あれから

貞操帯欲しくなって買いました。


押し上がる困惑を、どう返せばいいのかわからないから、また大切な人を傷つけてしまうのではないかって、いつも不安に震えます。

性差に絶えず振り回されているだろう人が、自ら貞操帯を欲する気持ちは推しはかれなくて、こんな困惑は自分の考え過ぎかもしれないとわかっていても。

初めて電話をもらったときも、電話越しの一言では到底片付けようのない話だと直感したから、こちらから相手を呼び出した。

待ち時間にあらゆる状況を想定して、何と言ったらいいだろう、とにかくじっと相手の話を聞こう、ちょっとでも相手が楽になれるまで、黙って聞こう、と誓って駅のロータリーで待っていました。

「トランスジェンダー」で検索を急いでいました。以前自分が必死になって、それこそ毎日泣く気持ちで、部屋でひとりで調べていた用語。

それと同時に、自分は今までなんて浅はかな奴だったんだろうと悔いました。

性別が変わってしまえば、今まで自分が良かれと思ってしてきた行動が全部、当人にとっては辛い仕打ちに過ぎなかったのではないかと、並々ならぬ後悔に襲われて。
一方でそうだと決めつけるのも失礼極まりないから、本当に参ってしまった、というのがまあ事実でした。

最初は苦しみだったかもしれない。二人の会話がだんだんと心地よく流れてくるようになって、欠かせない相手となって、だから私の方から相手に無理難題をけしかけてしまったこともある。先にボロボロ泣き崩れたのは、私だった。慰め以上の、愛で、返してくれて、だから私は救われたのです。

それに負けないくらいの包容力で返していきたい、と常日頃思っています。実践できているかはわかりません、それどころかやっぱり私は自信がない。

相手が、しかもその子は二個年下でもあったので余計に、あんまり色々なことに通じていて大人びているものだから、私などが関わるのは余計なことなんじゃないかという引け目もあって、ますますどうしていいかわからなかった。

だからもう自分のことなどどうでもいいと思っていたのです。相手が幸せでいられるのなら。ただそれだけを願っていました。通じたのは、奇跡のようでした。全く信じられないことでした。

そして自分がそれまで悩み苦しんできた事柄、セクシュアリティや哲学や生死という、俗にいう「生産性のない役立たずのキザな」問題が、ようやく、生まれて初めて自分のためだけではなく、大切な人のために、ほんの少しでもいい、救いになってくれるんじゃないかって、微かな光が射したのでした。自分に蓄積されてきたものたちを必要ならばすべて差し出して、それで私なんか空っぽの腑抜けになったってよかった。

それは「普通の恋愛」ではないかもしれない。

それまで好きだと想った相手とは、普通でいられないという点で、到底近づけるものではなかったのだと思って、私は今度もまた駄目だと諦める覚悟はできていたから、失うものなど最初からなかったというのも事実です。

私は性別を規定したいとは今のところ思っていません。結婚も出産も、遠い世界のファンタジーだと思っていました。そうやって小学生の頃は当たり前だと思っていた事柄が全く嘘のようで、あの頃平気でキモチワルイと言っていた立場に自分が置かれるなんて、思ってもみなかった。二人の関係性を規定する言葉は、ぜんぶ捨ててしまいました。

相手は、恋人がいる、それから結婚や出産の可能性だってある、あれだけ魅力的なのだから人が求めるのは当たり前のことです。そこに私はいないかもしれない、会いたいといつまで願っていてもらえるか、信じていてもぎゅっと不安で潰れそうなときはある。

それで、ただ、この阿呆な頭でどうしたらいいか探し回っています。
相手が、バイトで疲れた帰り道なんかで気づいたらめそめそ泣いたりするんじゃなくて、夜空を見上げて、東京でも星が見えるんだなあなんて素朴に思っていてほしい。それから、ドイツじゃまだ昼だけれど、身も心もすっかり幼な子に戻ったらしい空衣は、青空を鳥になった気持ちで眺めていて、夜の東京とも空は繋がっているんだろうとロマンスに浸っているか、これから昼寝をして、君と同じように眠りについて、夢で会えるかもしれないと切ない胸でわくわくしているはずです。

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