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意識しすぎると誰の心にも届かない、とは聞くけれど。

今日も。

誰も傷つけて居ませんように、と。

自分の中から紡き出した言葉たちが、無意識に誰かの心を痛めてしまってはないだろうか、
誰かにとっての忘れられない悲しい言葉にしてしまっていないだろうかと、公に呟けば呟くほど、考える。
人の数だけ受け取り方があるから、どうしたってそれがないとは言い切れないのだけど。

だから、表に出す前に、考えて、考えて表に出すんだけど。
どうしても気になってしまう時は、同時に愛も伝わっていますように、と、願うばかり。

でも結局気にしすぎて当たり障りのない文章を書いても、芯のない、書いた本人にすら何が言いたかったのかわからない、そんな文章になってしまうのも、理解できる。頭では。


実際、そういうように感じる文章を読んで「確かに」と思うこともあるけれど、じゃあいざ自分がただ自分が見たい角度からの視点でしか書かなくて、たとえそこに別の角度から見た場合の補足のような感じで書いても、それはそれで言い訳がましくなってしまって。
きっとそんな文章を書いているときの自分はすごく怪訝な顔をして書いてるんだろうな、と容易に想像できる。

怖いけど、自分にブレーキをかけてるのは他の誰でもなく自分だから。
偏ってるんじゃないか、とか、そう感じてるのは自分だけなのでは?とか。
そんなこと取っ払って、とにかく私はこう感じたんだと、書けるようになりたい。

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