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感情を刺激する、という奉仕。

このnoteでは、書きたいことを敢えて「辛辣」という角度で書いて行こうと、ふと思った。
 
普段の発信は、できるだけ多角的に捉え、一方的にならないような視点で書くことが多いのだけど、そうなると意見は嫌でも包括的なものになり、論点があいまいにもなりかねない。
 
なのでここではそのスタイルは外して、偏りすらも楽しめたらと思う。

現代は「波風の立たない距離」なんていう言葉も、もはや使い古されて敢えて表現されることすらなくなってきたくらいに、「人との適度な距離感の維持」がスタンダードになっているなと、個人的には感じる。
 
「ソーシャルディスタンス」なんて、カッコいい名前を付けただけで、「更に人との距離を空けましょう政策」としか思えない。
そこまでしで、人と人を引きはがしたい何かが作用しているのか。
 

世の中の政策はどれも、「良かれと思って」のリスク回避だらけ。
 
ソーシャルディスタンスも、お互いの健康を守りましょう、というのがベースにあるのだろうけど、そんなルールで守ろうとする前にまず、普段からの健康意識を見直す方が先でしょ。

そもそもの話で言うなら、「健康は良い、不健康はダメ」というジャッジを持っているかどうかが全て。で、大体みんな持ってるワケでしょ?だから、「近づくと危険」になるワケです。
 
ソーシャルディスタンスという「防衛策」を取り入れることが「正しい」となるから、それを守らない存在に対してギャーギャー吠えられるワケです。

自分が作ったワケでもない政策を盾にして、結局日頃の鬱憤を晴らしてるだけだったりするかもしれないのにね。

「感情を刺激する」ことは、ソーシャルディスタンスの逆を行くわけです。
感情というものは、一人では動かなくて、必ず他者との接触が必要だから。
 
波風を立てない、ではなく、波風を立てる、ということ。
 
「何のために?」となりますよね。
 
「めんどくさい」
「厄介」
「わざわざすることない」

そんな声も聞こえてきそうです。
 
そういう言葉が湧いてくる時点で、それも感情なのですが(笑)
この手の発言は、「リスク回避」がベースにあります。
 
 
なにがそんなにリスクなのか?
冷静に考えてみて下さい。大したもの出てこないですから。
大体が、
 
「感情的になる自分への否定」
もしくは
「不穏なムードへの否定」
 
なんじゃないかと思います。
 
かっこ悪いとか、疲れるとか、揉めるとか、争いが起こるとか、
賢くないとか、幼いとか、人それぞれだと思いますが。
 
このベースにあるのは、「関係性が壊れる」ことへの怖れだと思います。
でなければもっとガンガンぶつかっていくでしょうから。
 
あくまでも「リスク」ですから、必ずしもそうなるワケじゃないのだけど、まあ多くの人が子供の頃とか若い頃に、人間関係で「失敗体験」をするんですよね。
いじめられた経験とか、不仲になった経験とか、言葉の誤解で揉めた経験とか、わかってもらえなかった経験とか。
 
この体験が「リスク回避」を後押しします。
 
 
女性なら「また傷つきたくない」、
男性なら「厄介なことはごめんだ」、
みたいになるでしょうか。
 
だからね、コロナが来なくたってその前から「ソーシャルディスタンス」だったワケです。とっくに。
 
お互いに侵し合わないように、干渉しないように、触れ合わないように。
 
「私は私、あなたはあなた。
それぞれに楽しみましょうよ、時々は一緒でもいいけど、でもそれも節度を持って、ソーシャルな距離感を忘れないでね。不穏な空気が流れたら、お互いに大人な対応をしましょうね。」
 
