悪気はありません、何も考えていないだけ

うちの家は四方に私道があるのだが、何かとゴミが落ちているので、ゴミ出しの朝はゴミ拾いをしている。紙パックジュース、カードゲームの外側などさまざまですが、一番多いのが煙草の吸殻。

先日も煙草の吸殻を拾っていたところ、横を通りかかった男性が吸っていたタバコを捨てていった。

実際にはもっとオッサンだけど。で、当然「ちょっと!」と声をかけたらすぐに拾って、ポケット灰皿を取り出してその中に入れた。「持っているなら最初から入れるべきでしょう」と言ってしまったわけだが、相手は「拾ったのにまだ文句があるのか」と言う。

今日は歩きタバコについて書きたいわけではなく、その心理だ。ちょっと考えてみたのだけれど、彼はきっと「タバコの吸殻を捨ててやろう」なんて考えて行動したのでなく、無意識に何も考えず捨てたのではないかと思う。でなければ、掃除をしている横に捨てるなんて、よっぽど性格が悪いことになる。そうではなく、息をするように自然に「何も考えず」捨てて、注意されたところから意識が始まっているのではないだろうか。

ソーシャルネットワーク上でも同じようなことがある気がする。ツイッターに愚痴を書いてみたところ、相手から文句を言われて、消す。書いた本人は「消したんだから文句はないだろ」というが、相手は本質を話しているので納得するはずがない。「そもそも、なんでそういうことをネットに書くんだ!」という論点だ。何も考えていない人たちには、その真意は理解できない。

前職で、結構な確率で大きなミスをやらかす人がいた。そのときには平身低頭謝るのだが、しばらくするとまたやらかす。中には、叱られると開きなおる人がいた。
「悪気はなかったんだから、そこまで言わなくてもいいじゃないですか」
本人は悪気はない。周りからすれば、そんなことは当たり前でわかっている。むしろ、悪気があるのなら、プロジェクトから外すとか打つ手はある。悪気がないから余計にたちが悪いと思っているだけなのだ。

収入の二極化が語られて久しいが、実はこんなところが見極めのポイントかも知れないと思った今日この頃だ。
(以下余白)

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