といいます。ポテンシャルエネルギーが運動エネルギーに変わったりして、外に作用を及ぼす。仏教は、物理学の考えに近いのかもしれません。

ふさわしい相と性と体をもったヒトやモノが、そのヒトやモノにふさわしい能力(力)を発揮させるために、何らかの働きかけ(作)をしていくと、それが原因となり、よきにつけあしきにつけ、一つの結果が生じます。つまり、相・性・体・力・作の五如是が、いろいろな現象を起こす原因となります。このことを「如是因」といいます。仏教は、分解大好き宗教なのです(笑)

学習するとは、分けること。

○必要条件と十分要件

ジェームズ・アレンの「原因と結果の法則」という本があります。私たちがこれまで考えてきたこと(原因)が、私たちを、いまの環境(結果)に運んできたのです。この考え方は、シンプルでわかりやすいですね。自分の現在(結果)は、自分の過去の行動の積み重ねの「結果」として生まれている。行動は思考から生まれるということでしょうか。主体に重点を置く、西欧的な考え方だと思いました。

主体に重点を置くのは、西欧的な考え方。

仏教では、原因はあっても、それが何らかの機会か条件に恵まれないと、一つの現象が結果として現れてこないと考えます。そのような条件を「如是縁」といいます。日本人の好きな「縁」ですね。

つまり、因(原因)とは「必要条件」に過ぎなくて、「十分条件」とはならないのです。十分条件として成立するためには、「縁」が必要になるわけです。「因」は自分の自助努力でなんとかなりますが、「縁」はそう簡単にはいきません。ですから、「他力本願」という考え方が生まれるのですね。

「他力本願」の考え方は、「底なし沼」に似ていると聞いたことがあります。底なし沼にはまると、自分の力では這い出すことができません。あがけばあがくほど逆効果になる。助かるためには他者の力を借りるしかありません。

必要条件であるが、十分条件ではない。この考え方は、数学的な論理です。応用の利く考え方ですので、ぜひ覚えて使ってみてください。

それは必要条件かもしれないが、十分条件ではない。

○現実の背後には、より広大な真実の世界が横たわっている

最後に結果ですが、十如是では「客観的結果」「主観的結果」に分けます。やはり、分解大魔王ですね(笑)

客観的結果と主観的結果に分ける。

「如是果」とは、ある因が、ある縁に出会って、ある状態を実現することです。因が縁に出会えば、自然と結果が生まれます。これが「客観的結果(事実)」です。

ある状態を実現すると、それはただ実現されたにとどまらず、そのあとに影響(報い)を残すものです。これが「如是報」です。これは「主観的結果(オリジナルな結果の受けとめ方)」ともいえます。

先日、妻と「成功した人が、幸せになるとは限らない」という話をしました。妻は東京出身で、経済的に豊かな友人が多いのです。客観的に見れば成功者に見えるけど、それで幸せになれるとは限らない。成功と幸せは、別のベクトルではないかという話です。これからの時代は、その辺りの差異を考えていく必要があるのかもしれません。

成功した人が、幸せになるとは限らない。

最後の「如是本末究竟等」ですが、これは「相」から「報」まで、始まり(本)から終わり(末)まで、つまるところ(究竟して)「法(ダルマ)」のとおりになる、同じになる(等しい)ということです。相・性・体・力・作・因・縁・果・報の九如是は、常に無数に、複雑に絡みあっていて、人間の知恵では、どれが原因で、どれが結果だかわからないことが多くあります。しかし、それらは天地の真理である一つの「法」によって動いている。仏教は、本質において一元論です。

物理学みたいな感じになりましたので、最後は、湯川秀樹の言葉で締めたいと思います。夫の好きな言葉です。夫はこのより広大な真実の世界が、デジタル化されたビットの世界、つまりインターネットではないかと思うのです。

【湯川秀樹の言葉】

現実は痛切である。あらゆる甘さが排斥される。
現実は予想出来ぬ豹変をする。あらゆる平衡は早晩打破せられる。
現実は複雑である。あらゆる早合点は禁物である。

それにもかかわらず現実はその根底において、常に簡単な法則に従って動いているのである。
達人のみがそれを洞察する。

それにもかかわらず現実はその根底において、常に調和している。
詩人のみがこれを発見する。

達人は少ない。詩人も少ない。
われわれ凡人はどうしても現実にとらわれ過ぎる傾向がある。
そして現実のように豹変し、現実のように複雑になり、現実のように不安になる。そして現実の背後に、より広大な真実の世界が横たわっていることに気がつかないのである。

現実のほかにどこに真実があるかと問うことなかれ。
真実はやがて現実となるのである。(昭和十六年一月)

いかがだったでしょうか。皆さん(妻)はどう思われますか。

追伸

抽象的な概念を理解するときに、別の言語にしてみると、本質がつかめるかもしれない。それがエッセンシャルシンキング(笑)とか、くだらないことを言いながら、十如是を英語にしてみました。お坊さんや翻訳者の方から、お叱りを受けそうですが、抽象的な言葉を一旦英語に訳してから、日本語に逆輸入すると考えが深まるのだなと感じました。

@The 10 Elements of Successful Things.

1.Phase
-------
There are always "phase" is in all existence.

2.Properties
------------
The phase certainly has "properties" suitable for it.

3.Subject
---------
There is a phase, things with nature always have a "subject".

4.Power
-------
The subject always has a power.

5.Action
---------
Those with power always make various actions to the outside.

6.Source
--------
People and things with suitable phase, properties and subject,
as they works to demonstrate the power suitable for that person or thing,
that will cause one result.So, phase, properties, subject, power and action 
is why it causes various phenomena.
F(phase,properties,subject,power,action) -> Source

7.Destiny
---------
However, even though there are sources, one phenomenon does not appear 
as a resultif it is blessed with some kind of opportunity or condition.
Source with Destiny -> Fact or Memory

8.Fact
------
When opportunities overlap with cause, the results are certainly born.
In other words, "objective result = fact".

9.Memory
--------
When opportunities overlap with cause, realize a certain state.
It will not stop beyond realization, it will definitely leave influence.
In other words, it can be said that
"subjective result = How to accept original result = memory".

10.Law
-------
Form, properties, subject, power, action, source, destiny, fact, and memory
are constantly innumerable, complexly intertwined,
there are many things that human wisdom does not know which is the cause 
or not. However, they are always moving by one "law" which is the truth of 
heaven and earth,and no one can leave this "law" as any one, any thing, 
any action.From the "phase" to the "memory", that is, from the beginning 
to the end,it is the same that it becomes the same as the "law".

○本日のおすすめ本

面白いほどよくわかる 世界の宗教/宗教の世界
ひろ さちや (著)
単行本(ソフトカバー): 394ページ
出版社: 春秋社 (2012/10/3)


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