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「闘病はきらいです」その2

2月14日(木)
午後3時ころに某泌尿器科クリニックから○○市日本赤十字病院に転院。
受付ではすでに私の名前が連絡されていて「あそこに見える○○番の消化器内科に行ってください」と教えられた。

この病院は各科、各検査室、各病棟などに大きな数字が付されている。
行きたい目的場所に矢印も示されているが、建物内部が複雑で慣れていない人は迷うだろう。

消化器内科の窓口に、クリニックから渡された紹介状とスキャンデータを提出した。「少し待ってください」と言われ、診察室の前にある椅子に座って周囲を見たが来院・通院患者は誰もいない。この病院の診察は午前中で終了しているのだ。
午後はわたしのような急患や入院患者の検査、手術などにあてがわれているのだろう。


わたしのほかに妻と娘が一緒に来ていた。
不安そうな二人だったが、私は普段と変わらない平常心だった。

「わたしにも、その時が来たかな・・・」

わたしの父も母も、すい臓がんで亡くなっている。
父が死んだのはわたしが20代のころ。
母のときは、わたしは40代だった。

母の初期症状ははっきり覚えている。
母は車で2時間ほどの寒村に、父の死後ずっとそこに一人で住んでいた。
「はくろう病」という手指の冷えやしびれがあった。
村に医者がいなかったので、隣町まで定期的に通院していた。
その町医者から電話があった。
「手におえない症状なので、△△市の病院に転院させた」

飛んで行って母の上半身を見た。黄疸になっていた。
医者は「胆管が塞がっていて胆汁(ビリルビン)が行き場を失って身体に逆流して黄色くなっている」
母のそれが癌との闘いの、始まりだった。

だから、同じような症状が私の身体に起きていることは想像ができたのだ。

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