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『邪神捜査 -警視庁信仰問題管理室-』第4話「球形密室事件」④

 降三世警視が戻ってくると、吉柳鳶彦は何事もなかったかのようにその場から去っていた。
 しかも、自分のデスクでやりかけの仕事を再開している。
 やはり思考形態がそこいらの人間とは確実に違う。
 思考が違うというと、人生で最初にそれを実感させられた狂人が勝手に僕に出されたコーヒーを飲みながら寛いでいた。
 何一つ断りも入れないところが完全にまともではない。
 が、色々な意味で助けてもらった直後なのでここはスルーしておいてあげるとしよう。

「で、久遠くんは私に何の用なんだい?」

 コーヒーを完全に飲み干してから、降三世警視は口を開いた。
 吉柳が淹れ、僕が口をつけたものをよくもまあ平気な顔で呑めるものである。

「一課の大熊管理官から、ある事件について警視にご報告しておくようにと言われました」
「なんだい!? 私を飲みに誘いに来たんじゃないのかね? まったく私はこの後のアフターファイブを想像してわくわくしていたのに」

 えー……何が悲しくてあんたなんかと飲みに行かなきゃならんのよ。
 あと、アフターファイブなんてあんたの辞書に本当に載ってんのか。字面からして納得できないんだけど。

「しかも、熊!! 熊からだと? あんな胴間声を張り上げるだけが取り柄のような無神経な管理官の元で行われる事件の捜査なんて私は一切興味がないよ。帰ってくれないか、私はまだまだしなければならない調査が山ほど溜まっているんだ」
「さっき飲みに行く気満々だったじゃないですか……」
「それはそれ、これはこれさ」

 面倒くせ。
 とはいえ、僕も子供のお使いできている訳ではない。
 一応、事件のあらましだけは説明しておいて、万が一この変人に捜査をひっかきまわされないように釘を刺さなければならない。
 
「そう言わずに聞いてください。警視好みの変なオカルト的な部分もない訳ではないので」
「オカルトねえ。一般市民のいうオカルトほど他愛のないものもないからねえ、あまり期待できないな」

 鼻でもほじりだしそうなくらいに興味がない顔だった。
 黙っていれば貴公子然としているのに、この表情だけでとてつもなく胡散臭い男に見えてくる。
 説明するのも嫌になってきたな。
 ここは我慢して頑張ろう。おー。

「なにしろ、密室殺人事件なんです」
「そんなもの巷にありふれている。有象無象の名探偵でも呼ぶがいい」
「しかも、室内は石膏で天井と床の四隅と角になるべきところが全部丸められていて、全体的に丸く形作られていたんですよ」
「……うーん?」
「被害者は何ものかにずっと命を狙われていて、この部屋にいれば助かると周囲に漏らしていたみたいでどうしてそういう思考に至ったのか、ホントに謎だと思いませんか?」

 ここまで話した段階で、ガバっと警視は立ち上がった。
 それで僕に人差し指を突きつける。

立ってスタンドアップそしてアンド捜査しろインヴェストゲイト!」
「えっ?」

 警視はあらぬ方向を見つめながら、叫んだ。

「どうしてさっさと私のところに来ないんだ、このアンポンタンめ! それは『鋭角のない部屋』のことじゃあないか! すなわち、殺された男を殺したものの正体は殺したものとしてすでに決まっているのだ!」

 興奮しすぎて最後のあたりが意味不明すぎる。
 だが、細貝の事件については大熊管理官の言う通りに降三世警視に伝えておいて結果的に良かったのかもしれない。
 この事件は、確実に、警視の―――つまりはこの信仰問題管理室の公務の範疇に含まれているということなのであろう。
 僕としては不運だけど。

「よし、今すぐにでもその現場に行こう! ついに私も猟犬を目撃することができるかもしれないんだからね!」
「ちょ、ちょっと待って下さい、警視。今はまだ捜査本部の捜査が終わっていないので、いかに警視でも部外者ですから加われませんよ。いくらなんでも大熊管理官が許してくれません」
「む、そういえばそうか。熊は、私に対しては何故だか知らないけれど、ことのほか辛辣なことを言ってきたりする面倒な奴だ。下手に私が調査をしているときに邪魔をされても困るしな……」

 だいたい、お邪魔虫はあなたです。

「わかった。その事件において密室なんて何の意味もないのだけれど、愚鈍で間抜けな熊の部下たちにとっては深刻な問題なのだろう。久遠くん、とりあえず事件のあらましを全部一切合切縦横無尽に喋りたまえ。私から特に優れた助言を与えてやれば、あいつでも少しは人類の言語を解せるようになることだろうさ」
「相変わらず凄い自信ですね……」
「私が相手にしているのはもっと狡猾で知恵のある連中なのだ。ちんたら野山を駆け回る熊ごときとは違う」

