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世界史の旅人が見つめる「JAPAN's WAY」

みなさんこんにちは。わっきーのようなわっきーです_(:3」z)_
今回はふとした思い付きのようでもあり、随分前から考え続けてきたようなものでもある、自分なりに思う『JAPAN's WAY』とは?というお話です。

事前にお断りしておきますが、あくまでも個人的な所感ですので、「オレはこう思いますがみなさんはどうでしょうか??」という感じで目を通して頂けたら幸いです。

で、せっかくですのでサッカーよりも歴史への関わりが軸の人間ですので、歴史を遡ってみればこういうこともあったよね、こういう考え方もできるかもね、という風にお伝えできたらいいのにな笑

という訳で、いってみましょう_(:3」z)_


<理想と現実の間のグレーゾーン>
いきなりゲームモデルの話で恐縮ですが、かつて書籍では「ゲームモデルとは理想のサッカーの設計図」のように定義してみたものの、その後色々と考えたり整理したりあれこれしたりを繰り返す内に、これは「理想と現実を接続するためのもの」なのではと考えるに至っております。

ただ、これはそもそも論として「ゲームモデルが包括する範囲とは?」「て言うかそもそもゲームモデルって何なのよ??」のような話にもなっていくので、今回はそこは一旦橫に置いておきます。ここでポイントとなるのが「理想と現実の間のグレーゾーン」という部分です。ここ、テストに出ま・・・せんが、後ほどまた登場予定です。

さて、そもそも一体オレは歴史を持ちだして何を語ろうとしているのかというと、昨今サッカー業界では(全体で見れば実は一部でしか無いのかも知れませんが・・)海外からもたらされた様々な情報が氾濫し、その扱いに皆さんが苦慮されているようにも思います(ゲームモデルというものを広めたくせに何を!!と思われた方はその拳を下ろしてください・・)。その様子を眺めながら、そういえばよく似たような状況が歴史上にもあったよなぁと思い至ったわけです。


<そしていきなり清王朝へ>
時は遡ること百数十年、中国では清王朝が西欧列強の進出に苛まれていました。詳細は割愛しますが、アヘン戦争、アロー戦争と次から次に頭を抱える事態が押し寄せていました。そのような中、西欧列強との力の差をまざまざと見せつけられた清王朝では、自分たちにも変化(近代化)が必要であると考えるようになります。この動きが「洋務運動」と呼ばれます。

そして、そこで掲げられたのが『中体西用』という考え方です。これは、要約すれば「中国の伝統的な思想・文化・学問・制度等は西欧列強に比べても優れている(中華思想)。なので、これらを変えること無くまずは土台とする(中体)。劣っているのは軍事面での技術・装備のみなので、それらだけ取り入れれば大丈夫(西用)」という感じになります。

こうして清王朝ではヨーロッパの先進的な技術や物質的要素だけを取り入れる形で改革を試みます。結果は大失敗でした。なぜでしょう??

運悪くなのか、これも天命なのかは分かりませんが、不幸なことに時の権力の中心にあったのはかの悪名高き西太后でした。それゆえにある意味人災のような印象もぬぐえないのですが、それ以上にここで起きたことを少し詳細に分析しておきましょう。(ちなみに、ここからの言説・図示は神野正史先生の書籍内の記述を引用もしくは参考にさせて頂きます)


『そもそも、それぞれの国家の悠久の「歴史・伝統(下部構造)」の中から「制度・学問・思想」などという文化(中部構造)が生まれ、そして、その中から「システム・技術(上部構造)」などが生まれてきます。つまり、この3つはそれぞれ複雑な噛み合わせで密着しており、切っても切り離せない「三位一体」の関係にあります。都合良く、上部構造だけ「切り貼り」というわけにはいきません。』

『たとえば、軍艦1つ動かすにせよ、近代用兵を実行するにせよ(上部構造)、これには「義務教育と議会制度に裏付けられた、一定レベルの教養と愛国心を持つ国民兵(中部構造)が存在しなければ機能しません。つまり、軍事改革の前提として、社会改革・教育改革・行政改革が必須なのに、中国はそれに一切手を付けず(中体)、軍艦や重火器だけ仕入れよう(西用)としているわけです。』

いかがでしょうか?イメージは掴めますか??さすがに図を転載するわけにはいかないので、アップルペンシルで震えながら描いたものを載せておきますが、さて、参考になるのでしょうか??

