ぽてと元年__7_

ぽてと元年 第三回 ヨシオカさんの話

ヨシオカさんは40代くらいのおじさんで、今どきポシェットを着けるタイプの、利便性を追求するおじさんだった。Twitterのアイコンを、ビールを飲んでいる自分の写真にするタイプの、小太りのおじさん。ラジオディレクターをしているという。私がツイートしたら度々リツイートや「いいね!」 をしてくれる。ありがたいんだけど、通知欄にビールを飲んだヨシオカさんの顔が出てくるのはちょっとウザかった。

実物のヨシオカさんに会ったのは2回しかなかった。最初は一度出た「レポTV」の収録で、2回目は私が開催した飲み会「ぽてとの会」で。ヨシオカさんを誘って、ぽてとの会は持ち寄りパーティなんだと説明したら、「ビールを1箱差し入れる」と言われて、それはやりすぎだと思ったので、断った。人に惜しみなく与える人なのだと思った。

ぽてとの会に来たヨシオカさんは、すごく楽しそうで、ビールを沢山のみ、大変に酔っぱらっていた。正直なところ、二次会あたりで「面倒な人」になっていた。お喋り大魔神だった。帰そうかと思ったが、楽しそうにしていたので、私の家で行う三次会に誘った。移動中に話をして、はじめてヨシオカさんが北海道出身であることを知った。

家に行く前に、コンビニに寄った。「ヨシオカさん、ビール買って」と言って、お喋り大魔神の持っている赤いカゴに、サッポロビールのロング缶を6本入れた。お菓子を選んでいる大魔神の目を盗んで、アルパカの白ワインも入れた。

三次会がはじまって1時間したら、私はすぐパジャマに着替えて寝たので、その後のことはよく知らないが、友人たちの話によるとヨシオカさんは朝までいたという。元気だな、ヨシオカさん、と思った。それが去年の12月のことだ。

6月の中旬にヨシオカさんの訃報を知った。

いやいや、最近まで元気だっただろうと、驚いた。信じられずに、ヨシオカさんのTwitterが更新されているかどうかを確認した。

「佐久間宣行のオールナイトニッポン0が面白い」という私のツイートのリツイートで終わっていた。いやいや、ヨシオカさん、これが最期ってことはないでしょう。最期っていうのは、なんかもっと、辞世の句を詠んだりするんじゃないのかな。まだまだ明日が続いていくと、ヨシオカさんは思っていたはずだ。こんなに急に、人がいなくなってしまうことに、呆然とした。今思えば、もっとたくさんビールを買ってもらえばよかった。

数日後に、西荻窪の中華屋さんで「ヨシオカさんを偲ぶ会」が行われた。

集合の19時から15分遅刻していくと、狭い中華屋の二階にぎっしり人がいた。ヨシオカさんは、写真として参加していた。額縁の中で、嬉しそうに笑っている。みんなが口々に「信じられないね」と言った。私も同じ気持ちだった。途中で、えのきどさんが、ヨシオカさんのお友達さんを連れてきた。お友達さんは、ヨシオカさんの第一発見者だったという。なにが起こって、なにが分かって、なにが分からないのか、順を追って説明してくれた。それでもやっぱり、信じられない気持ちだった。それに私は偲ぶ会に参加したものの、ヨシオカさんのことは何も知らないのだった。

私の隣の席が空いていたので、お友達さんが座った。私は「ヨシオカさんはどういう人なんですか? どういうものが好きだったんですか?」と聞いてみた。

お友達さんは、ヨシオカさんが北海道にいたときからの知り合いだったこと、面白い番組があればビデオテープを送りあっていたこと、ヨシオカさんが上京すると言ってきたとき『水曜どうでしょう』が始まったばかりだったから正直北海道にいてほしかったこと、を話した。ヨシオカさんは広島カープと日本ハムの試合があった時、ラジコプレミアムでまずRCC(中国放送)を聞き、そのあとに全く同じ試合をHBC(北海道放送)で聞くのだという。「どうかしてるんっすよ」とお友達さんが言ったので、「どうかしてますね」と笑った。

私はヨシオカさんにビールを買ってもらった話をした。隣に座っていた下関マグロさんは、ヨシオカさんと中華屋の取材に行ったとき、お店の人が気をつかってヨシオカさんのチャーハンを大盛りにしたら「体型を見て大盛りにされた!」と非常に怒っていた話をした。マグロさんは「今日はヨシオカ君が着てそうな服で来た」と言った。ボーダーのポロシャツと、ポケットが多いズボン、利便性追求型ポシェット。ポシェットは、ヨシオカさんくらいお腹が出ていないと似合わないアイテムなのだと思った。

そうやって、みんな口々にヨシオカさんとの思い出を話し合った。ヨシオカさんと恋バナしたことがあるだとか、あの人の笑い声は特徴的だったとか。私はヨシオカさんのことにちょっとだけ詳しくなって、ヨシオカさんとちょっとだけ仲良くなれた気がした。死んだ後に仲良くなるなんて不思議だけど。

今、仕事で知り合う人は、たいてい私より年上だから、たいてい私より先に死んでいく。私の祖父母は4人とも90歳を超えているし、私の生命線はくっきりと長い。これがあと何回も続いていくのか。想像するだけで堪えるなと思って、ビールをがぶがぶ飲んだ。

23時くらいに解散になって、「いい会だったね」と口々に言いながら、西荻窪の人、中央線で新宿方面へ行く人、三鷹方面に行く人に分かれた。私は新宿へ向かった。この時間になると、最近の近況とか、ヨシオカさんとは関係のない話もたくさんした。少しずつ人が降りていった。

私も新宿駅で中央線の電車から降りた。乗り換えのために階段を下りながら、少し年上のライターTさんに「正直、仕事相手の人が亡くなるのが初めてで、全然慣れないんですけど」と話しかけたら、「ずっと慣れないものですよ」と言われた。Tさんの最寄り駅を聞いたら、どう考えてももっと手前で乗り換えた方がよかった。ずっと慣れないまま、寂しいまま生きていくものらしい。

山手線に乗って、池袋を目指した。あれだけいた人も、5人くらいになっていた。相槌を適当に打ちながら、吊革に両手で捕まり、ゆらゆら揺れた。寂しいのに、みんな偉いな、大したものだと思った。1人減り、もう1人減り、私がとうとう電車を降りる番になった。目の前にえのきどさんと、トロさんがいたので「長生きしてね」と背中を叩いて降りた。トロさんに嫌な顔をされた。年寄り扱いしてしまったなと思った。でも、長生きしてね、バカみたいだけど本当にそう思った。あと、ヨシオカさんも、長生きしてね。もう死んじゃったけど。でも本当にそう思う。


筆者紹介
山本ぽてと (Twitter: @YamamotoPotato)
1991年沖縄生まれ。今年から家での飲酒は週2回までと決めた。お酒はちょっとだけ体にいいと信じていたが、ただ体に悪いと知った。連載に「在野に学問あり」「スポーツぎらい」。

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