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三浦春馬君の訃報が辛い理由、ネガティブな同一化・共感化。(1)

真面目で、完璧主義、自分なりの努力を積み重ねてそれなりのポジションまではきて満たされている部分もあるが、まだどこかで不安定さもある。
本当の苦しみは誰にも言わない、悟らせもしない。
三浦春馬君が亡くなって以降の報道から、そんな印象を受けた。
春馬君は亡くなる前日まで仕事をしていたという。
友達も沢山いて、話そうとすれば話せる人はそこらにいただろう。
そうであるにも関わらず、誰にも告げることなく、彼はこの世を手放した。
春馬君が何を思って、自らの死を選択し、実行に移したのかわからない。
それは春馬君にしかわからないことだ。
だけれども、春馬君のように、自らの死を選択してしまった人の気持ちは、何となくわかる気がする。
それは、私にも似通った部分があると思うから。

自分で書くのもはばかられるが、私も基本的には人生真面目に生きてきた方だと思う。
仕事に関しては完璧主義で、自分がデリバーする仕事については、自分が納得できる程度のクオリティを満たさないと気が済まないところがあったり、それができないときは非常に落ち込んだりする。
人知れず、スキルを身に着けるために勉強もしている。
ロストジェネレーションと呼ばれる世代、恵まれない環境下でも、そこから這い上がろうと頑張って頑張って頑張って、今のポジションを掴んだ。
一方、プライベート面に関しては、生きていく上で様々な悩みが出てくるが、それは人には言わないでいる。
そんな悩みを持っている、そんな自分であることを知られたくない。
自分の中だけで、グルグルグルグル回っている。
死生観については、今すぐ死のうとは思わないが、タイミングによっては死んでもいいかな位には思っている。
この年齢になっても、いまだに私は何のために生きているのかわからないでいる。
今は、まだ親もいて、子が先に逝く親不孝なんてできないから死なないけど、親が亡くなり、また、私を求める仕事もなくなれば、もう私の生きていく意味は特になしだなって思って、それ以降はいつ死んでもいいと思っている。
兄弟、親戚、友達や同僚は哀しむかもしれないが、それは一時的なものだろうと思う。
自ら命を絶つという極端なことまではしないかもしれないが、重病になっても積極的な治療はしないかもしれない。
そういう考えを持つ人間が、心が闇に飲まれてしまったのだとしたら、もう止めるものはないのだろうと思う。

繰り返しになるけれども、春馬君がどうして命を絶ったのかはわからない。
何でそうなったかはわからないけれども、彼なりの、自分の人生を終わらせたいタイミングがやってきたのかもしれないとも思う。
終わり方も含めての彼の人生なのだから、尊重しないといけないのかもしれない。
死にたいというより、生きるている限り苦しいから、生きることをやめたい、そんな気持ちだったのではないか。
これでも、自ら命を絶とうとする人の心情を計り知るには全然足りないと思うが、絶望の淵にいた春馬君のことを思うと、何とも表現しがたい、息が吸えなくなるようなそんな感覚を覚える。
この止まらない苦しい感覚を、今度は私自身が抱えるようになってしまった。

前の記事「三浦春馬と私。」にも書いたように、私は春馬君を熱烈に応援していたわけでもない。
青春の全てでもない。
日常にはいない、時々気になる素敵な俳優さんという程度の存在だった。
私の日常に三浦春馬はいなかったのに、そんな彼が亡くなったからと言って、どうしてこんなに毎日、春馬君のことを思わずにいられないのか。
思ったら思ったで、とてつもなく苦しい。
そして、自分が何もできなかったこと、もうこの世に春馬君はいないことを思うと、悲しくて悲しくて仕方がない。
そして、こうも思う。
いつか春馬くんみたいに、私もこの世を手放してもいい。
もう、どうしよう。
この苦しみも誰にも言えない。

春馬君の逝去の知らせから数日後、Yahoo!ニュースにこんな記事が載った。

これだ。
海原先生、私、つらいです!
ここにあるように、まさに「ネガティブな同一化」が私に起こったのだろう。
それから、この記事もとても参考になった。

こうした精神的な構造について説明を付けてくれるのは、とてもありがたい。
自分の苦しみの発生源が何だかわからず、欝々としていたところに、一つの回答を貰えたような気がする。
この「ネガティブな同一化」「共感化」が私の心の中で起こった。
真実とは直接結びつかないが、情報の受け手側で勝手に起こってしまった思い込み。
そうなることは、よくありうることのようだし、ここは無理に春馬君から離れようとせず、時間を掛けて消化していくのもよいことなのだとわかった。
また、この気持ちを言語化することが実に大切だということも。

こうした「ネガティブな同一化」「共感化」が、比較的、私は起こりやすい質(たち)だと追々わかることになるが、それはまた別の機会に。

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