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スターガルト病と共に生きる、ブラインドホッケー選手のリアル

こんにちは。

窪田製薬ホールディングス広報の永江です。

窪田製薬は、”世界から失明を撲滅する”ことをミッションとし、目に関わる創薬、デバイス開発を行っています。

創業者の窪田については(こちら)にまとめてありますのでご覧ください。


今回は、未だ治療薬のない疾患である「スターガルト病」に焦点を当てていきます。

実際にこの「スターガルト病」に罹り、失明にまで至ったものの、「ブラインドホッケー」(※)という視覚障害者によるスポーツを広めるため、日々前向きに生活している、クレイグ・フィッツパトリック氏にインタビューさせていただきました。

(※「ブラインドホッケー」は視覚障害者用のスポーツの一つで、ルールは一般のアイスホッケーと余り差がありませんが、パックから音が出ています。パックは一般より少し大きく、滑る速度も少し遅くなっています。男女混合で、強度の弱視から全盲まで混在し、一番視力が低い人はディフェンスやゴールキーパーとなります。)


(Craig Fitzpatrick氏)


クレイグ氏は4人きょうだいの長男として育ち、現在は奥様と二人で生活しています。

きょうだいのうち、2人はクレイグ氏と同様に「スターガルト病」に罹患しておりますが、それぞれ病気との向き合い方には個人差があり、クレイグ氏同様、弟のブレンダン氏は、ブラインドホッケーに挑戦したこともあるそうですが、妹のケリーさんは、自身がスターガルト病という事実を受け入れることが難しかったようです。

子どもの頃から読書や勉強が好きだったクレイグ氏は、成績優秀で運動も得意。また負けず嫌いの性格からバスケやサッカー、野球、水泳などにも積極的に挑戦していました。

そんな彼が自身の視覚に異変を感じたのは25歳の頃、アメリカ空軍の大尉で、大学院に在籍中の出来事でした。すぐに網膜の専門医に診てもらい、そこで初めて「スターガルト病」という存在を聞かされました。

■スターガルト病と診断された時のお気持ちをお聞かせください。
自分の人生が終わったと思いました。私は、アメリカ空軍士官学校に行き、将校になり、夢であった飛行機を扱う仕 事をするために、非常に努力してきました。 当時私はセントルイス大学で行政学の修士課程に在籍していたのです が、自分は空軍から追い出されるのだろうか?大学院を退学しなければならないのか?仕事はどうするのだろう?私は一人で死ぬのか…誰が盲人と結婚したいと思うのかなど多くの不安が頭をよぎりました。 残念ながら空軍は除隊せざるを得ませんでしたが、大学は私の病気のことを知り、奨学金を与えてくれて、主席で 卒業することができました。また、仕事に関しても今は量子技術のスタートアップ企業でプログラムマネジメントをしていま す。そして、現在の妻であるジェニーと出会い、2021年12月に結婚しました。

■ブラインドホッケーを知ったきっかけは?
サウスカロライナで育ったので、ホッケーはあまりなかったのですが、空軍士官学校の1年生の時にコロラドに来た、コロラド・アバランチがきっかけで、普通のホッケーのファンになっていました。ただ「ブラインドホッケー」というスポーツがあること は知りませんでした。

■なぜ他のスポーツではなく「ブラインドホッケー」を選んだのですか?
ブラインドホッケーを選んだ理由は、難しいスポーツだからです。うまくなって、自分でもできるということを証明したかった から始めました。

■初めて氷の上を歩いた時の感想を教えてください。
初めてスケート靴を履いてから30秒くらいで転んでしまいました。 でも、立ち上がりましたし、最初の転倒を乗り越え た後は、決意を固めたと言えると思います。

■ブラインドホッケーを始めるきっかけは何だと思いますか?
視覚障害者ができるスポーツの中で、最も速く、最も難しく、最も楽しいものだからだと思います。 チームワーク、自信、 規律を学ぶことができます。 ブラインドホッケーができるようになれば、人生の他の困難もそれほど難しく感じなくなるはずです。

