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#160 東大和市の戦争遺跡【まちの風景】

2023年9月3日(日)訪問。


「西の原爆ドーム、東の変電所」

長いこと東京に住んでいますが、ここの存在を知ったのは一年位前。せっかく東京市部に越してきたので1度は行ってみたいと思いつつ先延ばしになっていましたが、やっと今日行くことができました!

旧日立航空機株式会社変電所

平成7年に東大和市文化財に指定。改修工事を行う。
令和2年から3年には老朽化等に対応するため、2回目の保存・改修工事を行い、空襲の痕跡が残る壁の崩壊を防ぎ、2階への立ち入りができるようになった。空襲の痕跡は、外壁だけでなく建物内部にも残り、当時の空襲の凄まじさを今日に伝え続けている。

リーフレットより抜粋
のどかな雰囲気の玉川上水駅
今日は西武ライオンズの電車に乗れた😊

9月なのに、まだまだ暑い日曜日。
目的地が西武線の玉川上水駅からさほど遠くないのが助かります。

駅前からは、イオンモール行きのバスが。
この辺りでは、最大のショッピングモール
ひと気のない玉川上水駅前
駅前の通りはきれいに整備されている
駅方向を望む。人も車もほとんどいない。
5分ちょっと歩くと、公園の奥に目的地発見‼️
公園の中でひときわ異彩を放っているのですぐにわかる。

そして、近づいてみると…。ネットの画像で見ていたのでわかってはいましたが、実物を目の前にすると言葉を失いました。

おびただしい数の銃痕

変電所内部の公開は、改修工事が終わってからそれまでの月1回から、日曜日と水曜日の週2回に。
ガイドさんの解説は、日曜日に午前と午後の各2回。その時間をめがけて行きました。
最初は12分のビデオ映像を視聴。小学3年生位の男の子とその妹らしき2人と3人で見てましたが、どうやら(想像と違ったのか)耐えられなくなって、2人は途中退席。お兄ちゃんの方と少しお話をしたので、かわいかったし写真を撮らせてもらいたかったのだけど残念。

ビデオで被災した変電所関係者の生の声を聞くと、胸が詰まる思いでした。ビデオを視聴した後、高校生位の青年くんと、埼玉から来たという家族4人と一緒にガイドさんの解説を聞きながら建物内を回りました。

被災した後の工場
写真の上部にあるのが玉川上水駅

工場のノコギリ屋根が気になったのでガイドさんに聞いてみると、現在のIKEA立川の向かいに、同じような屋根の形の工場を見ることができると言われました。
そして、この2年間で立川飛行機で製造された戦闘機も一般公開していたとか。年1回の公開らしいので、次回はぜひ見に行きたい!
たまたま質問したのでそういう情報が得ることができてラッキーでした。ガイドさんの解説なく1人で見ていたら、おそらく知らないままでしたから。
それに、立飛という地名も「立川飛行機」からきているとは!!それも初めて知りました。変わった地名だなと思っていたら・・・そういうことだったのですね。

3回目の空襲後の上空写真
見た感じ1メートル以上?この爆弾が工場近隣に1900 発弱投下。
威力は、半径45メートル以内だと死亡。
地中には10メートル位まで潜っていくらしい。
軍の命令で工場のすぐ横に簡単な防空壕が作られていた。
理由は、空襲警報が解除されたら直ちに工場の勤務に戻れということだそうだ。
結果、防空壕に避難している工場員たちの多くが命を落とした。
合計3回の攻撃を受け、100人以上の犠牲者が出た
階段裏の弾痕
1階奥の蓄電池室
蓄電池室の壁を貫いた銃痕

変電所の沿革

軍需工場の建設

昭和13年、航空機のエンジンを製造する軍需工場が建設された。昭和19年には、従業員13,000人を超える規模となる。変電所は高圧線で送られてきた。電気の圧力を下げて各工場へ送る重要な施設として建設された。

工場への空襲

太平洋戦争末期になると、軍需工場が集まる多摩地域は、数多くの空襲を受けた。この工場も昭和20年に米軍による3回の空襲を受け、従業員や動員された学生、周辺住民など、多くの尊い命が失われた。工場の8割が壊滅する大きな被害を受ける中、変電所や給水等は多くの傷跡を残しつつも、倒壊は免れた。

戦後も現役で活躍

戦後、工場は平和産業に転換し、社名変更を重ねながら平成5年まで作業を続けた。変電所や給水塔は、設備機器の更新をしながら、外壁等に刻まれた空襲の弾痕を残したままの状態で使われ続けた。
工場移転後、都立公園として整備されるにあたり、変電所も取り壊される予定となっていたが、保存運動により貴重な戦災建造物として保存され、現在に至っている。

リーフレットより抜粋

この後、建物の外に出ます。
デザインのように見えるけどすべて銃痕。凄まじい数…

建物好きのひなたぼっことしては、ついいろんなアングルで撮りたくなる😅
ガイドさんが話している最中も、1人で撮影に夢中💦
とりあえず、いろんな角度から…
これが多分、蓄電池室を貫いた弾痕の外側
外階段から途中まで上ることができる
変電所、正面玄関
高さ25メートルの給水塔は、老朽化に伴い平成13年3月に取り壊された。
爆撃の痕跡を顕著に残す部分を切り取り保存をしたそうだ。
ガイドさん、オススメのアングルからも撮影
変電所の裏側に並ぶ電柱が目を引く
六角形の空気孔が、なんだかかっこよかった

内部の2階の解説は、別のガイドさんに交代。

宿直室と配電盤
配電盤にも弾痕が残っているが、稼働していたそうだ
こちらは、戦後に使われていたものらしい
よくわからないけど、すごくシンプル
2階からの風景を撮ってみた
鉄筋がむき出しになっている
2階から公園を望む

建物内は冷房がないのでめちゃくちゃ暑くて、背中から汗がダラダラ。
この辺になると集中力も途切れ、そろそろ帰りたくなってきました。
他の方の質問でガイドさんの話は続いていましたが、私は引き上げることに… (高校生らしき青年くんも私の後に続き引き上げてきた)。

時間的に、もう15時半位だったか?
まだランチも食べていないので、駅前のハンバーガーショップで久しぶりにジャンクフードを食べることにしました。

駅前なのにこんなガラガラのハンバーガーショップって😅
久しぶりにテイクアウトではない熱々のハンバーガーを食べられて満足❗️
はい、今回も忘れることなく、デザインマンホールの蓋撮影!
間違えてモノレールの改札を入りそうになり…はっと気づく。
空いてるっていいわ〜😄

一緒に行ってくれる人が誰もいなかったので、久しぶりのソロ活。
でも、誰かに合わせることなく自由に動けたし、ガイドさんの話もいろいろ参考になり堪能できました〜。

まち歩きをするにはまだ暑すぎて無理ですが、玉川上水駅界隈、立川界隈はもう少し攻めてみたいエリアので、それはまた涼しくなってからのお楽しみということで…。


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