大阪都心の社寺めぐり-地域のお宝さがし-22四天王寺

■飛鳥様式の美しい寺院を堪能しよう!■
所在地:〒543-0051 大阪市天王寺区四天王寺1-11-18

■大陸伝来の伽藍配置■
四天王寺は、推古元年(593)に聖徳太子によって造営された由緒ある寺院です(『日本書紀』)。「四天王寺式」と称される、南北の軸線上に南大門・中門・塔・金堂が並び、回廊が講堂に接続される伽藍配置は、中国や朝鮮半島にも遺構が見られるそうです。
飛鳥時代(6世紀末~8世紀初頭)の寺院の伽藍配置における、仏舎利を納める塔と金堂の位置に注目すると(図1、実教出版『建築史』)、最古の飛鳥寺は塔の左右と背面に金堂(1塔3金堂)、続く四天王寺は塔の背面のみ(1塔1金堂)、川原寺は1塔2金堂で塔と金堂が東西に並置、そして法隆寺では1塔1金堂の東西配置となります。

図1

法隆寺の形式は、中国や朝鮮にも類例が見られない、わが国独自の形式と考えられています。

■近世・近代の伽藍■ 
近世の四天王寺は、天正4年(1576)の石山合戦で焼失し、豊臣秀吉の命により慶長5年(1600)に復興た伽藍のうち、五重塔は大和国額田部郡額安寺から移建されましたが(注1)、大坂冬の陣(慶長19年=1614)で焼失します。『摂津名所図会』にも、「金堂の南にあり原此宝塔ハ和州額田部村額安寺にあり」と紹介されています(注2)。

注1)額安寺五重塔の創建時期は鎌倉以前と推定されている(「四天王寺-Biglobe」)。同寺は奈良県郡山市に現存。
2)わずか14年で焼失した短命な塔の本籍を紹介した作者秋里離島に驚く。

冬の陣後、徳川家康の命により元和9年(1623)再建されます。以後、寛文4年(1664)から同10年まで修理。安永2年(1773)にも伽藍が大破しますが、天明8年(1788)に修理が完成しています。このように修理を繰り返しながら、元和再建の伽藍が維持されてきたのです。その景観は、南北の軸線上に南大門・中門・五重塔・金堂・講堂が並ぶ「四天王式」で、金堂屋根のみが、切妻屋根の四方に下屋を葺き降ろした「錣葺き」[しころぶき]になっています(図2)。

図2

しかし、この伽藍は享和元年(1801)の雷火により焼失、文化9年(1812)に再興され、明治時代を経て大正6年(1917)に修理が行われました。その景観を見ると、中門・塔・講堂が描かれ、「四天王寺式」伽藍配置と分かりますが、五重塔がデフォルメされているためか、金堂が描かれていません(図3)。

図3

この伽藍は、昭和9年(1934)の室戸台風により、五重塔・中門倒壊、金堂傾斜という大きな被害を受けたため、昭和15年に再建されますが、昭和20年3月の空襲で六時堂・元三大師堂・石舞台などを残して焼失し、昭和38年10月に伽藍修興記念大法要が行われました。

■戦後の復興■
●復興の方針● 
復興の主眼(注3)は、主要な堂塔を創建時の姿にすることで、参考とすべき建築として、様式的(飛鳥様式)に共通点が多かったと推測される法隆寺が掲げられます。法隆寺金堂は、五重塔・中門より太く逞しく、様式的に時代が溯ることから、創建時四天王寺の様式はさらに逞しく、かつ素朴であろうと考えられました。そこで法隆寺の先行様式として、北魏(386~534)の敦煌・雲岡などの石窟寺院、百済(4世紀前半~660)の公州などの古墳に見られる建築的要素などが参考にされましたが、大陸的な粗放性が強いため、法隆寺様式に見られる日本的な特色も考慮されています。

●五重塔●
法隆寺の飛鳥様式の特徴は、胴張りもつ円柱、皿斗[さらと]をつけた大斗[だいと]、雲肘木[くもひじき]、高欄の卍崩しの組子、人字形割束[じんじけいわりづか]などです(図4)。

図4

四天王寺の飛鳥様式を、五重塔をもとに見てみましょう。(図5~6)
①柱・斗栱・人字形割束
・柱は、下部より約1/3の部分の膨らみが最大で、胴張り[どうばり]が強い。
・柱上の大斗の前方に雲肘木、他は肘木の上に巻斗[まきと]がつく。
・大斗・巻斗などに皿斗がつく。
・人字形割束は、法隆寺の曲線状より古い直線状。

②丸太材と扇垂木
・軒桁・丸桁[がぎょう]・垂木などはすべて丸太材。
・垂木は軒の四隅に放射状に配される隅扇垂木(注4)。
・垂木は丸太材であるから反らない。

図5

図6

注3)復興の経緯などは、『復興四天王寺』(1981年)を参照。
4)講堂北接部の地中から、垂木が丸太材で隅扇状に配された痕跡が発見されたことから、奈良時代前期には四天王寺に用いられていたことが判明した。隅扇垂木は、鎌倉時代、東大寺大仏殿再建の際に宋より取り入れた形式で、「大仏様」ともいわれる。

図7

中門の柱上部の皿斗がついた大斗の前方に雲肘木、左右の肘木両端には皿斗がついた巻斗が乗り、柱間中央には直線状の人字形割束が備えられています。屋根は、錣葺き、五重塔の背面の位置する金堂の屋根も同様です。五重塔の軒は一軒[ひとのき]、垂木の断面は丸く、垂木は隅部が扇状に配されています。西側から見る五重塔と金堂は屋根の勾配がゆるくのびやかで、軽快な感じがします(図8)。

図8

五重塔の柱間が1~4層目までは3間、5層目は2間と狭くなっているのは、古代建築ではよく見られますが、うっかりすると見落とします。
法隆寺よりも古式の飛鳥様式で復興された、四天王寺の美しさをじっくり味わいたいものです。

■閑話休題■
①四天王寺には見所がたくさんあります。西門の石造鳥居(重文)は日本三鳥居の一つです。他は木造の厳島神社の鳥居(広島県、重文、世界遺産)、銅造の金峯山寺蔵王堂の鳥居(奈良県、重文)です(図9~11)。

図9

図10

図11

②「大阪都心の社寺めぐり」は今回で終了です。社寺の移転などから、近世の大坂が豊臣秀吉の都市計画によるところが多いこと、また、大坂が近世から続く歴史都市で、『摂津名所図会』や古絵図を見ながら楽しめる、魅力ある都市であることを改めて感じました。
今後は、新たなテーマで都市や建築の面白さを発信していきたいと思っています。

【用語解説】
・皿斗:柱上部に設けられる薄い皿形の斗[ます]。
・斗:組物を構成する、上部が直方体、下部が曲面の部材。「と」ともいう。
・大斗:柱の頂部に配される最大の斗。
・人字形割束:人の字形をした束。
・胴張り:柱の中程に膨らみが施され、上下端がすぼまっているもの。
・巻斗:肘木の両端に備えられ、丸桁などを支える斗。
・肘木:斗栱[ときょう]を構成する斗や桁を受ける水平材。
・斗栱:社寺建築などの深い軒を支えるために用いられる、斗と肘木で構成されたもの。
「組物」ともいう。
・一軒:地垂木[じだるき]だけで構成された軒。
・地垂木:二軒[ふたのき]の下段に位置する垂木。
・二軒:地垂木と飛檐垂木[ひえんだるき]を用いて二段に構成された軒。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?