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肩書きを語らぬ価値

合コンで自己紹介のとき、
奥さんの親戚に挨拶するとき、
一発で説明のつく肩書きがものをいう。
名の通った企業に勤める人が羨ましい。

肩書き、そんなの関係ねぇー!(おわり)

話を続けると、一流企業に勤めてないなら個の時代、特にフリーランスは自分らしい肩書きを作ればいい、となる。
その名刺には個性的なワード・造語が並ぶ。そこには自己表現やアイデンティティが込められている。

I Wanna Be Adored(崇拝されたい)

少年ジャンプ的な未来を夢見るヒーロー。
自分が何者か分かってもらい。ただ勇みすぎた肩書きにはリスクあり。

肩書きがやたら多い→自信なさそう何者でもない。
ニッチな領域で尖る→ひねりすぎ起業マニア
座右の銘を挿入→頭でっかち理想論者

自分を知って欲しくて言語化するほど哀愁が漂うなんて、不本意すぎる。

タレントばりの宣材写真にフォロワー数で勝負のインフルエンサー、SNSでも肩書きは踊る。自己紹介映えするが、真の人柄や振る舞いまでは追いつかない。

「吾輩は会社員である。肩書きは今ない。」
私は社名と名前だけの名刺を使う。(正式には使い分けている)名刺交換のとき、相手方がされる二度見、一瞬の間。
私は肩書なしで繋がれる人を探している。

受け売りだが名刺にケータイを記載しないのもあり。
その人は別れ際に、
「名刺には事務所の電話番号だけで、連絡がとりにくい場合がありますので、ケータイをお教えします」
これが自己アピールで、あえて情報を載せすぎない方が価値が高まると言う。

自己紹介
I was a drummer of 韻シスト
I am currently working at an event company, a music publisher.
Please call me Kuuma!
My Favorite 肩書きは、
「東京生まれHIPHOP育ち」「戦場カメラマン」
あと「クリエイティブディレクター」には憧れと尊敬の念を持っている。

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