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できることで、生きていく。

「やりたいことより、できることを選んだ」。これは予備校講師の林修先生の言葉だ。

今年1月に放映されたテレビ番組で、林先生が高学歴ニートに講義をするという企画があった。高学歴ながら、「やりたい仕事しかしたくない」という考えからニートになってしまったという生徒たちに、林先生は「やりたいことは偶然」「できることは必然」だと語る。

たとえばゲーム関連の仕事がしたいという人に対して、100年前に生まれていたら、その考えはなかったはずであり、今やりたいと思っていることは偶然の中から生まれているという話をされていた。

林先生自身は塾講師の仕事は好きではなく、他の仕事に就いたけれど、周りから求められるのは塾講師の仕事ばかり。執筆の依頼も多く、書きたくない勉強に関する本は売れるけれど、自分が好きで書いた本は売れなかったそうだ。

「好きなことで、生きていく」。YouTubeのキャッチコピーにある生き方が幸せなのかも知れないけれど、「やりたいことより、できることを選んだ」という林先生の言葉を聞いたときには、ちょっとホッとするものがあった。

私自身、本当に携わりたかったのは、広告のデザインの仕事だった。けれども家庭の事情もあってデザインを学ぶ学校には行かせてもらえず、泣く泣く就職。それでも広告の仕事がしたくて、「日本語なら誰でも書けるっしょ!」ぐらいの気持ちでコピーライター養成講座に通い、とりあえず広告業界に潜り込むことには成功。

あまり得意ではない文章を書くという仕事に就いた。最初は、とにかくコピーライターとして広告に携わっていれば、いつかデザインに携われる日がくるかも知れないと思っていたものの、気がつけばコピー以外も含め、文章を書いて数十年。

きっと、それが自分に「できること」だったのだろう。

今では文章を書くことも好きになったけれど、「ほんとはデザインやりたかってんけどな」と思うことは多い。往生際が悪いな。だからこそ、林先生の言葉に救われたような気持ちになったのだ。

次男はこの春、大学に入学したものの、特にやりたい仕事はないという。

それでも、中学・高校時代から友達に勉強を教えてほしいと言われることが多く、高校の先生からは志望校に合格できなかったら、別の大学で教育を学んでみたらと勧められていた。通っていた塾の代表からも、大学生になったら個別の授業を担当してほしいと言われていたし。

自分がやりたい、やりたくないにかかわらず、彼には「教える」ことが「できること」なのかとも思ったりする。今のところ、教員免許を取るつもりはないようだが、アルバイトで塾での指導にあたるとのこと。

昨日、ふと次男の机を見たら、中学生の時に書いて貼ったと思われる付箋がそのままになっていた。書かれている言葉は、「歩く教科書となれ」。なんだか、今まさに歩く教科書になろうとしていて笑ってしまう。「できること」は、もう中学のときに決まっていたのかも知れない。笑