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ゲーム中毒とメタバース『世界2.0』を読んで

小学生の頃、ゲームのやり過ぎが原因で入院した。

発売当時、子どもたちの間で爆発的人気となった任天堂ゲームウォッチ。
お年玉でようやく手に入れてから2週間後のある日、プレイ中に片目が閉じなくなった。顔面神経痛だった。

地元の医療機関では治療する術がなく、遠方の病院で手術を受けることになり、手術前検査のために事前入院となった。

小児病棟の同室の子たちは、院内学級に通っているような、長期入院の子ばかり。どんな病気か想像もつかなかったけれど、母親も付き添って宿泊していたり、夜間苦しそうにしている子もいた。

それに対して、ゲームのやり過ぎという自業自得なアホ過ぎる理由で病気になり、痛くも苦しくもないのに、手術待ちのためだけにベッドを占拠している自分。
その時の病室の情景と何とも言えない複雑な感情を、今でもありありと思い出せる。

病気はなぜか手術予定日の3日前に自然に治り、退院できた。
何とも不思議な体験で、まるで「ゲームやり過ぎるなよ」という天からの戒めのようだった。

それで懲りて、その後続々と発売されブームになったファミコンその他のテレビゲームにそこまで夢中になることはなかった。

それにしても、3x4㎝位しかない白黒ビットの小さな画面に、操作もキャラを左右に動かすだけの単調さ。
あのゲーム機にどうしてそこまで没入したのか、自分でもずっと謎だった。

佐藤航陽さんの著作『世界2.0』を読みながらメタバースについて考えていた時、あのゲームウォッチは自分にとってはメタバースへの入口だったんじゃないか?という気がしてきた。

メタバースとの類似点の一つは、完全に自分だけの空間なこと。
もう一つは、自分の手で何かを思い通りに動かせるという全能感。

ゲームウォッチのディスプレイは、後にはワイド化されたり2面になったり進化していったけれど、初期タイプは画面が小さすぎて誰かのプレイをのぞき見ることは難しかった。
視界域がものすごく狭いが故に他者の視線が排除され、VRゴーグルのように自分だけに見える世界だった。
そのせいで没入しやすかったのかもしれない。

その意味では、スマホもゲームウォッチに似ている。

パソコンやテレビゲームは脇から誰かに覗き見られる可能性があるけれど、スマホはやはり画面の小ささ故に他の誰かに見られることを想定していない。
スマホは一緒に過ごす時間も長いし、パソコンよりずっとパーソナルで、自分の思考域、脳内ワールドに近い印象だ。

電車の中で、友達が隣にいるのに会話せずにお互い別々のスマホ画面を眺めている光景も、今となっては見慣れたものになってしまった。
私たちはすでにメタバースに住んでいるのかもしれない。


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