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好きなこと、苦手になったことと

将棋が好きだ。小学校低学年のころから将棋教室に通うようになり、今は大学進学を機にネット将棋はたまに指す程度だが一応長く続いている趣味だ。
なんとなく将棋は自分の性に合っているような気がしている。コミュニケーションが不得意で臆病でも、盤上なら自由である。とても楽しいものである。
ただ、自分は昔将棋が苦手だった。嫌いではなかったが苦手だった。息苦しく将棋をしていたように思う。少しそれを考えたい。

自分の地元は将棋が盛んだった。毎年プロ棋士が五、六人くらいは来ていたし、将棋大会は最低でも月一回は開催していたし、地元紙が大会の協賛に入ってそれなりの商品が準備されてもいた。よくいる将棋少年・少女の例に漏れず祖父の持つ将棋盤に興味を抱き将棋を始めた自分は、そんな将棋が盛んな街の子ども将棋教室に通うようになった。母が運転する車で送迎してもらう土曜午後二時~四時の教室は楽しいものだった。最初は良かった。駒の動かし方を覚え、戦法を覚え、祖父に勝てるようになり、大会に出てまずまずの成績を取ったり。あるいは仲の良い友人もでき将棋のことや将棋以外のことを話したり。
ただ、一年か二年くらい経つとやがて伸び悩む。仲の良い友人は棋力が伸びる。
そして母に送迎してもらう時間が段々と苦しくなっていった。

「今日はどうだったの?」

その一言がただ辛かった。負けたと言うと、理由を言うように諭してくる。勝ったと言うと驕らないように諭してくる。それがただ苦しかった。今振り返って考えれば、それが母なりの指導だったのだろう。子供に自省を促すための母なりの努力だったのだろう。ただ、そのやり方は自分には確実に逆効果だった。いつしか自分は将棋に負けるたびに、母親に何を言われるかばかり考えてしまうようになった。
別にただ勝ったら褒めてくれるだけでよかった。負けたら慰めてほしかった。あるいは、何も言わないほうがずっと良かった。負けた悔しさに勝手に介入されるのが我慢ならなかった。
将棋大会で敗北した午後、母親に電話して負けたことを告げ迎えに来てもらう時間が嫌だった。早い時間に呼べば『反省』を促されるから最後まで会場に残って、会場撤収の片付けを手伝ったりして時間を潰そうとした。そして一時間か二時間くらいかけて歩いて帰ろうとした。

そうしていつしか自分は将棋から遠のいた。大会に出ても全く勝ち進めなくなった。将棋の勉強をすることが親に強制されていることになってしまってきていた。そんなこと本当につまらなかった。
断っておくと、自分の母親は悪い人ではない。ただ、母自身が子供時代に随分と苦労し、そして私が長男ということもあり子育てに不慣れだったりとしたのだろう。何より、こんな私のような子供は扱いにくかっただろう。その点では母親に充分同情できる。いざ産んで育ててみたら随分と嫌なガキだったのだから。
話を戻すと、私は高校時代にはほぼ将棋をやらなくなっていた。極々たまにネット将棋を指す程度だった。そのままの状態でやがて今いる大学に進学するため引っ越して現在に至る。今住む地域は地元のように将棋が盛んと言うこともなさそうで、将棋に関しては何もない生活だ。一応、一度将棋サークルには入ったが棋力がバラバラな中で将棋をすることに面白みを感じれなかったし、別のサークルが忙しくなって全く行かなくなった。多分退会扱いになっているはずだ。

しかし、最近妙に将棋が楽しい。将棋と言っても先述したようにネット将棋しかできてないが、なんだか前に感じたような息苦しさがない。それもそのはずだった。ただ自発的に指す将棋は当然楽しい。このことに気づき私は喜んだ。将棋を楽しいと思うことがただ純粋に嬉しい。そう気づくと、どんどんと将棋が指したくなる。テレビで見るプロの対局は面白い。大げさでもなんでもなく世界の楽しみ方を一つ再発見できた。

結局私は将棋が好きだ。駒を盤に出すときの音や駒がパチリとする音、負けた悔しさも勝った喜びも逆転するときの快感も全部好きだ。願わくばもっと緩く気持ちよく将棋を指せる空間が欲しいなと思う。将棋、指したいです。

取り留めも何もないですがこんなところです。将棋は楽しいですよ。スキです。

#将棋がスキ

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