県大会打率は驚異の6割超 高みを見据えバットを振り続けた「孤高のサムライ」前田智徳 「紙面を彩った火の国球児たち」第4弾

  熊本県は多くのプロ野球選手を輩出する「野球王国」です。熊本日日新聞社には、プロで活躍した選手たちの高校時代の活躍を伝えた紙面、写真がたくさん残っています。

  その高校時代の軌跡をスマートフォンやパソコンで手軽に楽しんでもらう「紙面を彩った火の国球児たち」シリーズ。第1弾「秋山幸二&伊東勤編」、第2弾「野田浩司編」、第3弾「川上哲治編」に続く第4弾は、プロ通算2千本安打を達成するなど1990~2000年代に球界屈指の左バッターとして活躍し、「孤高のサムライ」と称された元広島カープの前田智徳さん(47)を取り上げました。

第71回全国高校野球選手権の開幕前公式練習で打席に立つ前田智徳選手=1989年8月4日、甲子園球場


 熊本工高時代、夏・春合わせて計3回の甲子園に出場した活躍ぶりを、当時の熊日紙面や写真とともに、前田さんのインタビュー(2018年12月6日、熊日本社にて)、恩師やチームメートの話を交えてお伝えします。前田さんのサイン色紙プレゼントのお知らせもあります=敬称略、年齢等は2018年12月28日時点(デジタルセンター・渡辺直樹)

高校時代の活躍を報じた熊日紙面のコピーを手にする前田智徳さん=2018年12月6日、熊日本社

―インデックス―

【プロローグ】誰よりも遅くまで居残り練習 周囲が異様に感じた没頭ぶり

【伝説その1】1年生で1人、夏の県大会ベンチ入り 注目の初打席は?

【伝説その2】1年秋から中軸 2年続けて夏の県大会決勝でホームラン

【伝説その3】3年夏の県大会は打率6割超 準々以降の3試合は8割超

【伝説その4】甲子園決めた一打 「ライト前ヒット」と思った打球の行方

【伝説その5】記者は「???」 甲子園で勝利、2安打3打点にもぶ然 

【伝説その6】プロで自信にもつながった自己流の練習

【伝説その7】一心に「芯で捉える」 練習試合は竹製バットで

【伝説その8】恩師の挑発 「スカウトはお前を見にきたんじゃない」

【伝説その9】予期せぬ主将指名 伝統校の重圧…どう行動

【伝説その10】「孤高」「近寄り難い」 本人の受け止めは

【エピローグ】プロや甲子園目指す球児へ 「練習で喜び感じて」

ーサイン色紙プレゼントのお知らせ 


【プロローグ】遅くまで居残り練習 周囲が異様に感じた没頭ぶり 

 熊本市中央区、熊本県庁から東へ1キロ。「東バイパス」と呼ばれる大動脈の国道57号沿いに、前田智徳の母校、熊本工高がある。

 春・夏合わせて甲子園に41回出場した超名門。プロ野球で活躍したOBには、川上哲治、吉原正喜、緒方耕一、井上真二(いずれも元巨人)、後藤次男(元阪神)、伊東勤(元西武)、荒木雅博(元中日)、山森雅文(元阪急)、塩崎真(元オリックス)ら、そうそうたる顔ぶれが並ぶ。

 敷地の東側にある野球グラウンドは両翼99メートル。県内外の強豪校との練習試合にも使われる。

ホームベース後方から見た熊本工グラウンド=2018年12月14日、熊本市中央区

 1塁側のネット裏に掲げられている石板には、歴代の甲子園出場メンバーの名が刻まれ、伝統校の重みを感じさせる。そこには夏・春計3回出場した前田の名前も、もちろんある。

熊本工の野球グラウンド1塁側ネット裏に掲げられた甲子園出場メンバー名が刻まれた石板。下は前田智徳3年時の1989年夏の甲子園出場メンバー

 このグラウンドで、前田の「定位置」と呼ばれていたのは、バックネット前だ。

 全体練習が終わると、前田はバックネットに向かい、ひたすらティー打撃に没頭したという。 

 同じ学年のマネジャーで、現在は地場大手建設会社の丸昭建設専務である久本博孝(46)=熊本市在住=は、「他の選手と雰囲気が違っていた」と話す。「気持ちの入れ込み方が半端じゃなかった。ティーだからと気を抜くことなく、一球一球に集中。一球うまくバットで捉えられなかっただけで、『クソッ』と異常なほど悔しがる。そんな選手いますか? みんな近寄り難かった」

バックネットの1塁側から見た熊本工グラウンド。前田智徳が左側のネットに向かって毎夜、ティー打撃に没頭した=2018年12月14日

 全体練習が終わるのが午後8時ごろ。居残りで個人練習をする選手も多かったが、それも9時ごろまで。前田は、いつも10時ごろまで練習を続けていた。当時の野球部長で、現在は熊本学園大の入学アドバイザーを務める田爪正和(71)は、「前田がいつも最後。練習熱心はいいけど、手伝う部員も、われわれも帰宅できない。よく『お願いだから帰ってくれよ』と言っていました」と振り返る。

 野球漬けの一日は、グラウンドを出た後も続いた。玉名市岱明町出身の前田は高校時代、熊本市中央区新屋敷で下宿生活。夕食後は近くの公園で素振りをするのが日課だった。何度か前田の部屋に泊まった久本は「朝3時ごろ目を覚ますと前田の姿がない。外に出てみたら、公園で素振りしていた。どれだけ振れば気がすむのかと驚いた」と語る。

 前田の姿勢について、久本は「納得できないことがあったら、納得いくまで続けた」、田爪も「頭で考えたことを、体でできるようする、という強い意志を感じた」と話す。

 

【伝説その1】1年生で1人、夏の県大会ベンチ入り 注目の初打席は?

 前田智徳は、岱明中(玉名市)で本格的に野球を始め、1987(昭和62)年春に熊本工高へ進んだ。野球部には県内各地のトップレベルの選手が集まり、1年生部員だけで当初は約90人いた。【「前田智徳 伝説その1~その10」を続けてお楽しみください。200円。「note」の会員登録が必要です。】 

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県大会打率は驚異の6割超 高みを見据えバットを振り続けた「孤高のサムライ」前田智徳 「紙面を彩った火の国球児たち」第4弾

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