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戦争を知らない子供たち

今朝のこの日誌⬇️の続きです。

北山修先生のことを、wikipediaでは次のように紹介しています。

北山 修(きたやま おさむ、1946年6月19日 - )は、日本の精神科医、臨床心理学者、作詞家、ミュージシャン。九州大学名誉教授。白鴎大学学長。専門は臨床精神医学、精神分析学。元日本精神分析学会会長。

wikipediaより引用

でも、大統領が北山修先生のことを知ったのは、氏が先生となるずっと前。1968年ころだったと思います。この曲がキッカケでした。

「帰って来たヨッパライ」。若い世代は知らない人のほうが多いかもしれませんね。いちど聴いていただきたいのですが、とにかくスゴイ唄です。大統領は当時小学2年生でしたが、家でも学校でもしょっちゅう口ずさんでいました。というか、日本中で爆発なヒットとなった名曲です。

この唄を作詞したのが(曲中、神様の声を出しているのも)北山修先生。作曲が加藤和彦。唄が端田宣彦(はしだのりひこ)を加えたザ・フォーク・クルセダーズというトリオでした。

そう、北山修先生は心理学者である以前に、日本のフォークソング界のレジェンドだったのです。なので以降は敬意をこめて「きたやまおさむ」と呼ばせてもらいます。

きたやまおさむは以降、数々の名曲を生み出します。1970年前後にヒットしたフォークソングの多くは、きたやまおさむの作品なのです。

なかでも、いまだに多くの人々に歌い継がれているのが、この日誌のタイトルとした「戦争を知らない子供たち」です。もともとは1970年の大阪万博のために作られた唄でした。

このYoutubeの映像は、この唄の作曲者であり、今でも精力的にコンサート活動を行っている杉田二郎と、昔のフォークソングを今の世代に語り継いでいるアルフィーの坂崎幸之助と、きたやまおさむ本人が登場するレアものです(九州大学を定年で退官したときの記念ライブだったかな)。

ということで、むっちゃ前置きが長くなりましたが、昨日のきたやまおさむ(北山修先生)の講義は、ロシアのウクライナ侵略戦争のことを「戦争を知らない子供たち」と絡めて論じる内容だったのでした。

きたやまおさむも杉田二郎も戦後生まれの「戦争を知らない子供たち」です。

当時の大人たちは、彼らのことを戦争を知らない軟弱者だと馬鹿にしていたそうです。

若すぎるからと 許されないなら
髪の毛が長いと 許されないなら
今の私に 残っているのは
涙をこらえて 歌うことだけさ
僕らの名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ

「戦争を知らない子供たち」の2番の歌詞より引用

戦争を知らないことは馬鹿にされるようなことではなく素晴らしいこと。戦争を放棄することや平和を願うことは軟弱なことではなく、当たり前で尊いことなのだと、当時20歳ちょっとの若者だったきたやまおさむは言いたかったのでしょう。

しかし、この唄が作られてから50年以上も経った今。戦争を知る子供たちが遠くウクライナの国に突如、しかも大勢、出てきてしまいました。

親を失くし、自分も傷つき、突然の惨状を目の前にして途方に暮れる子供たち。

この理不尽な出来事が起きた背景や、争い事を起こさないために何が必要なのかということを、きたやまおさむは心理学者としての知見を交えながら語ってくれたのでした。

ところで、昨夜の講義は二部構成になっていました。第一部が上に書いた内容の講義。そして第二部が青木まり子さんによる、きたやまおさむ作品を歌うミュージックコンサートでした。

ちなみに大統領は、パフを創業する前から青木まり子さんとはご縁がありまして、一昨年の社長引退ライブのときにもこんなメッセージを頂戴したりしています。自慢です(#^^#)。

「釘さん社長引退ライブ」にいただいたメッセージ

青木まり子さん(大統領は青木まり子先生と呼んでいます)の詳細はこちらをご覧いただければと思います。

もう20年以上、青木まり子さんの歌を聴き続けているのですが、昨夜の歌声もまた素晴らしいものでした。

もちろん最後の曲は「戦争を知らない子供たち」。きたやまおさむとゲスト出演してくれた杉田二郎との合唱でこの曲を聴けるなんて、もう鳥肌もの。とっても贅沢な時間でした。次回ジャイアンライブのセットリストに組み込むこと間違いありません😄

あ、そうそう。帰り道の夜桜がとてもきれいだったので、平和な世の中を願いつつ最後に載せておきましょう。

以上、なんだかまとまりなく書いてしまいましたが、これが昨日の講義の全貌です。記録に残しておくための大統領日誌でした😊。


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