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かすみ草のひと

今日、お会いしてきました。

この方に。

かすみさん。


今年のお正月にすでにお会いしたのですが、何せお互いに子供連れでして、ゆっくりと話をする機会もなく、我が子の振る舞いやゲーム(スプラ)に夢中だったので。

仕切り直して会おうと話してくださっていたので、今度は2人だけで….とお互いの住まいのおおよそのまんなか地点で集合と相成りました。
(タイ料理ベースのカフェでお話しさせて頂きました。パッタイがおいしかったー。)

お会いして、ファビュラスファビュラス!と頭の中で叶姉妹がなぜか出てきましたが。

何が言いたいかというと、前回も書きましたが、小顔でエレガントな美人さんだからです。

でも、そんなエレガント美人から出てくる表情や仕草、話はそのまんまのnoteのかすみさんです。

ほんとうにまんま。

それが個人的にはおもしろくてかわいくて、なんだかにやにやしちゃっている自分がおりました。

「すなお」

「誠意」
は彼女を表すことばであり、彼女自身もそれを自覚されています。

私は以前から思っていたことを彼女に伝えました。

一つはお互いにおもしろいくらいに趣味嗜好がちがうこと。

(なのに、なんでそれが嫌な感じじゃないんだろうと思います。不思議。)

そして、どこか私の母に似てること。


私の母親は私と性格のタイプが全然違っていて。

私ののったりしたリズムと対極的で、軽やかでしゃきしゃきっとしていて、気づかいがベースにありながら快活さがあるんですね。


私の母はある部分では適当にできないところを持っている人で。(そこが誠意の部分)

違う意見を持っていたら「ただ私は違う意見なんです」を伝えたい人だし

人としてそれはどうなのか!

を、相手や自分に対して一生懸命一生懸命考えて悩んでいる姿を見かけたり

家族に対しての愛情の深さや気にかけ方が半端ない人で

でもそれをあえて相手のために出しすぎないように調節している姿とか。

(まあ、程よい感じでまわりには出ちゃってるんですが。本人はきっとバレてない!と気づいていないタイプなんだよね。おそらく。)

困難の中で生き抜かなければいけない場面が多すぎて、その中で得てきたある種の強さがある。

と思っておりまして。


かすみさんには話しそびれましたが、母はかすみ草が大好きなんです。


だから、そういう部分でもイメージが勝手ながらに重なるところがありました。

これこれこう思うのよーが、実際にお会いして聞くと、さらに伝わってきて。

なるほど!と思うことがたくさんあって。

パズルのピースがかみ合うような瞬間がありました。

家族の話、noteの話、自分の話、アートの話など、話題は尽きずに


とにかく三時間近くご一緒させてもらって、あっという間に時間が溶けていきました。


約束していた「絵しりとり」や「快活クラブでのスプラトゥーン3」は実行できませんでしたが、かなり充実した時間を過ごさせてもらいました。あらためましてありがとうございました。


お会いする前に

宿命論

因果論

のあいだを行き来している人だなと思っていたんです。

 宿命論者は「あなたの未来は決まっている。もし爆弾で死ぬと決まっていれば、防御策をとっても死ぬ。死なないと決まっているなら、防御策をとらなくても死なない」という。それにたいして、因果論者は「防御策をとれば死なず、取らなければ死ぬ」という。
「傷を愛せるか」より抜粋

かすみさんが、どちらかの思考とかそういう問題ではないのです。

そして、どちらが正解とかもないのですが。

彼女の素直さやまわりの状況を飲み込む生き方の中で、そういうものとずっと付き合い続けてきた人だなと私は思っているんです。

 宿命論と因果論はたしかにどちらもトラウマをあつかう場面や、広く医療現場全般において、よく使われていることに気づく。事故や重病に見舞われることに理由はあり、同時に理由はない。回復するかどうかは努力次第であり、また運次第でもある。過去を受け入れ、同時に未来への希望を紡ぎ続けるには、おそらくほどほどの無力感=宿命論と、ほどほどの万能感=因果論を抱え込むことが必要なのだ。両方を共存させ、納得しやすいほう、生きていくのが楽になるほうを、そのときどきで都合よく使いわけることが重要なのだ。

 人はだれでも、正しかったかどうかだけでなく、自分がそこにいる意味があったのかどうか、自分がかかわることでなにか違いがつくり出せたのかを確認したいと思う。けれどもそれもまたはっきりした答えはなく、自分なりに納得するしかないのだろう。
「傷は愛せるか」より抜粋

彼女がまた今回も
私が以前書いた「あわい」の記事の話をしてくださいました。

宿命論と因果論の話もあわいに通じるところがあると思っていて。

私は彼女からまた「あわい」を逆に渡されて眺めているような感覚でして。

さらに見えてくるものがあったような気がします。

これからも待ち受けるものに対して、あーでもないこーでもないと進んでいける方だなと、一医療福祉現場で働くものとして、1人の友人として「信じたいな」という思いがわきあがりました。

彼女の強さや弱さが、私の中では息をすっと吸いやすくしてくれる時があって。

自家発電式の空気清浄機を持っているのかなと思います。

あ、なんかここだけ綺麗になった!みたいな空気を作れるんですよね。

今日もいくつか、人間関係の悩み...というか、私の困った癖みたいなものを話した時に、肩の力が抜けるようなことばを、はつらつとした感じで話してくださって、背中をぽんぽんと押された気分になりました。

(ボディタッチは指でつんつんはされました笑)

そんなわけで、楽しい時間を過ごさせてもらったことを報告いたしました。

ありがとう。

まあ、頑固でめんどくさいやつですが

またこれからもよろしくお願いいたします。

サポートは読んでくれただけで充分です。あなたの資源はぜひ他のことにお使い下さい。それでもいただけるのであれば、私も他の方に渡していきたいです。