■チームとのコミュニケーションはどのように取っていますか?また、プレー中、コミュニケーションをとるのが難しいと感じ ることはありますか?
氷の上では、常に声に出して話をしています。私たちの間で、言葉のコードがあり、それを使い分けたり、スティックを 使って音を出すことでどこに居るかをお互いに確認しています。 「オフザアイス」という言葉があります。メール、テキスト、ソーシャルメディアなどのコミュニュケーションと同じように 氷上 では言葉による合言葉とスティックのタップを組み合わせて、常に会話し、指示し合っています。

■プレイ中、コミュニケーションが難しいシチュエーションはありますか? 
一番大変なのは、コーチとのコミュニケーションです。 プレーヤーは目が見えないので、ベンチサイドはプレーヤーがどれ くらいのコミュニケーションを必要としているのか、それをどのように伝えるのがベストなのか、十分に理解しきれないので す。でも、このスポーツに関わる人は皆、素晴らしいコミュニケーション能力を身に付けています。

■日常生活で最も困難を感じることは何ですか?
テクノロジーを使いこなすことと、自分の視覚障害について人々に説明することです。 (視覚障害がないと思われる レベルで)スムーズに生活していると、よく "今日は メガネを忘れたの?"とか"メガネが必要なの?"と聞かれること があります。そこで改めて自分の状況を説明して理解してもらうのは一苦労な時があります。 そして私は時々白杖を使っていますが、いつもというわけではありませんし、人によっては「人と違うこと」とに対してとても批判的になることがあります。

■クレイグ氏のモットーは何ですか?
何度打ちのめされたかということではなく 何回立ち直れるかだ。

■クレイグ氏の好きな言葉は何ですか? 
私の一番好きな言葉は、妻の名前である「ジェニー」です。 でも、2番目に好きな言葉は「冒険」です。

■休日は何をしていますか?
山の中に週末用の家を買ったばかりなので、リフォームを楽しんでいます。独学でデッキの磨き方や、アスファルトの ポットホールを埋め方...などを学んでいます。でも時間があるときは、8歳になるオーストラリアン・シェパードの愛犬 チャーリーと遊ぶのがとても楽しいんです。また、音楽にも情熱を注いでいて、曲を作るのも好きなんですよ。

■あなたの夢は何ですか? 
私の夢は、いい父親になることです。 10歳のときに父親を心臓発作で亡くしました。私は、視覚障害を持ちながらでも、自分の家族ができたときに面倒 が見られるよう、努力してきました。もう1つの夢は、博士号を取ることです。 修士課程修了後、いくつかの博士課程に出願し、フランスのINSEADとマサチューセッツ工科大学の2校に合格しましたが、視覚障害と経済的な理由から諦めました。代わりに技術コンサルティングに就職することにしました。 でも、いずれは博士号を取りたいと考えています。

当社では、スターガルト病を対象とした第3相臨床試験を実施し、2022年8月には、トップラインデータが公表される予定です。「スターガルト病」は患者数が少ない遺伝性疾患であり、8千~1万人に1人がこの病気にかかると推定されていますが、現在有効な治療法がありません。

スターガルト病を発症すると徐々に視細胞が損傷され、視野の欠損、色覚異常、歪み、ぼやけ、中心部が見えにくいといった様々な症状が見られます。

一般的に、小児期から青年期にかけて発症しますが、中には成人期まで視力低下を自覚しないこともあります。

今回、クレイグ氏が語ってくれた“モットー”である「何度打ちのめされたかということではなく 何回立ち直れるかだ。」という言葉は、当社社長の窪田の「成功するまで諦めない」という志に通ずるものがありました。

当社は今後も“世界から失明を撲滅する”というビジョンの実現のために、最後まで諦めず、日々邁進してまいります。


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