就活しない。

馬鹿広いドイツ列車の中。リクルートスーツに着られてる男子ってダサいよねー、と言い合う女友達たちの話を、そんなの全く関心なかったわ、とだけ返す。
二人は同じく日本からドイツへの留学生で、来月ロンドンで開催される就活の国際的ビッグイベントへ行くそうです。その場で内定あるいはインターンオッケーの返事をもらったらそこで就活終了、圧倒的勝者になれるってことらしい。
私もちらりと情報を見たのだけど、理解不明なアラビア文字以上にちっともときめかなかった。というか企業名を知らないし、アラビア文字って神の言葉を記すための洗練された美しさの化身なわけだから、無意味そうで美しいのは当たり前の話でしたね。



就活なんだのをするにあたって、ビジネスや人生に勝つためには、中国、諸子百家、の、兵家の、孫子、が格言をくれました。あれ兵法書だから、現在の戦いにも通じるスキルがあるそうです。


「最良の方法は戦わないで勝つこと」

戦わない、という選択肢。
それでも勝てる。

就活の波に乗らない。
それでも自分らしく生きていく、って道はどうだ。

よりよく生きていくための手段として就活に励むのが正当であるならば、自分らしさを殺した就活はその後もうまく息できそうにないのだし、避けるのが最善だ。


というのも、自分の特性は極めて集団行動や社会生活に適していないし、ジェンダー問題としてスーツは着ないよ、と思っているからだ。


でも大切なものを守るためには働きたいというか、生きていく意思を、今持っている。
もう充分、戦ってきたよ。自分とそぐわない世界と。これ以上必要ない。



小学生のころ、手相占いが流行った。ものごとは忘れるものだけども、一つだけ、自分の手相であまりにもハッキリ出ていて、今でも道を司るほど出ている線がある。


KY線
と呼ばれていたな。空気読めない、読まない。わが道をいく人 に出る手相だそうだ。こどものときからずっとある。圧倒的に強く。

これはそういうことなんじゃないか。
みんながやるから、そういう時期だから。ってだけでぐだぐだ始めても意味がない。つまらないし、自分ではない。不自然。そんなんで社会が幸福になるわけでもない。本人にその気がないうちは何をやっても無駄だ。
それに、「企業」と名がついて巨大なブラックホールになればなるほど、魅力を感じない。


以前本を出したくて出版社に片っ端からアタックしたときも、唯一ステキだと思えた出版社は、ご夫婦たった二人きりで切り盛りしているところだった。私が午前十時過ぎに訪ねて行ったら、ようやく今仕事を開始しようとしているところだ、と言われた。


何のために就活をするのか。
その根源を突き詰めれば、私がそれ自体に悩まされるのは無意味だとわかる。

現在考えている働き方は
馴染まない取り組みはしないか、挑戦したとしても実験みたいな構えだし。もっと小規模のほうが馴染むんだよなあ。そうして副業みたいに、好きな文章や絵を描き続けて幸せになりたい。そのための商業ルートは開拓しなきゃならないけど。楽しそうだと思える。嘘ついて仮面被りながら生きていくよりいいや。


あるいは、なんでも日本基準で考えるから苦しくなるなら、そこである必要はない。社会全体の働き方としてなら、ドイツの方が比べるまでもなく圧倒的に魅力があるし。移住する費用と語学力は求められるのはわかるが、まだまだ命を過信するのならそうした方がいい。



大切な人の言葉がまた私を強くする。
「空衣さんと海外住んだら面白いだろうなー」
「って、夢想してるんです」

私の狂った切望と合致していたから悦びで何も言葉が出てこなくって、そうしたら照れ隠しみたいに二言目をつけ足してきたところが、かわいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?