大阪都心の社寺めぐり-地域のお宝さがし-19今宮戎神社

■商売繁盛の神様。「えべっさん」の圧倒的なパワーをもらおう!■
祭 神:天照大神、事代主命、素戔嗚尊、月読命、稚日女命。
所在地:〒556-0003 大阪市浪速区恵比須西1-6-10

■由緒■
当社は、聖徳太子が四天王寺を建立したさい(推古9年=601)、西方守護のために勧請されたことに始まるといいます。平安時代後期には、西門で開かれる「浜の市」の守護神として当社の「戎神」(=事代主命、以下「えべっさん」)が祀られ、市が発展すると、商業繁栄の神として信仰されるようになり、慶長14年(1609)には社領18石6斗余が与えられました。商都大坂の発展とともに、「えべっさん」も商売繁盛の神として崇敬されます。

■十日戎■
延宝3年(1675)には、1月10日の「縁日」が「十日夷」と呼ばれています(『芦分船』)。市中はもとより、「近国近在の貴賎群参して福を祈る比類なき大市」で、多くの参詣人がありました(『浪華の賑ひ』)。「えべっさん」は耳が遠いことから、参詣人は、本社の背面の壁を拳や木槌で叩いて「戎さま参りました」と参詣を知らせました(『浪華百事談』)。参詣人の多さと、本社背面に群がる人々の様子は図1(赤□)から窺えます。

図1

元禄年間には「宝恵籠」の奉納が行われるようになり、その賑わいぶり、圧倒的なパワーは現在も同じです。
参詣後は、「米苞・小判・大判・白銀包」を付けた笹を買い、笹を肩にのせて帰宅し、「家の内に挿して富貴繁昌の兆とする」のが慣わしでした(『大阪府全志』)。図1左上の「商人の/よく(欲)に心や/くるふ(狂う)らん/ゑひす(戎)/参りの/笹かたけゆく(行く)」は、この様子を歌ったものでしょう(赤○)。
「十日戎」は元来9日・10日でしたが、明治初期頃には、「あまり福を受けんとて、十一日に少し詣る人あり」、3日になったのは近代になってからのようです(『浪華百事談』)。

■景観■
●江戸時代●
『図会』によると、境内の南東部が欠込まれています。南・東・北に設けられた門の描写から、正門と思われる東門を入ると、右手に鳥居、瓦葺き切妻屋根[きりづまやね]、平[ひら]入りの拝殿の奥に、桧皮葺き切妻屋根、平入りの本社が描かれています(図2)。

図2

本社は、図1から流造り[ながれづくり]と分かります。門・鳥居・社殿の配置も図1と同じですが、違うのは参詣人の数で、普段は静閑な空間であることが分かります。境内は、文化3年(1806)には、南東部が拡張されて整形になり、拝殿は入母屋屋根で正面中央に破風[はふ]が設けられています(注1、図3)。

図3

注1)図3では千鳥破風[ちどりはふ]に見えるが判断しがたい。また本社は描かれていない。門は、三箇所とも同規模・同形態で描かれている。

●近代●
近代になると、境内の形は変わりませんが、南門が正門となり、拝殿は桧皮葺き入母屋屋根[いりもややね]、平入りで、正面中央に唐破風[からはふ]が設けられています(図4)。

図4

当社は大火にあっていないので、文化年間の社殿が近代まで継続したと思われます。
明治3年(1870)には上地して無格社、同41年に村社となりますので、この時期に南門が正門になったと思われます。これらの社殿が、昭和20年(1945)3月の空襲で焼失するまで継続した可能性があります。

●現代●
本殿・拝殿など、木造の美しい社殿が昭和31年に復興されます。設計者は、建築家池田谷久吉氏です。池田谷氏昭和31年2月に亡くなっていますから、同年11月に竣工した本殿・拝殿などは池田谷氏最晩年の作品といえます(注2)。
 正面の三つ鳥居[みつどりい]の奥に拝殿が配されています(図5)。拝殿前の狛犬の表情がユーモラスで、思わず笑みが浮かびます(図6)。

図5

図6

拝殿は、入母屋屋根の平側に千鳥破風、向拝[こうはい]の軒先に唐破風が設けられ、鋭い屋根の線と優雅な軒反りをみせています(図7)。

図7

唐破風の下をみると、下段の虹梁[こうりょう]中央に蟇股[かえるまた]、上段の虹梁下部に眉[まゆ]、左右に袖切り[そでぎり]と若葉文様[わかばもんよう]が施され、上部中央に大瓶束[たいへいづか]と笈形[([)おいがた]が備えられています(図8)

図8

向拝と本体を海老虹梁[えびこうりょう]でつなぎ、扉は正面に桟唐戸[([)さんからど]、両側面に蔀戸[しとみど]が用いられている。軒は二軒[ふたのき]、垂木は間隔が広い疎ら垂木[([)まばらだるき]です(図9)。

図9

本殿は、三間社流造り[さんげんしゃながれづくり]で、図2と同じ形態です(図10)。

図10

本殿が寛政期から継続してきたとすると、池田谷氏はこれらの社殿の形態を踏まえて、復興社殿を設計したのではないかと想像されます。

注2)池田谷氏については、別稿で紹介の予定。

■閑話休題■
道頓堀川に架かる戎橋周辺は、江戸時代も現代も大変な繁華街であるとともに、今宮戎への参道であることはよく知られています。図3を見ると戎橋の南部に「夷宮」が確認されます。近代になると周囲の景観が一変しますが、図4に示した矢印のように、大勢の人が参詣したのでしょう。戦前には、戎橋の南東に松竹アドビル(写真11)、北東にはつい最近まで、キリンプラザ大阪(写真12)がありました。キリンプラザは、松田優作の違作映画「ブラック・レイン」にも登場し、美しい姿を見せてくれました。

図11

図12

【用語解説】
切妻屋根:棟から軒桁[のきげた]に向かって二方向に傾斜をもつ屋根。
平:棟と平行な側。
流造り:神社本殿の形式。切妻屋根、平入りの前面に庇を延ばしたもの。
破風:屋根の妻側などに山形状に取り付けられる板や付属物の総称。破風板の中央が起り、
左右が反っている唐破風、切妻の千鳥破風などがある。
千鳥破風:屋根面に設けられた切妻の破風。
入母屋屋根:寄棟屋根と切妻屋根を合わせた屋根。
唐破風:向拝などに設けられる、中央部が起り、両端部が反っている破風。
三つ鳥居:両側に小鳥居を設けた鳥居。「三輪鳥居」ともいう。
向拝:礼拝のために設けられた、社殿などの正面から突き出た部分。「ごはい」ともいう。
虹梁:社寺建築などに用いられる、中央部に起りをつけた梁。
蟇股:虹梁などの上に配される、かえるが股を広げたような形式の部材。

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