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季節工編/第2話「季節工への道」

 そもそも季節工というものを知ったのは、サラリーマンになってからでした。自動車メーカーとの商談で、社内に張り紙があるのを見て知りました。その後、ネットで検索すると待遇や給料も分かり、割の良い短期アルバイトだなと思ったものです。同時に「今の時代でもこんな仕事があるのか」とも。

 季節工あるいは期間工とは、自動車工場や電子部品製造工場などで勤務する契約社員のことです。多くは3ヵ月から6ヵ月を1単位としていて、期間従業員とか期間契約社員と呼ばれています。派遣社員と異なるのは、派遣が民法の「請負」である一方で、期間従業員は労働法の「雇用」に当たります。社会保障があるわけです。

 仕事内容は主に組み立て・プレス・溶接・機械加工といったもので、車やバイクの生産ラインとなります。勤務は二交代制で、日勤と夜勤とに分かれている場合が大半です。給料が1日1万円前後、残業と休日出勤を含めて月間30万円程度になるようです。そして3ヵ月や6ヵ月の期間を働き切ると満期慰労金というボーナスが発生します。これが10万円から30万円あるので、合計すると3ヵ月で100万円前後、6ヵ月だと200万円以上になったりするわけですね。

 加えて「寮は無料」「食堂は格安」といった環境も整っており、入社すると祝い金(5万円から15万円)を貰えることもあって、無貯金から働けるようです。そんなこともあり、私は投資仲間に「破産したら季節工になればいい」と言っていました。体力的にきつい(らしい)けど短期的に稼げるので、行けばいいじゃん、と。大量採用かつ即採用されているので、なかなか良いセーフティーネットに思えます。とは言え、私は行ったことがないのに「破産したら行けばいい」というのは、しっくり来ないものも感じていました。

 なので、1回くらいは経験したいという気持ちがありました。又、私は2017年現在、30代ですが、大学生の頃に『蟹工船(小林多喜二著)』を読んで、ほんの少し昔まで過酷な労働があったのだな、と認識していました。さらに親戚や得意先の年配者は昭和20年前後の生まれで、いわゆる団塊の世代、「金の卵」と呼ばれて中学卒業と同時に働いていたような人たちです。彼らと話すと、よく「昔の人は大変だった」と言うので、聞かされるままの我が身を歯がゆく思ったものです。

 あと今回の経緯に大きな影響を受けているのは、季節工を知ったときに買った本です。『自動車絶望工場 ある季節工の日記』という、実際にトヨタで働いた人の体験談です。

 この本には過酷な労働状況が生々しく紹介されています。作者の鎌田慧さんは1938年生まれで、この本は1973年に出版されています。鎌田さんが経験した時期からは40年ほど経っているので今とは大分変っているはずですが、この本を元に私の体験を併せて「昔と今」という観点からお送りしたいと思っています。

 ちなみに、このようなページがありました。

 なかなか壮絶です。このような内容の濃い体験談を記したいという思いから、私も季節工に行くに当たって課題を設けました。

1.何の仕事なのかを理解する。
2.どんな人たちが来ているのかを観察する。
3.思ったことや感じたことを明文化する。

 以上です。たった3ヵ月ですが、されど3ヵ月です。全て書き切るとなれば膨大な分量になるので、ある程度の取捨選択もします。読みやすく面白いものにしたいと考えています。ということで、ここまでが「私が認識している季節工の話」でした。以下は、前回から引き続いて「自動車会社での面接」の話です。5月16日に仲介会社で面接後、その場で自動車会社での面接日が決まりました。2日後の18日、場所は神戸のレンタル会議室でした。

 指定時刻は13:00だったので、午前中に梅田で仕事の打ち合わせをした後に神戸まで行きました。昼食は取らずに、そのままレンタル会議室があるフロアに向かい、30分ほど時間を潰していました。ちょうど就活生の面接シーズンでもあり、食品会社などの面接会場もありましたね。何だか初初しい気持ちになったものです。

 13:00ぴったりに指定の会議室に到着すると、扉に「昼休憩中」の札が張られていました。13:00に約束するとこういうことがままあります。この場合、札が解かれるのを待つのではなく、入室してしまうのが正解です。サラリーマンの頃、相手に配慮して待っていた為に「遅刻するな!」と(60代の役員に)叱られたことがあります。釈明しても言い訳にしかならないので、ここは突入して「おい、まだ昼休憩しているのか?」と迫ったほうがいいということです。向こうも13:00の約束に準備しているはずです。

 ノックを3回、「どうぞ」という返答があったので入りました。会議室は20人くらい入れる広さでしたが、面接官は40代半ばと思しき男が1人でした。着席を促されたので、座りました。「宜しくお願いします」と言ったところ、彼は「来てくれて良かった」と笑いました。

 聴けば午前中に3人の面接予定があったものの、1人は前日にキャンセル、2人は来なかったそうです。午後は私ともう1人ということで、このまま誰も来なかったらどうしようかと心配していた、と。「よくあることですか」と尋ねると、前日までは岡山で面接していたそうですが、来ない人が結構いたと言います。さらに世代的な傾向なのかと訊くと、特にそういうことはなく、20代でも40代でも似たような状況なのだとお話してくれました。

 履歴書を渡すと、チェックシートを手に幾つか質問されました。「勤務地の希望はあるか」「刺青は入れているか」「持病はあるか」「借金はあるか」などです。最後に握力を左右3回ずつ測って終わりです。私の履歴書とチェックシートを本社に郵送して、結果が出るとのことです。あとは軽く雑談しました。

 ちなみにその日は5月18日でしたが、早ければ同月30日から来てもらうことになると言われました。郵送のタイミング次第なので6月6日からの可能性が有力と言いつつ、「30日でも来れますか?」と問われたので、「準備だけはしておきます」と返答しました。

 13:00に始まって、13:30には終わりました。14:00にもう1人来るという話でしたが、それが終われば大阪に移動して飲みに行くというので、おすすめの居酒屋を紹介しておきました。彼は、主要都市のビジネスホテルに宿泊しながら、西は広島、東は三重までを行き来して季節工の面接をして回っているそうです。面接という場なので軽はずみなことは言いませんでしたが、私がこれまで仲良くさせて頂いたタイプの人でした。またお会いしたいものです。


 そんなわけで、最短5月30日から入社という心構えをしつつ、仕事の状況次第では1週間か2週間か遅らせてもらおうと考えながら過ごしていました。通知が届いたのはその5月30日で、入社日は6月半ばとなっていました。勤務地も希望していた東京方面でした。ちょうど地元での仕事に区切りがつきそうな状況だったので、そのまま指定通りの日に行く段取りをしました。次回は「持っていく荷物の紹介」「私が行くと聴いた周囲の反応」をお話したいと思います。もう後戻りはできませんね。


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