一度記録を消去すると元に戻りません。本当に消去してよろしいですか。

月が半分欠けた晩、花火大会があると聞いて地元へ戻った。珍しく下り電車は満員で、浴衣くさい。蝉なんか鳴いちゃって、動物園にカブトムシが大勢やってくるそうで、これは日本の夏だった。

母と二人、電化製品店のマッサージチェアーでくつろぐ待ち時間。近況報告する間、親だって他人だと知る。

あの子はすごいことを成し遂げるだろうって、あんたを小さい頃から知る人たちは期待してるんだよ、と隣り合うイスで告げられる。母親の私はそんなことないでしょと笑いかえすけれど、実際なにかあんたはやってくれるんじゃないかと信じているんだよ。

知らない芸能人の広告を眺めながら、母の独白に似た言葉を聞いていた。マッサージチェアーがちょうどよくうるさいから律儀に返答をしなくて済んだ。ごめんなさい、と今から謝っておければ楽だった。闘志がどこまで続くか、私にこそわからない。

そういえばそうなのだった。私は親戚中の年長者として生まれた。アルバム用写真は溢れていた。長女の特徴リストで当てはまるものといえば、他人への甘え方や頼り方がわからないことくらいなのに。

花火は見なかった。例年通りの屋台と、初めて見るスーパーに寄った。充分に汗まみれになった。

混む前に帰る効率の良さは、もはや地元に友人や恋人などいない私の特権だ。そう呼べる相手がいたかどうかも怪しいのだから、ある意味私は以前から自由を手にしていたのかもしれない。携帯電話の誕生以前なら、私はもっと幸せだった類の人間だろう。

劣等感が噴火する前に、 過去のトロフィーを処分する。誰のためにもならないから、リサイクルできやしないし、進化の余地を残してもいない。実家に残された大切な物たちは、徐々に遺品と化していく。

描いた絵、小3から書き続けた日記、カードゲームのレアカード、部活引退時の色紙、好きな作家のサイン入り詩集、交通事故で死にかけた直後にクラスメイト全員が私に送った手紙、長蛇の列に並んで買ったジャニーズのコンサート限定グッズ、修学旅行でそれほど仲良くない班員を無理やり誘って入ったオルゴール店で初めて買ったオルゴール、夏休み中だから誰も覚えていないと思っていたのに不意打ちでもらった誕生日プレゼントのぬいぐるみ。

本当に全部捨てちゃうの、と何度も家族に確認された。全部捨てていく覚悟でいいんだよな、とちょっと未来の私が促す。

大丈夫、消去する権利はいつだって自分にある。今の自由と天秤にかけるだけ。

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