夜の街

清らかな心身以外の何物も持ち得なかった二年前の秋、ひとりで夜の街へ飛び出すことを覚えた。そのときから自身の誕生日を失念したのは冗談まじりの事実である。序でに干支の順番も叩き込んだ。

新たに友としたのは、空虚な時間だった。カクテルグラスを宇宙の深淵を覗くように見つめるだけの、何にもなれない時間だった。

他人の好きなカクテルを覚え、煙草を吸い、好きな体位を知ったところで、私は何処にも行けなかった。そんなことはどうでもいい。また会いたいと思える相手とバーで出会える可能性など、アイドルと結婚できる確率ほども望めない。偶像崇拝に陥ってはならない。酔いの中で知るのはどこまでも冷たい現実だけなのだから。

恋愛は数学ではなく体育だよ。理論ではなく実践しなきゃ。そう言ったお姉さんと会話した店は、初めてテキーラを渡された場所であったと記憶している。その通りだった。本当に側にいたい人と交わす一杯に敵うものは何もなかった。それさえも幻想で終わるのだから、私は一体何のために努めて淋しくならなければならないのかわからなかったけれど。お姉さんのように寄り添ってくれる恋人を持つどころか、共に店に付き合ってくれそうな友人も見つけられなかった。

原来酒が弱いのだが、自衛のため慣れることにした。酔ったところで襲われはするだろうが、誰も助けてくれないのだと体に覚えさせた。どんなに倒れそうでも家のベッドまでが勝負なのだ。それまで誰にも気を許すわけにはいかない。
酒の弱い私はこれでも生産的な体をしているようで、周囲の人間が本気で酔い出す頃にはすっかり覚めている。これで守りたい誰かを守ることも出来るだろう。それくらいの傲慢な錯覚は呼吸をするのに必要だった。

体験に勝ることはないので、知らない名前の酒を積極的に飲んだ。店員に尋ね、あとで自分で調べた。一種の人体実験である。
それほど生真面目で優等生気質なものだから、身売りする勇気はなかった。路上で何万?と聞かれたときは、テレビの中だけの話ではなかったのだと、他界との接触を実感して驚き以上に微小の喜びが湧いて出た。




寒いのだか熱いのだかわからない夜。黒いコンクリに白い反吐を撒き散らしたように散々に散りばめられている星々は東京では見られないものであり、此処がドイツだと知らしめる。
飲んでないのに酔ったような虚しさの中で、けれども冷静に不思議に思う。あのディスコは新学期開始の本日に限り入場無料と聞いていたのだが、店を出るときに3ユーロ払う羽目になったのは何故だろう。入場無料だが退出有料とは、斬新なアイデアだと思う。たかが3ユーロと思えばかわいいものではあるけれど。

というのも、日本にいたとき経験値を積みたいがために苦学生の分際でいくら注ぎ込んだかわからないからだ。本当は酒が飲みたいのでもなく、初対面の人間と盛り上がれるパリピ気質でもない。誰でもいいからヤりたいと口では言うが実行する気は持てない。生活費を切り詰めてまで夜ひとりで出かける意味など。あの出費は無意味な行動にいつか意味が持てるように過ごすための戒めだったのかもしれない。


#エッセイ #バー

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