という暗黙の了解。
 
「大人な対応」とは、つまり自分の感情の消化です。
これが上手い人は非常に少ない。
だから、ストレス発散ができる事業が存在しているワケです。
 

もちろん、程度の差は色々ありますよ。
本当に心から愛し合って仲の良いご夫婦もいらっしゃると思います。
あくまでも、一般論というか、世の中の平均値を差しています。
 

 
タイトルについて。

「感情を刺激する」とは、現代の真逆を行くようなふるまいですが、なんでかと言うと、現代の大人たちが感情をあまりにも抑圧して、コントロールしているからに他なりません。
 
でも実際のところ、そのやり方は功を奏してはおらず、世界は不満の表現で溢れています。
にもかかわらず、まだ「ソーシャルディスタンス」をやっている不毛さ。
 
そんなルールを守る前に、自分の感情を健全に巡らせて欲しいものです。
 
 
私に言わせれば、感情の波立ちは「自然現象」「生理現象」です。
 
それをコントロールすることは、トイレに行くタイミングをコントロールするのと同じレベル。不自然なことしたら、不健康になるに決まってる。
 
ま、人間は「健康」すらコントロールできてると思ってるので、救いようがないですが。
 
 
その前提に立つならば、「感情を刺激する」ことはむしろ、
 
奉仕、予防医療、感謝されるもの、健康法
 
と言えるかもしれない(笑)もちろん、本人がそう感じられたらの話ですが。
 
「感情を刺激する」のであれば、特に「負の感情」をターゲットにする方がいい。煽る、否定する、反論・反発する、痛いところを突く、などなど。
 
思春期の子供って、感情表現が激しめだったりしますが、あれ、めちゃくちゃ順調な発育プロセスなんですよ。
でも大人ってあれを「問題視」してますよね?それも結局、自分自身が負の感情表現を抑圧してるだけだったり、「親の言うことを聞くのが当然」とばかりに、自分が受け付けられた価値観を押し付けてるだけ。
 

  
世の中の「争いごと」には、必ず感情があります。
 
厄介なことに、自分の感情に「理論武装」を施してしまい、「自分は感情的ではない、冷静に話している」と思い込んでしまっていること。こういうパターンは特に男性に多いですが、どんなにかっこいい理論武装をしていたところで、本質的には子供のケンカレベルだったりします。
 
「面白くない」「思い通りにしたい」「従わせたい」「所有したい」
 
そんな幼い感情表現だから。
 
 
これね、単に「経験不足」なだけなんです。
 
負の感情を味わうことや、それを受け入れてもらうということの成功体験が、圧倒的に少ないから、わからないだけ。
ましてや、子供の頃の失敗体験は(たった一回だったとしても!)心理の奥深くに入り込みますから、余計に成功体験に出会いにくくなる。
 
誰が悪いわけでもなく、ただ、感情の仕組みの理解不足。
 
なぜそうなっているのかも、突き詰めると面白いですが、今回は割愛します。
 
 
日頃我慢してると、結局最後は無理やりに感情を感じるしかない出来事を引き寄せます。身体はしっかりと「生きよう」としてるってこと。
 
大きな悲しみや痛み、憎しみ、怖れ、喪失感や絶望感
 
どんなテイストでやってくるかは、その人に最適なものがあるので個々に違いますが、いずれにしても、まあまあしんどい体験だと思います(笑)
 
でもそれも、自分が蒔いた種を回収するだけのこと。
 
だからね、日頃から感情を刺激されてギャーギャー言ってる方がまだ健全かもしれません(笑)
 
愚痴ったり、文句言ったり、怒鳴ったり、当たり散らしたり。
周りにすればはた迷惑かもしれませんが、「出せて良かったね」と私なら思います。
 

 
感情に「正しい感情」も「負の感情」も、本当はないんですけどね。
いきなりそこで話をしても伝わらないでしょうから、一旦は「負の感情」と書きました。

喜びの感情を刺激されるとかなら、みんなウェルカムなのにね。
怒りを刺激されたら怒るって、当たり前か(笑)
でも、それも「ウェルカム」だと思えたら、人生かなりひっくり返ると思いますよ?

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