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『邪神捜査 -警視庁信仰問題管理室-』第5話「喰人事件」③

「主人は……ここ数か月は着替えを取りにくるだけで、ほとんど家には帰ってきませんでした」

 被害者の山岸の妻多江は、そう答えた。
 そもそも夫婦仲は冷めていたうえに、鎹となりそうな子供もおらず、一年近くまともに会話も交わしていないそうである。
 一週間に一度、山岸から電話があったとき着替えの準備をして、替わりに置いておく汚れた衣類を洗濯して畳んでおくのだけが夫婦間のコミュニケーションだったらしい。
 彼女はピアノの講師をしているということで、自分だけで生きるスキルもあり、山岸の財産を当てにしなくても生きていける立場だった。
 顔つきや話し方から、僕はこの妻を容疑者からは外すことにした。
 疑い続ける捜査員がいても構わないが、僕の勘は調べるだけ無駄だろうと告げていた。
 彼女は殺すだけの熱を夫に対して有してはいない。
 まして内臓を持ち去るなんてことは絶対にしないだろう。

「ですから、ここ最近の様子は本当にわかりません。最後に顔を合わせたのも、もしかしたら半年前かもしれないぐらいです」
「ご主人が……その……どういった仕事で外にでていたかはわかりますか? そのことについて詳しい方の心当たりなども?」
「ああ、主人の女関係を疑ってらっしゃるのね。カメラマンという職業柄、昔はかなり浮気もしてくれて私もだいぶ泣かされましたけど、四十歳を超えたあたりから、あの人、その、EDですか、そういうのになってしまいまして、女には興味を示さなくなっていまして。ほとんど、仕事一筋みたいになっていました。携帯の履歴でも調べていただけるとわかると思いますが、仕事の関係以外の他人とはあまり会うこともなくなっていたみたいです」

 EDになったからといって性欲が衰えて、絶対に女に興味がなくなるというわけではないけれど、奥さんの発言はほぼ事実だった。
 ここしばらくの山岸の女性関係は淡白なもので、携帯電話の履歴やLineのログを調べても、二年ぐらい前から色っぽい話はゼロ。
 ストイックに仕事に打ち込んでいたようだ。

「では、最近のご主人の様子を知るには仕事関係にあたるしかないということですかな?」
「……そうねえ。もしかしたら、お友達に聞くのが一番かもしれないわ」
「お友達?」
「主人には中学校時代からの親友が二人いまして、主人の誕生日にはここに招いて呑み会を催したと聞いています」
「ほお。では、そのとき、奥さんも同席されて?」
「いいえ、私は行きつけのホストクラブでお友達とパーティーをしておりましたわ」

 ……有閑マダムみたいなものか。

「それで、そのお二人の親友の名前を聞かせいただけますかな?」
「お医者様の加藤大介さんと不動産屋の西川幸次さんです」

 医者と不動産屋ねぇ。
 調べてみたら、山岸の通話相手として頻繁に履歴の残っている二人だった。

              ◇◆◇

「利勝のやつとは、たまに集まって飲むのが昔からの約束みたいなもんでね」

 外科医の加藤大介が診療の合間に僕たちの訪問を受けてくれた。
 かなり大きな病院に勤めている勤務医で、見た目も清潔感溢れるこざっぱりとした男でモテそうな感じだった。
 医者にしてはがっちりとした体型でスポーツマンっぽい。
 ここに来る前、ペアを組んでいる一課の先輩刑事からも、医者―――特に外科医ということでこの加藤が怪しいという話がでていた。
 何故かというと、被害者の内臓をごっそりと持ち出す手口からして、いつも人間の肉体をメスで切り刻んでいる外科医ならば簡単だろうという乱暴な推理によるものだ。
 それに、犯行当日は夜勤もなく一人暮らしの自宅で寝ていたということでアリバイもなかったのも事実だ。
 とはいえ、僕もそんなに間違った推理だとは思えない。
 そもそも、今回の犯人は人を殺すのと解剖するのにとても手際がいい。
 人間の腹を割って内臓を取り出しておきながら、血などの物証らしいものを一切残していないぐらいだ。
 所轄と本庁の監察課がそれらしい物証を何も見つけていないぐらいなのだから。
 つまり、色々と慣れていなければ難しい作業だと思われる。