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もう一つ神野先生が例え話として挙げられていたのが、『それぞれのパソコン(下部構造)には、かならずOS(中部構造)が搭載されていて、そのOS専用のソフト(上部構造)がインストールされています。「Windows」搭載パソコンに「Mac用ソフト」をインストールできないのと同じように、中部構造の上に、異なる文化圏の上部構造を載せることはできないのです。』というものです。

このあたりの話を今日本において起きている(ように思われる)現象に置き換えてみると、色々と示唆的なように思う次第です。ですが、そうだとすると異なる文化圏からもたらされるものは受容できないと言うことなのか?というとそうでもありません。ちょうど清王朝が苦しんでいた頃、世界的にも珍しく、この受容に成功した国がありました。

それが「日本」です。


<日本において何が起きたのか>
日本では1867年の明治時代の幕開け以降、「明治維新」と呼ばれる近代化を推し進めることとなりました。その中でスローガンとされたのが「和魂洋才」という考え方です。これは、かつてから用いられていた「和魂漢才」という考え方をもじったものですが、要は「日本人の伝統・文化・価値観・風習・精神などを尊重しつつ、西洋先進文物を調和的に取り入れる」というものでした。

先ほどのアヤシい図で説明すると、「下部構造」と「上部構造」の接着剤の役割をしている「中部構造」を二重構造とし、その下側は「和魂」上側は「洋才」として両者をマッチさせるようにした、という感じになります。とは言え、これは簡単な作業ではなく、日本に倣えとアジア諸国が試みますが、結局成功したのは日本だけでした。

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その理由はおそらく、古来より近隣に「中国」という大国を置き、そこを「師」と位置付けながらも従属はせず、独自性は守り抜いてきたその歴史的歩みにあったのだろうと思います。かたや清王朝では最後まで歴史の中で貫き通した「中華思想」から脱却できず、自らの身を滅ぼしてしまいました。


<本当のJAPAN's WAYを探して>
さて、ここまで歴史を振り返る形で進めてきましたが、なんとなく言いたいことが伝わってきたでしょうか??我々の目の前にはそれぞれの「現実」が存在します。それをサッカーにまつわるものと限定してみても、日々の活動であったりワールドカップで日本代表が、という話であったりと、中身は様々あるでしょう。では「理想」とは何でしょう??これも言ってしまえば人それぞれに様々だとは思いますが、ここでは少し具体的に、日本サッカーのこれからというあたりで話を閉じていきたいと思います。

分かりやすく、「ワールドカップで日本がいつか優勝を」という目標を最大の理想と位置付けたとしましょう。そうすると、おのずとこれを実現するには「日本が世界の国々と勝負が出来る」というレベルに到達することが求められます。この時、日本サッカー界(主語が大きいのはご容赦下さい。あくまでも一例としてです)が成すべきことはなんだろう?と考えた時に、優れている(と思われる)海外サッカーの知見を「そのまま持ちこむ」ことではないのは先の事例でお分かり頂けたかと思います。

かつての明治維新の成功に倣うのであれば、中部構造となる部分にこそ手をかけていくべきだという考え方になるかと思います。ただし、ここではそれが具体的にこうすることだ、という話までは踏み込みません。今回皆さんにお伝えしたいのは、いわゆる「現象論」のような形で表層的な部分を追いかけてしまうのではなく、その下の階層にある「原則論」のような部分に目を向けながら、さらにその下に連綿と受け継がれてきた「日本として」という土台を否定すること無く、より発展的にいわゆる「おいしいとこ取り」のようなカスタマイズが出来ないでしょうかね?ということです。

最初に表現した「理想と現実の間のグレーゾーン」というのはまさにここかなと。また、これはきっともっとミクロにもマクロにも当てはまるでしょうし、それこそサッカーに限らずあらゆる場面で起こりうることだとも思います。ですので、「そんなこと分かってるよ」と思われるとは思いますが、いかんせん教師という職業柄、ついついおせっかいをやいてしまう訳です。

最後に、歴史から学ぶという視座から、この話をお伝えして終わろうと思います。

世界的にもレアなケースとなった明治維新、その成功は当時の世界に衝撃を与えます。そこには本当の意味でのJAPAN's WAYのヒントがあると思っています。しかし・・・
その奇跡的な成功ですら必要とした時間はおよそ「30年」です。現在の社会情勢になぞらえた時に、全く同じ時間軸で考えることが妥当とは思いませんが、とても意味のある数字だとも思います。

さらに

清王朝ではその後も混乱、衰退が続き、ついに日清戦争にも敗れた後、再び近代化運動が起こりました。それが「変法自強運動」と呼ばれるものです。この改革の先頭に立った人物が「康有為」ですが、彼は時の皇帝にこう言い放ちます。

「ヨーロッパ諸国は近代化に300年、日本は30年かかりました。我々はこれを3年で成し遂げてみせましょう」

明らかに現実を見極めることが出来ず、理想に全振りしたような言葉です。ちなみにこの改革、3ヶ月で頓挫しました・・・


<おわりに>
今回は歴史から学べることはないですかね?という感じで色々と紹介してみましたがいかがだったでしょう??少しでも自らのことに置き換えたりしながら考えてみるきっかけにでもなれば幸いです。あと、今回のような図をキレイに作るにはどうしたらいいか教えてください_(:3」z)_

次回はどうだろう・・「ゲームモデルとは余白を整理するもの」という話でも書きましょうかね笑

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