致死率100%の狂犬病(その1)

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2022年4月18日のネットニュースでTwitterの界隈が震撼しました。
内容は「農林水産省がウクライナから来日した避難民が連れてきた犬に対し、狂犬病予防法に基づく防疫体制を一部見直し、特例措置を適用すると発表した。予防状態を確認後に条件付きで動物検疫所での係留措置を短縮する。」というものでした。

さて、何が問題であったのか。

本来はこの係留処置というものは病原体となるような細菌やウイルスが日本国内に入らないにする処置です。今回問題になっているのは狂犬病ウイルスで、人に感染し発症すると100%死亡するという極めて怖いウイルスなのです。
狂犬病という名前は聞いたことがあっても日本では馴染みのない病気です。実際僕も臨床をやっていますが、これまで1度も見たことはありません。

日本は世界でも稀に見る狂犬病清浄国です。

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世界で狂犬病が発生していない国・地域を狂犬病清浄国と呼び、オーストラリア、ニュージーランド、日本、フィジー、キプロス、ハワイ、グアム、アイルランド、イギリス、ノルウエー、アイスランド の11の国/地域だけとなっています。    


日本でも以前は狂犬病を持つ動物がいたり、感染するヒトがいたのですが、1950年に狂犬病予防法というものが制定され飼い犬の登録と毎年の予防注射が義務付けられてたことで、 1956年以降は人での国内発生はなく、動物での感染も1957年が最後です。 持ち込みが数例ありますがなんとか抑え込めています。

最近では2020年に持ち込みがありました。簡単な時系列を書くと、

・30代男性が2019年9月にフィリピンで犬に噛まれたらしい
2020年5月に足の痛みが出た
・その2日後に腰痛出現した
幻視出現、水を怖がるが少量の食事や飲水はできていた
発症4日目に異常行動、歩行困難、意識障害が見られた
7日目に医療機関受診し、発熱と意識障害の精査・加療目的に入院となった。
(治療内容省略)
入院27日目に永眠となった

となっています。
入院翌日には狂犬病を鑑別疾患に挙げて、国立感染症研究所所へ唾液が送られてその日の午後には診断がついているんです。これは診療チームの超ファインプレーなのです。にも関わらず発症から1ヶ月で亡くなっています。そして、亡くなられた後の病理解剖では大脳から足裏皮膚の末梢神経に至るまで 広範囲に狂犬病ウイルス抗原が認められています。

日本における狂犬病の歴史

以前には日本でも狂犬病がありました。日本最古の医学書と言われている「医心方」にもその記載があります(982年)が、まだ人口もイヌも少なかったので大流行はなかったようです。
この後、ヒトとイヌが大きく関わる時代がきます。江戸時代のアレです、そう、犬将軍と呼ばれた徳川綱吉による「生類憐れみの令」です(1687年)。この時に飼い犬の登録がなされることとなります。しかし、飼い主には毛色、性別、年齢、特徴などの届出による「御犬毛付帳」への記帳が義務付けられました。さらにイヌが病気になれば治療を受けさせないといけない、亡くなったら速やかに届出をし無縁寺に埋葬しなければならない、イヌが行方不明になるときびしい取り調べを受け流など大変厳しい管理が必要となりました。おかげでイヌを飼うことは庶民には難しくなり、野良犬が増える事態となりました。その野良犬たちは江戸中から全て集められて広大な土地に収容されて過ごすことになります。

この後に狂犬病の大流行を日本では経験します。イヌ、ウマ、キツネ、タヌキなどが殺処分となっているようです。当時の医官である野呂元丈により書かれた「狂犬咬傷治方」の中で「咬まれた傷は軽くとも、あとで再び病が重くなって十中の八,九は死ぬから瘡口は早く血を吸い出して灸をすえるがよい」となっています。この時代から狂犬病は死の病であったのでしょう。
江戸後期の医学書である「広恵済急方」でも「やまひいぬにかまれたるは」と病気の犬に噛まれたときの対処法が別項目で書かれています。この辺りから、狂犬病の原因は解らずとも、対応はされてきていたと考えられます。

明治に入ってからも地域的な流行が見られ、東京では1876年に畜犬規則が制定されましたがそれでもなお治らないため、より厳しい1881年には畜犬取締規則が制定されました。しかしそれ以降も狂犬病の流行が見られていました。狂犬病の地域的な流行で牛馬での発症が増え、多大な被害があったと記されています。1896年に制定された獣疫予防法では狂犬病のイヌの殺処分を定めており、全国の狂犬病発生件数が記録されるようになりました。

海外からの持ち込み例では1893年に長崎で外国人が持ち込んだイヌから狂犬病流行が発生しています。数ヶ月の間にイヌに噛まれた被害者は76人で、そのうち10人が狂犬病を発症して亡くなったようです。イヌに噛まれたことによる病気で亡くなったことは分かっていたようで、その後、市民により大量のイヌが撲殺されるという悲劇的な事態となりました。さらに長崎での狂犬病流行は治らず、狂犬病による死亡者は増えたようです。当然のことながら地続きの九州全域に流行は広がり1902年まで続いたそうです。この時、長崎で医師である栗本東明先生が日本初のパストゥール法による曝露後免疫を行っています(1895年)。

1905年には兵庫県下全域で狂犬病の大流行が見られました。3ヶ月の間に4,000人以上の咬傷被害者と45名の狂犬病死亡者が記録されています。この時の流行の原因となったのは岡山からから来た猟師が宿泊した家の飼いイヌであったといわれていますがその文献は読んでいません。

1906年 青森県下でイヌ157頭、ウマ6頭、狂犬病死亡者11名の被害を出ており、この時は日露戦争後に軍人が樺太から連れ帰ったイヌが原因とされています。
1907年 北海道の室蘭で狂犬病のイヌが見つかり4カ月足らずで近隣まで流行拡大し、イヌ252頭、狂犬病死亡者21名の被害が出ています。時系列から前年に青森で流行した時に感染していた潜伏期のイヌが北海道に移送されてことが原因とされています。
その後、静岡、神奈川、山梨、宮城、岩手、東京、横浜、千葉、長野、九州でも狂犬病の発生が確認されています。1911年には東京で狂犬病が大流行しているようです。

1918年に神奈川でイヌの集団予防接種が始まりました。翌年には東京でも集団予防接種を開始されています。全国では狂犬病による被害は増加傾向なのに対し、東京、神奈川では徐々に流行の減少が見られたことから予防接種の効果が認められたようです。1924年には再度東京で大流行が見られているようですが、これは1923年の関東大震災に影響のようです。

1923年 大阪で狂犬病の大流行が見られました。イヌの狂犬病を発生件数の半分が大阪っとなったようです。その後、それまで流行の見られなかった地位でも狂犬病が見られるようになり全国規模の流行となりました。


狂犬病は発症後の致死率100%であり、イヌにワクチンを接種し予防することと、ヒトがイヌが感染しないように注意することでしか防げない病気です。上記の文章で予防接種がいかに効果的であったかが分かっていただけると思います。

(続)

第一部はここまでで、時間を見つけて第二部を書きます。

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