 いちいち大熊管理官に対して悪口が多いな。
 なんか対立関係でもあるのだろうか。

「それでは……」

 警視が椅子に座ってくれたので、ようやっと落ち着いて話ができるようになった。
 僕は持参した捜査資料を片手にできるかぎりわかりやすく事件についての説明を始めた。
 うんうんと珍しく素直に聞く警視。
 そして、明らかに耳を澄まして盗み聞きをしている吉柳。
 言葉を発するだけで疲労困憊しそうな環境であった……

           ◇◆◇

「なるほどね」

 ほとんど口を挟まれることなく、説明は終わった。
 現段階で捜査本部に達している情報はすべて語りつくした。
 以前からそうなのだが、この頭のおかしい警視殿は事件の説明をするときはだいたい大人しい。
 一度喋りだしたらろくなことを口走らないのに、他人の話を丁寧に聞くというマナーはわりとしっかりしているのだ。
 おそらく育ちがいいのだろう。
 バーバリーの三つ揃えを常に着ていることからしても、やはりかなりいい家柄の出身だと思われる。
 とはいえ、普段の行状があまりに酷すぎるので家柄の七光りはまず輝きそうにないが。

「いくつか質問がある」
「はい、どうぞ」
「被害者の細貝何某とやらが会社でやっていた業務についての詳細はあるかい? 決算書とかそういうものではなくて、全体的な―――事業計画のようなものだ。補助や助成金をうけるときに提出するだろう。そういうものだ」
「手元にあるのはこのぐらいです」

 あいにく警視の欲しそうなものはなかったので、細貝の経歴を調べたファイルを渡す。
 かなり分厚いのは、細貝の会社の事業が多岐にわたっているためだ。
 どうしてこんなに色々とやって、しかもすべて黒字に持って行けているのか不思議でならないレベルではある。

「……なるほど、恐ろしいほどの先見の明があり、投資のすべてが成功している。まるで答えがわかっているかのようだね」
「太陽光を始める種資金も、東北の震災の少し前に木材などをかなり買い占めていたことで出したものみたいですから、運もいいみたいです」
「運ねぇ…… 細貝の自宅にはこの部屋にあるようなものはあったかね?」

 この部屋って、信仰問題管理室のようなものってことか。
 僕は記憶の底を漁った。
 そんな怪しげなものはどこにもなかったけど……

「そういえば、中国の古い文献みたいなものはありました。漢字で書いてあったから中国のものだと思いこんでいましたが、言われてみればここの本と雰囲気がよく似ている」
「他にも大陸から輸入されてきたらしいものが置いてあったはずだ」
「ああ、確かに」

 単に中華趣味なだけだと思っていたけれど、言われてみれば家のあちこちにオリエンタルな趣きの小物が飾られていた。

「細貝の本当の経歴を調べたければ、そっちの雑貨などの中国との輸入関係を調べればいい。おそらく足跡が残っている。私の考え通りならば、副業的感覚で漢籍の古文書などを仕入れて専門の業者に卸していた会社をあたれば見つかるだろう」
「本当ですか?」
「―――ところで久遠くん。一つ、ものは相談だが……」

 降三世警視は目を細めて悪い顔をした。
 相談というよりも悪だくみを持ちかけられているのは間違いない。
 とはいえ、階級の関係上、また、僕が今までの警視とのつきあいの歴史上、この相談とやらを拒否することはできなさそうだ。

「いつものように私がさっさとこの事件の謎を解いてしまえば、細貝の自宅を念入りに調査できるように働きかけてくれるよね」
「―――お、大熊管理官にさえバレなければ」
「それはどうとでもなる。むしろ、警視庁の人間の方が手を回しやすい。問題なのは現場の所轄なのさ。実直で融通の利かないのが多いからね。昔の君みたいに」
「お言葉ですが、自分は今でも融通が利きませんよ。……一日二日なら、なんとかできます」
「よろしい!」

 パンと柏手一つ。
 警視は機嫌がよさそうに立ち上がり、歩き出した。

「久遠くん、車を出したまえ! 細貝の自宅へ案内するんだ。あと、その資料も忘れないように」

 さっさと管理室から出ていってしまう警視を追いかけようとすると、僕の代わりにテーブルに投げ出されたかなりの数の資料を片づけてカバンに入れる男がいた。
 吉柳鳶彦だった。
 だが、吉柳は資料を入れて分厚くなったカバンを僕に渡さずに、なんと自分の肩にかけた。
 なんのつもりだと問おうとしたら、

「お供いたします、久遠巡査長」

 と、能面のような無表情でまたまたグイグイと迫ってきやがった……


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