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22歳でせん妄になって宇宙に飛び出そうとした話。

こんにちは。ねこです。
皆さん、「せん妄」ってご存知ですか?

病気や薬の影響で精神障害がでることです。
高齢者に多いそうなのですが、
私はなんと22歳でせん妄になりました。

なかなかない貴重な体験だったので、お話したいと思います。

きっかけ

私は以前、持病で入院していました。
後に、その時服用していた薬が
原因なのではないかと言われました。

せん妄になる前の最後の記憶としては、
私のお見舞いに来てくれた人が、かなりのマシンガントークで
話していたのは覚えています。

息継ぎもないほどのスピードの会話にすごく疲れた私は、
その人が帰った後に、同じ部屋のおばちゃんに
「うるさくしてすみません。」とぐったりしながらも言いました。

そのおばちゃんの返事の内容が、音として聞こえてはくるのに、
頭では理解できませんでした。

そして、気づいたときには牢屋のような部屋にいました。
部屋は薄暗く、壁はなぜかコンクリートむき出しで、
トイレはついているけども、カーテンで仕切られただけ。

その部屋に移された経緯は、以下、母からの情報です。

私がおばちゃんに「うるさくしてすみません」と話したその後、
母が、お見舞いに来て私と会話した時に「何かおかしいぞ?」
と感じたそうです。

看護師さんに「何か…変なこと言ってるんですけど…」と
話したところ、
「長い入院でストレスが溜まったからじゃないですかね?」
と返されたとのこと。

母が帰宅したその晩、私は入院病棟を駆け回っていました。
看護師さんにとっ捕まえられた私が発していた言葉は、
「プーチンをとめなきゃ!」
「大変なことになる!」
「地球を救わなきゃ!!」
というものだったそうです。笑

朝4時ごろ電話で呼び出された母が見たのは暴れる私に
鎮静剤が注射される瞬間でした。

そのとき、かろうじて最後の自我を保った私がこう言いました。
「隣の人に迷惑かけるから、個室にして…!」
我ながら、こんなときでも他の人の事を気遣えてすごいなと思います。

鎮静剤を注射して10分もしないうちに
はね起きた私はすごい勢いで
眼鏡をかけた看護師さんの眼鏡を払い落とし、
ケラケラ笑っていたそうです。

主観

病棟を走り回っていたとき、まったく意識がなかったわけではありません。

夢の中で行動するとき、みなさんも、
なんの脈略もないことを話したり、
行動したりすることがあると思います。
そのような感じでした。

ここからは、当時の私の主観で書きたいと思います。

鎮静剤を注射されて、ひとしきり暴れた後、また私は
眠ったのだとおもいます。
気づいたら、部屋には母も看護師さんもいませんでした。

オレンジ色の電気のほのかな明るさが、
高校の文化祭の劇の舞台裏のようでした。
その瞬間、無性に「みんなに会いたい!」と思いました。

恐ろしいのが、私は高校の時のクラスに
それほど思い入れがないことです。
文化祭の劇の準備も塗料の買い出しに行ったくらいしかしていません。
友達も悲しいことにほぼいません。

さらに同時進行で、私は実は双子の姉がいた。
という錯覚を起こします。
これはなんとなく理由はわかります。
私は一人っ子で常々兄弟が欲しいと思っていました。

ただ、大人になってからそう思ったことはありませんでした。

高校の同級生、そして存在しない姉を探して私はまた
病室を飛び出しました。
すると、窓の外に宇宙が見えました。
丸いUFOやチカチカ光る星々、
下を見ると、見たことのないどこかの星の木々が並んでいます。
宇宙服を着た人たちがぷかぷか浮かんで気持ちよさそうです。
とてもきれいな光景です。

「この宇宙にみんながいる。」
そう確信した私は5階の窓をぶち破って外に飛び出そうとしました。


次に気づいたとき、私は自宅のお風呂にいました。
そのときの私は、黒柳徹子になり切っていました。
おそらく、直前に黒柳徹子のインスタを見たからでしょう。
頭の中に、もう一人現れました。樹木希林です。
これはなぜかわかりません。
私は頭の中の樹木希林と会話をします。

「あなた、どういう死に方したいの?」
「私ねぇ、私は笑い死にしたいとずっと前から思ってたの。」

私も幼稚園のころは、死ぬときは「笑い死に」したいと
思っていたような気がします。
なんだかとっても懐かしく感じました。

その直後、私は笑いが止まらなくなりました。
結果、『笑い死に』はしませんでしたが、この上なく苦しい
ということが分かりました。
死に方を選べるとしたら、もう『笑い死に』は選ぶまい…。
そう心に誓いました。

牢屋のような病室に戻って何日かすると、
また異変がありました。

口の中にゴミがいっぱい詰まっているかのような錯覚を起こします。
「口が変。」
私は母に言いました。

このときの精神年齢は3歳くらいだったのではないかと
父母も私も思っています。

後に、「シェーグレン症候群」という粘膜が乾燥する病気が
見つかるのですが、この症状を訴えていたのではないかと
予測されます。

また、目をつむるとゴミ屋敷のごみに覆われているような
錯覚を起こしました。
身体が重くてしんどいのを、
「きついきついきついきつい…
きつきつきつきつきつきつ…」
とエンドレスでつぶやいていました。

その後、転院して大学病院に移ったのですが、
この時には大分落ち着いていました。
といっても、まだまだ抜け切れたわけではなく、
「夢想家」という謎な職業を立ち上げようとしたり、
吉本新喜劇の金の卵オーディションに無謀に応募しようとしたり、
布団の中から髪の長い女の人の頭が出てきたり…
と沢山の経験をしました。

当時描いたアンパンマン。


まとめ

全体的なまとめとしては、

●意識がないわけではない。
●幼少期からの感情などが一気にあふれ出してくる。
●テレビやSNSで見たものが錯覚に現れやすい。

ということです。

頭の中にある引き出しから、自分自身も忘れていたような感情を
一気にぶちまけているような感覚でした。

看護師さんのマニュアルでは、
「せん妄の患者さんが見たり、聞いたりしたものは
確かに存在するものとして扱うこと」
とあるそうです。

だから、わたしも当時の事は本当にあった
面白い体験として思い出に残そうと思います。

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