「親の顔が見たい」と言われたこと。(#一駅ぶんのおどろき )

※本記事は、カドブン×note ショートストーリー投稿コンテスト「#一駅ぶんのおどろき」への参加のため、2017年9月9日に投稿した記事に加筆修正して再投稿しています。すでにお読みいただいた方は、どうぞスルーで。笑

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「この子の親の顔が見たいねんけど、この子の親ってどこ?」

声の主を探すと、若い男性。その人のそばに立っていたのは私の長男だった。何か失礼なことをしたのだろうか。謝りに行かなくてはと慌てて立ち上がり、その人のところに駆け寄った。


それは、長男が11歳、次男が6歳のころだっただろうか。夏休みも終盤。ちょうど24時間テレビが放映されていた日だ。

仕事を通じて知り合った人から、「自宅の庭でバーベキューをするから」と招待され、子どもを連れて参加させてもらうことにした。

30人ほどの参加者の中で、招待してくれた人以外は全員初対面。ひどく人見知りの私は子どもと一緒にすみっこでおとなしくしていたが、ほかにも子ども連れの人がいて、子ども同士はすぐに仲良くなって遊びはじめた。

最初はポツンとお酒を飲んでいた私も、声をかけてくれた人たちとおしゃべりをするうち、段々と場になじんでいく。

お酒もたくさん飲み、食べ物もほとんどなくなり、そろそろおひらきかなと。「この子の親の顔が見たい」の言葉を聞いたのは、そんなときだった。

私はその男性に近寄り、謝罪モード全開で話しかけた。

「あの、この子の親です。すいません。何かありましたか」。

すると、思ってもみない言葉が返ってきた。

「いやいや。違うんですよ。この子が本当にいい子でね。僕はもうすぐ結婚するんですけど、親になる自信がないんです。どうしたらこんないい子に育てられるのか教えてほしいんですよ」。

……え? 

私は、しばし言葉を失った。

聞けば、主催者の人がスイカを切ったところ、長男が率先して配るのを手伝っていたとのこと。しかも黙ってではなく、一人ひとりに話しかけながら勧めていたのだとか。

ああ、長男らしい。

私はじわじわとうれしくなり、涙が出そうになってしまった。

親しい人に言われた言葉なら、お世辞もあるだろうけれど、全く知らない人に言われたこと。そして、「いい子」だと思うだけではなく、私を探してまでその気持ちを伝えてくれたことが本当にうれしかった。

これは、元夫との別居から1年ぐらい経ったころのできごと。

「私がこの子たちを育てていかなければ」「母子家庭だから、子どもがだめなんだと言われないようにしなければ」と、思い切り気負っていた時期でもある。

勝手な解釈だが、「大丈夫。十分いい子に育ってるよ」と言ってもらえたような気がした。

あれからもう10年以上。その人も、今はきっといいお父さんになっていることだろう。

名前も知らない人だけど、ありがとうと言えたらな。孤独に子育てをしていた私にとっては宝物のような言葉であり、この十数年、私を支えてくれた大切な言葉だから。