ポリアモリーを辞めるとき

大切な人と、同居している。

付き合おうという契約を交わしたわけでも、いわんや結婚しているのでもない。

結婚以前に戸籍上同性なのだから、ベルリンの壁に負けない障害がある。乗り越えようとすれば人の心を解さない役人に撃ち落とされ、大切な人と決別しなければならないのだから、闘いは苦しい。大切な人の側にいたい、というだけの、恋愛至上主義で最幸福と崇められてもおかしくない状態が、雲の遥か彼方で瞬くのみで、一向に摑み取れそうもない。馬鹿げた人工の壁など早く崩壊してほしいものだ。

私は彼女と仲睦まじく暮らしている。といっても過言ではない、と信じながら。

毎朝私はコーヒーを飲み、彼女は紅茶を飲む。コーヒーは美味しい泥水だと思うなんて爆弾発言をする彼女は、私がコーヒー豆をいじくるのを奇怪な目を押し隠した、けれど隠しきれていない顔で眺める。

夜、ベッドを共にする。ジョリジョリゴツゴツガツガツした男性の肉体とは、全然違う。

彼女は柔らかくしなやかで、潤んだ瞳で私に口付ける。ふっくらした躰と、細くて骨格がダイレクトに伝わるような手足を、美術品を扱うのに似た繊細な動きで撫でていく。呼吸の微動ひとつひとつまでもが、水の波紋が広がっていくような自然な滑らかさで私を包む。

そしてついに眠りにつこうかというとき、私は君に話さなければならないことがあると切り出した。

あのさ、昨晩君以外の人と寝たよ。

一秒間、すべてのものが停止した。それを聞いた彼女は、ちらっと私の目を見上げて、すぐに逸らすように他へ視線を移した。再び、私を見た。





「わたしじゃ、ダメ?」

説明を試みようとして並べていた言葉が、ぐっと喉に詰まった。そんな表情、しないでよ。怒ったり悲しんだりするようなこと、するつもりじゃなかったんだ。その涙は、どんな意味。

相手は、君もよく知っている人だよ。以前話した、一挙一動が洗練されたバレリーナみたいな、しかも言葉の魔術師でもある、あの美しい人さ。

確かに自分はあの人が好きだよ。誰でもよかったわけじゃない、きちんと情の入った行為だった。それはお互いにそうだったと思うの。
あの人に恋人がいるのは知っているよ。でも全く気持ちは浮ついたものではなく、私との間にも通じた精神性を見出したものだと感じて。透き通るように気持ちのいいものだった。お互い幸せになれたんだ。

このことによって、君のことを忘れてしまうとか嫌いになるなんてことはあり得ない。むしろ逆だよ。あの美しい人から昨晩注いでもらった神秘的な力を、君との間にも共有していきたいと思ったくらいだ。

私は犬とカレーが好きだ。コーヒーもジェットコースターも。君のことももちろん大好きで、そんな言葉じゃ足りないけれど。それからあの人のことも、魅力的でいいなと常々思っていたよ。それは君も共感してくれていたよね。

好きなものがたくさんある世界は楽しく、生きる希望を植え付けてくれるものだ。同じ土俵で語るものではなく、それぞれ異なるベクトルで伸縮したり色を変えたりしている。
それを、どれか一つが好きだと言ったからといって、他を嫌いになるとか価値が弱まるなんてことはない。もちろん好きだという気持ちが弱まることは時によってはあるかもしれないけれど、その原因が他に好きな対象が出来たからだと思い込むのは生き急ぎ過ぎている。むしろ好きの相乗効果で、もっと深く広く好きなものたちと向き合っていけるようになるかもしれない。

まさか君との関係を悪化させることは、するはずがない。それは信じてもらいたい。

事前に伝えてあることは、変わっていないよ。私はポリアモリーだ。複数愛を肯定する。
だからもし君が他の人のところへ行っても、それが幸せであるならいいなと飲み込むだろう。私以外にいい人を見つけてくれたなら、その人とも付き合っていけばいいんだから。

それに私と君が精神的繋がりを持ち始めた時期だって、君には既に彼氏がいた。たとえ君が好きという気持ちをあまり持っていないにしても、世間は恋人同士だと見なすし、彼氏さんにとっては君が告白を受け入れて付き合ってくれたのだと嬉しく思っただろうね。

私もそれには驚いた。私は付き合うという束縛めいた関係を好まなかったから、自分から付き合おうと君に申し出る気はなかった。そんな気は初めからなかった。

けれども、君と関わり合っていく中で、もはや君と実質付き合っているみたいな、そんな錯覚に陥って勝手に幸せになっていたんだ。ところが、君には既に彼氏がいた。これを知った時の驚きたるや。君に裏切られた気分を味わって、暫し絶望的になって夜中ひとりで海で泣いた。

ああまた駄目なんだ。何処までも一方通行な想い。幸福なんて詐欺だ。普通の恋愛、なんてもうわからない。君の幸福とは、何なんだろう。一生近づけないんじゃないか、近づいてはいけないんじゃないか。

すべてを思い出していた。君に出会ってから、言われた言葉、共にやってきたこと。
それで、決心した。改心した。絶望を自身の身からもぎ取ることにした。もはや骨や肉ほどに私の身と一体化していた負の根源を、一掃してやろうとした。

君にどれだけのことをしてもらったか。それを信じよう。君に言われたこと、してもらったことだけを、信じよう。ただそれだけでよかったんだ。事情を知らない他人の戯言や、彼氏という名目や、普通への信仰を、捨てよう。

私は君が好きだ。愛しています。それだけで生きる理由になります。
君が私のことを心から想ってくれているのは伝わるよ、それで充分だったね。他のことはどうでもいいんだ。

他に好きだったり嫌いだったり気になっていたり、様々な気持ちが動いているだろう。それくらい多様であるのはごく自然なことだ。君にも、私以外のもっともっとすごい世界を知って楽しんでほしいから。私も同様にそうしていたい。

ただし、君を傷つけることは絶対にしたくない。もし君が、一対一の人間関係を望むのであれば、私はそれに合わせたいと思う。ポリアモリーをやめます。つまり、君は私だけのものになってくれる覚悟だと、そう受け取っても、いいんですかね。微笑みが止まらなくなりそう。それもまた幸せなことだ。さて、どっちがいい?





そんな夢を見た。なんて贅沢な悩みだろう。

私がポリアモリーであろうと思った要因のひとつには、好きな人と到底一対一の恋愛関係を望むことはできないのだと思い知った、一種の諦めがあったのも事実だ。けれども今は、相手との関係をより良くしていくための手段として、相手と共に受け入れたいと思っている。



#ポリアモリー #セクシュアリティー #小説

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変わりゆくセクシュアリティについての断片的な記憶。
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