イカリングの如く輪廻する。

午前3時起床、午前4時イカリング調理開始、午前5時今に至る。


イカリングは美味い。でももっと美味しいのはオニオンリングだと思う。


前回は午前3時にオニオンを揚げていたら火力が強すぎたらしく、火災装置がウィンウィン鳴った。一分以上はなり続けていた。フライパンの火を消して窓を開け、突っ立ってうろうろしながら火災装置の悲鳴の元を探して右往左往していると、ドイツ人のルームメイトが起きてきた。そりゃそうだ。あれだけうるさいんだもん。むしろなんでもう少し早く起きて止めてくれなかったの。ああ、深夜に鳴り響く、無機質で私の感情を追放するような赤いランプ。正統派サイレン。
ルームメイトはさすがドイツの家構造に詳しいのか、あるいは私が極端に世事に疎いのか、彼女は一発で火災装置を止めて、再び寝に行った。謝罪をする間もないスピーディーな動き。さっさと寝たいもんね。こうして私は深夜にルームメイトの安眠を妨げる極悪人となった。


学習して今回は、スーパーの冷凍食品を加熱するだけだ。黒焦げになったオニオンリングの遺骸を見るのはもういやだ。オニオンリングのつもりで買ってきた痩せっぽっちのしけた黄色のドーナツは、オニオンリングではなくてイカリングだった。私はばかである。すっかり忘れていたけれど、トルコでも目撃して実際に食したcalamarってイカのことだった。もう少しボケた人間なら、かわいらしくキャラメルとでも認識するかもしれない。キャラメルのフライも夢があっていい。揚げアイスなるものが文化祭で売りさばかれるくらいならもう実在するのかしら。


イカリングに噛みついて、始まりと終わりを創る。私は創造主だ。
イカリングを食して、この世から消滅させる。私は破壊神だ。



こんな話がしたいんじゃなかった。
多分私は脳内言語を再生すると村上春樹の小説にある書き言葉を話し言葉として実演しかねないから、好きな人にはさっさと好きとだけ言えればいいのだろう。生イカの胴体ほど割り切れないくねくね度。

自分の運命を思っただけの話。
始まりも終わりも見えず、永遠といえば儚げで美しくも表象しえるけれどそうでもなくて、いつまでも同じ道を流転するだけ。そうなのか

どこへいくのだろう。
以前友人が、戯言でも分析でも予言でもある一言をくれた。


「君は、ずっと追い求めていそうだよね」

そうだった、そうだ、これからもそうか。



例えば、自分の住居について話そう。


高校までの私は家庭が嫌いで、親が悪いのでもなんでもなくむしろ気にかけていてくれたのはわかる、でも一個体同士のひととして合わなかった。こんな家早く出て行ってやると憎々しく思っていた。成人式に行かなかった理由の半分は、過去も遡って会いたいと思える相手が一人もいなかったからでもある。そんな学生生活を送ったのがここだ。

反動として、外に行きたい(私が海外にようやく行くことが叶ったのは大学生になってからで、あまりにも行きたい欲が強かったから、大学受験が終わったその週に秒でパスポートをつくりに行った)、変わってやりたい、と打ち震えていた。


大学入ってからの二年間は、学生寮に住んでいた。二年契約だからここに居られるのは大学二年の末までだとわかっていた。確かに部屋は狭かったけれど、それに音漏れもひどかったのだが、初めて得られた自分だけの空間を愛していたと思う。東京に独りぼっち。あんな独特な孤独を謳歌できる機会はもう訪れることがないのかもしれない。


退寮してから留学までの中途半端な半年は、祖父母の家に居候していた。色気も生活感もまるでない布団とわずかな本があるだけの畳の部屋は、親族に唖然とされるような、「仮」住まいの様相をしていた。


留学して今の部屋に移る。私は、ここが人生最後の部屋になる覚悟だったから、少しくらい自分好みにしようと試みた。それで好きなものに囲まれた、緑と茶色が多い部屋になった。スナフキンが定住したらこんな部屋っぽい、というイメージからオシャレ度をダダ下がりした想像図でおおよそ間違いないと思われます。


とはいえ生活の跡が見えない空間にはやはり驚かれる。ついこの間まで、コンセントの、タコ足を知らなかった。なんとなく知識として知ってはいたけれど、あれを購入すれば超便利だから部屋に置いておこう、という発想が皆無だった。他の友人の部屋を見ると、皆あたりまえにしっかりしたWi-Fiがあるしタコ足があるし洗濯物を干す道具がある。私の部屋にはない。ないけれどそれで生きていけるわけだから必要とすることがなかった。友人の部屋の快適さがいまさらに羨ましくもなる。洗濯物をどうしているかといわれると、部屋中に広げておけば一日後にはちゃんと乾いて棚にしまえるからそれで足るわけだ。なるほど、そんな状態にしなくても便利な小道具はそういえばたくさん売られていた。
代わりといってはなんだけど私が真っ先に買ったのは、小さな茶色い地球儀と、壁側に自転車と、あとは旅先で気に入った額入りの小さな絵。あと切り株型の写真立てに唯一撮ったあの娘とのツーショットがずっと飾られている。本人が来るときはさすがに恥ずかしい。他には、曲線美が麗しい泡時計とか。
それらの前にまずWi-Fiを買えよ、って話である。調味料揃えたら、って突っ込みは正当である。言われるまで見事に気づかなかった。


そうしてこれから。
一週間後の今頃には、大切な人のそばにいられるはずで。情報としてはそうなのだけど、好きな人が一万キロ飛んで私に会いにきてくれる、なんて幸福は到底私の想像を超えていて実感として正直わからない。怖いとすら思う。雄大な果てない夢を見ているようだ。現実がどこにあるのだろう。わからない。あいたい、あいたい、そうだよね、愛してる、あのぬくもりはほんものだったんだよね。
私は自分自身とあの人にとって大きな告白をするつもりだ。
その前にちゃんと抱きしめて、存在を確かめたい。お互いの。とてもこわい。


「一緒に住みたい」


どうなるんだろう。先があるとは想定していなかったから先行きが見えないのは当たり前だし、見たくないのも当たり前、先を見なければ歩いていけないのも常識事項だ。


とりあえず、大学がある東京に住むのだろう。少なくとも彼女が卒業するまではそうだろう。それもまた「仮住まい」か。空間としては贅沢する金もないのだからそうだ。気持ちとしては……


あの娘の隣にいるときだけは、確かに、私でいられた。
彼女もそんな風に感じてくれた。
仮の姿ではなかったんだよ。信じてほしい。

日本が合わない、とふたりして感じたのなら、海外移住は本当にあり得る。形式として同性愛らしいものへの適応力がないから日本にいられないというのは強くあるし。だから宗教として同性愛厳禁な国も選択肢として消えるわけだ。適した環境が見つかるだろうか。それも転々と、流離うように生きていくのか。
ちっともわからない。全く見えない。
けれども、一抹の不安といえば、私はあの大切な人を道連れにするほど強い覚悟であの人の腕を引けないように思うことだ。本当に真っ暗な世界へ、それでも求めて行かなければならないときが来たら、彼女には酷い思いをしてほしくない。絶望、なんて知らない世界にいてほしい。

帰ってくる場所が、いつも同じならいいのに。完璧なイカリングなら同じ道を繰り返すばかりで、だからあんなに形がキレイ。私は大好きなオニオンリングもうまく作れないのだ。

「最高のバードフィーダーはあなただから」

彷徨って羽がもがれた後でもなお、そのセリフがあなたに言えますように。

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