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荒立神社秋の大祭

今年1月13日は荒立神社の秋の大祭でした。

荒立神社は今ではかなり有名となり、高千穂でも沢山の方が参拝に訪れます。

少し荒立神社の紹介。

御祭神は猿田彦神、鈿女の尊、さこ天満宮の大神(合祀)となります。

天孫降臨の際、天の八衢にて待っていたのが国つ神の猿田彦神。

体格は偉大で全身輝き、特に鼻が高く、目は大きく、顔は鏡のように赤く照り輝いていた。

先頭に立った神は、その眼の光に負け、問うことができなかった。

そこで、天照大神は天の鈿女尊に「そなたは女であるが敵と向かい合って強く、恥を恐れず、負けん気の強い神である。1人で行って降り行く道にいるのは誰かと尋ねなさい」と仰せられます。

鈿女の尊は胸乳を出し、裳ひもを臍の下まで垂れ笑いながら立って、天照大神の孫の御降りの道にいるのは誰かと問いました。

その神は「私は国土の神で猿田彦神と申します。今天つ神の御子様が御降臨なさると聞き、御先に立って道しるべをするため、御迎えしているのであります。」と答えました。

鈿女尊は「では、皇孫はどこへ行けばいいか」と問うと、「筑紫の日向の高千穂のくしふるの峰」と答えました。

鈿女尊はさっそく報告して、天孫瓊瓊杵尊は天の八重雲を押し分けて、猿田彦神の道案内を受けくしふるの峰に御降臨されました。

※ 鈿女尊がセクシーな姿で笑ってたという姿には、私は少々気味悪さも感じてしまうのですが💦💦

この猿田彦神は高千穂郷一帯の首長であり、天つ神の御神徳に感応し迎え入れ、道案内をしたとのことで、事業繁栄、縁結び、長寿、七福徳の守り神として全国に碑が建てられています。

そして、鈿女尊は天照大神が岩屋戸に閉ざされた際に、神楽の発祥ともなった榊に勾玉、葛をたすきにかけ、天の香具山の榊葉を手に持ち、舞われ、その姿に多くの神が御笑いになり、天照大神が不思議に思われ岩屋戸を少し開け外を見たときに手力男神がその戸を取って御でましになりました。

岩戸の話は有名ですが、鈿女尊は芸能の神とも言われています。

瓊瓊杵尊が鈿女尊に「先駆として道しるべをした猿田彦神をはじめに紹介したあなたが奉仕しなさい」と伝えます。

そして、この2柱は長崎村の逢染川のほとりでちぎりを結びました。(逢染のちぎりを結ばれたことで逢染川となりました)

神呂岐山の中腹に荒木を急いで宮居を御建てになった場所こそが後に荒立(建)神社となりました。

祭りの日は神事の前に奉仕者(神楽を舞う者)が神楽殿にて、【神降し】を舞い、神事があり、その後は奉納神楽、棒術とあり、その後は直会となります。

奉納神楽では祭神でもある、猿田彦神と鈿女尊の舞い、【彦舞】と【鈿女の舞】、そして、地元の神様荒神様を迎え入れる【杉登り】の3番が舞われます。

【彦舞】

【鈿女の舞】

【杉登り】の中で【入鬼神】が入ります。


この入鬼神の面様(めんさまではなく、おもてさまといいます)は、本組の屋号【中間下】にあり、祭りの時だけお目にかかることができます。上の家は中間上で先祖は寺侍であった家系らしく、苗字も一緒なので関連があるものと思います。阿弥陀如来不動明王木像もあるそうですが、見たことはありません。


実は私も以前は奉仕者(ほしゃどん)をしてまして、彦舞と杉登り、神降ろしをやったこともあります。

本殿の中に祀られてある猿田彦神の面様をつけると、緊張感と嬉しさを感じたものでした。

神楽の後は棒術です。

荒立神社で神官を務める興梠氏は大昔より荒立神社の神官職をしており、現在の武重氏は鍵守として27代目と言われています。

古文書も多く残されており、その中で棒術が神影流が伝えられています。

戦国時代この地を治める藩が小さかったために、常時多数の武士を城内に置くことが出来なかったため、戦いの時だけに小侍や足軽というもの達の中で伝承されたと伝えられています。

それが終わると直会です。

直会とは、祭事が終わってから神酒(みき)・供物を下げていただく宴会のことを言います。

昨日も県外からもたくさんの方が来られました。

例年になく、道路状況もよかったので、たくさんの方が来やすかったのではないかと思います。

参考文献
本組公民館発行 「神々の里 本組 たかまがはら」
高千穂町老人クラブ連合会発行 「高千穂の故事伝説・民話」

高千穂郷レキシsong
「Dance Dance Uzumaytion」
平井邦幸/作詞/作曲

https://soundcloud.com/uzumekamuroki/dance-dance-uzumaytion

#高千穂 #高千穂郷 #神社仏閣 #荒立神社 #猿田彦神 #鈿女尊

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