テト2

ベトナムの歴史② ベトナム戦争の「転換点」テト攻勢

昨日から始まったベトナムの歴史シリーズ。これは徐々に過去にさかのぼっていきます。2回目の今回は、ベトナム戦争でアメリカが手を引くきっかけとなった「テト攻勢」を見ていきます。


1、はじめに

テトの時に食べられる、テト料理の「バインチュン」

テト攻勢の「テト」とは、ベトナム正月(旧正月)のことで、この時期は例年都市部などに働きに来ているベトナム人が一斉に里帰りして家族と親族で新しい年を祝います。

この時期にベトナムに旅をすると、だれもいなくなるので「つまらない」とさえいわれ、都市部にかろうじて残ったベトナム人の店員も「里帰りできない」からつまらなさそうにしているという情報が流れるなど、それだけ重要なのがこのテトイベントなのです。そのタイミングで北ベトナム側がが仕掛けた奇襲攻撃が「テト攻勢」です。

2、テト攻勢の概要

テト攻勢で一時占拠されたサイゴン(現ホーチミンシティ)のアメリカ大使館

戦争中でも、テトの期間は、南北ベトナム軍双方、暗黙のうちに休戦期間とする慣例が続いていました。ところが1968年だけは事情が違っていました。

実はこの時から7カ月前より北ベトナム側が、私服の戦闘員が攻撃地点に潜伏し、武器を集積しながら準備をしていました。

そして1月30日のテトの日未明に一斉にゲリラ攻撃が展開されました。この奇襲攻撃でアメリカ大使館などが一時占拠されるような事態になります。その後体制を整えたアメリカ・南ベトナム側が反撃をして攻撃は沈静化しました。中部のダナンでは大激戦となり、また古都フエでは、一時北ベトナム占領中に「フエ事件」とよばれる南ベトナムの政府職員や修道女などを次々と射殺するという悲惨なことも起きました。

3、テト攻勢の結果

テト攻勢自体は、短時間で制圧拠点が奪還されて鎮圧されました。ところがこの模様がテレビなどで放映され、一時的にアメリカの拠点が占拠された事実への衝撃と、アメリカを中心にベトナム反戦運動がより高まる結果となり、やがてアメリカがベトナムからの撤退を決める遠因になりました。そのため、このテト攻勢は「作戦」としては失敗したものの、戦略的には「勝利」したといわれています。

4、まとめ

ベトナムのスーパーよりテト前の歳末大売り出しポスター

ということで、ベトナム戦争の転換点ともなった1968年のテト攻勢に触れてみました。奇襲攻撃とか不意打ち、それも新年のお祝いの時期と言う事で、「卑怯」「卑劣」なイメージを持ってしまいますが、それは戦争というものがそれだけ悲惨なものと言うことの裏返しでしょう。

※昨日コメントもいただきましたが、普段何気ない生活すらできない戦争は本当に嫌なものですね。仕掛けた側の人も本来そんな人でもないだろうに。

南北分断の歴史とか、どうしても朝鮮半島の事と重なってしまいますが、向こうはベトナムと違い、今のところ「平和的」に動いているように見えるのが良いですね。

ちなみにテトの期間中は「つまらない」ですが、その直前の時期はおすすめです。テトの独特の正月飾りが町中を彩ります。一見中国のような雰囲気・色合いの飾り物に、漢字ではなくアルファベットの様なベトナム文字で書いているギャップが何とも楽しいです。

#ベトナム #ベトナム戦争 #テト

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