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不思議の国の豊35/#視力と情報量の差

前回はこれ、そして

#視力と情報量の差

僕は視力が良かったから、

教室ではいつも一番後ろの席だった。

一番後ろの席は

色々見えて嬉しかったという。

僕の積極的理由もあったからではあったが・・・・


新学期の初めに担任の先生が自己紹介をすますと、

「眼の悪い人は手を挙げて」

と言うと2-3人が手を挙げる。

その子たちは最前列の席に座らされる。

僕は「目が悪い?」

どういう事かわからなかった。

どういうことかわかってからも、

眼が見えないとはどんなことなのか、

わからなかった。

塩ヶ峰まで、直線で4キロほどあった。

僕の家からは、そこが良く見えた。

僕が母に、

「あそこを誰それちゃん区のお母さんが歩きゆう!

ほら、今何とかおばさんに向おうて笑いかけた。」

と言っても、母は、

そこに人がいることさえ見えないようだった。

僕は、人の顔と名前を覚えるのが

めちゃくちゃ苦手だったから、

母に、その誰それを明確に言えない。

それゆえ、僕が本当に遠くの人の表情を見分けていることは

母には伝わらなかった。

当然、僕が母に言いたいことの本質も

母には伝わらなかった。

僕には遠くが鮮明に見えた。


実利もあった。

当時の高知市内の路面電車は次々とやってくる。

西は伊野町駅から、東は安芸市駅まで東西に走る

はりまや橋で十字に交わり、

南北に高知駅と高知桟橋を結ぶ。

東西線に乗っていて、南北線のどこかの駅に行きたいときは

はりまや橋で乗り継ぎ券をもらえば、

南北線で新たに電車賃を払う必要はない。

しかしこれは面倒だった。

例えば旭3丁目から高知駅に行く場合

一旦はりまや橋で電車を降り、信号が変わるのを待って歩道まで渡り、

また信号が変わるのを待って、南側の播磨屋橋電停まで行って、

次の電車を待たなければならない。

雨の日などは傘もいる。

乗り換えは僕には不便だった。

時折、西や東から来る電車の行き先が

高知駅だったり高知桟橋だったりする。

東西も南北もほぼ直線だから、

電停で次の電車を待つときその次もその次も

電車が見える。

僕にはその正面に書かれている行き先が全部見えるから

高知駅に行きたいときはそれを待って乗れば、

乗り換えなしで生きたいところに行けるのだ。

これは母や祖母にはできない芸当だった。

それを、先生や親戚の訳知り顔のおじなどに話すと、

「それは、遠視と言うものよ。

遠いものは見えても、近い物は見えんろうが。」

と言う。

違った。

僕は、本好きで、いろいろの本を読んだが、

その挿絵がカラーの写真の時、

僕には、その全体の画像も見えるのだが、

その画像の構成要素も見えた。

全て、赤、青、黄色の点々で描かれていたのだ。

僕は、色に3原色があるという事を習う前に、

「へー、3色だけで全部の色が表せるがや!」

と思った。

だから、水彩画の絵の具を、

みんなは12色とか、

お金のある人は24色とか。36色のセットを買うのに、

僕は、青、赤、黄、白、黒の5色しか買わなかった。

本の画像では、青赤黄だけで、どんな色も表せているのに、

絵具で僕は、白と黒は青赤黄では作れなかった。

その当時、僕には色に関して知らないことがまだあるのだと思った。

僕は、遠視ではなかった。

近くしか見えない近視の人より

もっと近くが、それも細かく見えていたのだ。

しかし、そんなことはだれとも話したことは無かった。

考えてみれば、

たとえ、本の印刷の写真が

みんなにも3色の点に見ていたとしても、

だからと言って、絵具を買える金があるのに

僕のように、5色を混ぜてまで、

チューブからひねり出せる色を

わざわざ、1から作る様なめんどくさいことを

する必要はなかったわけだ。

僕は、同級生や先生までもが、

僕が絵の具を5色しか持ってないことに

何の関心も払わないことに、

違和感を感じたが、

それが何かは分からなかった。

ただ僕に見えている世界と、他の人に見えている世界は

何かが根本的に違うことだけは分かった。

僕にわからないのは、

「見えないとはどういうことなのか」

だった。

以下次号


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