「中学の頃、麻布にある学校で知り合ってね。高校まではエスカレーター。大学は違ったが、今でも付き合いがある、まあ親友だね。いや、だった、か」
「最後にお会いしたのはいつですか」
「三ヶ月前だったかな。今度、あいつがうちの病院に手術入院するもんで、その前にしこたま飲もうという話だったんだ。それで、西川も来て、朝まで飲んだよ。奥さんには会わなかったから、そのときの話は西川にでも聞いてくれ」
「検査入院の三か月前って、前祝にしては早すぎませんか?」
「利勝の次の写真集の完成がずれこんじまったんだ。ホントなら、先月には入院している。あいつ、入院して手術するのが二度目だから舐めてかかっていたんで、当時の執刀医だった私から説教をしてやったのが最後の電話になってしまったな」
「それはいつ頃のことですか?」
「履歴を見ればわかる―――三日前だな」
「そのときに、何かおかしなことを言っていませんでしたか? 誰かともめているとか?」
「いいや、特にない。むしろ、新作についての自慢というか説明を始められてヒィコラ言ってしまったよ。最近のあいつのモチーフは気持ち悪いものが多いから聞きたくなかったんだがね。飲み会の時もその話ばかりだった」
「モチーフとは?」
「ああ、確か、サンプルみたいなのをもらったな。ちょっと待っててくれ」

 一度、医務局に戻ってから加藤がもってきたのは、一枚の写真だった。
 山岸はカメラマンなのだから、作品といえば写真なのは当然だった。
 それを見せられて、僕は眉をひそめ、先輩刑事は目を丸くした。

「気持ち悪いだろ。どうやって造形したんだからわからないが、よくまあ、こんな気持ちの悪いやつを撮ったよ。最近のCGはたいしたもんさ」

 一見、ボロをまとった人間。
 だが、頭部には一本の毛もなく、双眸は血光を放ち、分厚すぎる唇の下からのぞく歯は牙というほどは鋭くなく欠けていた。
 ねとりと伸びる赤い蛭は舌なのかもしれない。
 肩幅が広く、前のめりに変形した下半身、地面までのびた両腕といい、不気味でバランスの悪い体形をしていた。
 よくもこんな奇怪なものを作り出して撮影したものだ。
 被害者はカメラマンではなくCGクリエイターか何かなのだろうか。

「これが、今の彼のモチーフだったんですか? 自然派のカメラマンだと聞いていましたけれど」
「あいつの『新作』ではないよ。習作の段階さ。あいつが言うにはまだまだ出来が悪いんだそうだ。うまく仕上げたら、とてつもない傑作になると自慢気に言っていたが、こんなイロモノを撮っても誰からも褒められやしないって。それは西川も言っていた。西川まで遠回しに批判するもんだから、最後は殴り合いの喧嘩になりそうだった。おっと、だからといって、あいつに私が恨みがあるとかはなしだよ。昔から、よくそんな喧嘩もしたからこその親友さ。まあ、下手に顔に怪我なんてすると、教授選挙によくない噂を立てられたりするから、今の時期は絶対に手は出さないけどね。ただでさえ、離婚しちまったせいで色々と素行不良とかあることないこと言われてるし」

 よく喋る男だが、写真について言っていることは別におかしくない。
 このトンデモ写真でいったいなにを表現しようというのか、僕にはさっぱりわからない。
 
「そうですか。では、現場近くの山岸氏のアトリエに入ったことはありますか」
「そりゃあ、あるよ。だから、調べれば私の指紋だってペタペタ出てくると思うな。まあ、何か月も前の古いモノばかりでしょうけどね」

 随分と余裕がある、と思ったが大学付属病院のトップの教授選にでようというのだ、それなりに度胸が据わっているのだろう。
 警察を前にしても動じる様子がないのはたいしたものだった。

「そういえば、週刊誌によると、利勝の死体の一部が持ち去られて、皮膚に歯形がついていたらしいね。犯人はカリバニズムの傾向のあるサイコパスだって推理が載っていた。事実なのかい?」
「そういう趣旨の記事があるのは確認しております。ただ、捜査情報をマスコミに漏らすことはあり得ませんので、不確定情報を面白おかしく書きなぐっただけでしょうね」
「現代の食人鬼だとか、なんとか。……利勝も浮かばれないよな。ねえ、刑事さん」
「……気になるんですか?」
「かなりね。親友の遺体の一部がどこにいったのか、なんのためにとか、気にならずにはいられないさ」

 歯形の件については、わざと情報がリークされている。
 実際、みつかった歯形は跡がついているだけで、当然付着すべき唾液も検出できず、なんのためにつけられたものか不明のままなのだ。
 むしろ、捜査かく乱のための犯人の小細工だろうという結論で終わっていた。
 だったら、わざとマスコミに流して反応が出ればよしというのが大熊管理官の決定だった。
 加藤が気にしているのは、まあ想定の範囲内だったが、そこまで重要そうな反応ではなかった。

「わかりましたありがとうございます」
「ああ、できたら、病院の他の関係者にも聞き込みしていってくれよ。私のところに警察が来たって構わないが、その理由を誤解されると困るのでよーく説明していってくださいよ。でないと、名誉棄損で訴えますからね」

 加藤は右手で僕らと握手をしてでていった。
 色々と気に食わない相手だということが分かった。
 ちなみに右利きだということも。

「容疑者だと思いますか?」
「怪しいと言えば怪しいが動機がないな。中学以来の親友の肉を食う気になるサイコパスにはさすがに見えないしな」
「そうですね」

 これで医者からの聞き込みは終わった。


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