"【大童 澄瞳・石黒正数】マンガ家トーク!【対談】"を聞いた話。よかったよ〜

こんにちは!くまゑです。今回はYoutubeで5/18に配信されたばかりのコンテンツをホットにお届けします。
是非聴いてほしい放送ですが、以下、トーク参加者お二人の簡単な紹介のあとに大なり小なりネタバレ的な部分を含んだ感想を書きます。

フレッシュに聞きたい!という方は、ぜひ直下のリンクから本編をお聞きください。

※今回のnoteは無料かつ現行配信のコンテンツの紹介ということで、「既に聞かれている方」を主な対象に、振り返りや客観的な補足などを加えつつ紹介する内容となっています。

【大童 澄瞳・石黒正数】マンガ家トーク!【対談】

現役漫画家ふたりが漫画製作について赤裸々にトークする3時間超。
いくつかのテーマを掘り下げてその場で話し合う形で、ふたりの人物像や、それぞれの作品がどのように作られてきたのかの一端を知ることが出来ました。

チャンネルの主催【大童澄瞳】先生はデビュー作「映像研には手を出すな!」がメガヒット中。作品紹介させていただきました。

対談相手の【石黒正数】先生は「天国大魔境」が同じくメガヒット中。他にも「それでも町は廻っている」「木曜日のフルット」などの代表作があります。個人的にめちゃくちゃ好きな短編、「外天楼」の作品紹介をさせていただきました。

今回の対談は「ハイスコアガール」「ジーニアース」などでお馴染み、【押切蓮介】先生の希望、推薦によるものだったそうです。お三方とも方向性が近しいというか「こわだり」の気質の部分を作品に昇華させている先生方ですね。

(「ハイスコアガールCONTINUE」は「ハイスコアガール」の加筆修正リニューアル版です。)

今回のトークテーマの一部は
「中堅作家になるには」
「ドラえもん、のび太と鉄人兵団」
「手塚治虫の影響」
「中性/無性別性の描き方」
などでした。それぞれの話が交錯する部分もあるので紹介の時系列が前後しますが、ご了承ください。

「中堅作家になるには」の段落では、「誰もが認知する販売数千万部クラス」を大作家とし、「ある程度全般に認知されてる作家」を中堅作家とした場合に、「その一歩手前」という自覚のある大童先生自身が「中堅作家」にランクアップするためにはどうしたら良いのか、という質問を石黒先生に向けるところから始まります。

「漫画好きの間では周知されている」という要件を、大童先生は既に満たしていると話す石黒先生。
動画でも紹介したように既に「映像研」はアニメ化、映画化もされている程ですから、僕もそう思います。
やはりメディアミックスによる認知度の向上は大きいものがあります。

石黒先生本人は「それ町」の7巻ごろからそうした中堅的な感覚がついてきたそうです。発行年を確認すると2010年ですから、前年に週刊少年チャンピオンにて「木曜日のフルット」がはじまって週刊+月刊体制になって「単一作に依らない継続的な漫画の生産体制を取り始めた」ことも影響していたのでしょうか。
動画で紹介した「外天楼」もこの時期に季刊的に連載されています。石黒先生、筆速いんですよね。

対して大童先生はアニメ化決定の前後で半年ほどの休載をされており、このあたりの話も「映像研」の浅草氏、金森氏の性質説明を用いつつ掘り下げていきました。

「良い作品」、「良い商品」そして「良い作家」、もちろん人としての「良い生活」まで。それぞれ違います。自分は何を考え、目指しているのかを自覚する範疇で言語化していってくれました。ここは最終盤でも再び話題にあがります。

(多少はあったかもしれませんが)二人とも相手に対して「こうすべき」というような類の断定口調は用いず、しっかりと理解しあえるように、互いのスタンスを認めながら話を進めていたのも特徴的でした。

その中での話に、「SFというものについて」の流れがありました。

大童先生も石黒先生も、良い意味で「SF」に取り憑かれている側の作家です。さらにこの「SF」を「サイエンス・フィクション」として表現するだけではなく、藤子・F・不二雄先生が言うところの「すこしふしぎ」"日常に潜む少しの非日常"として描くことも積極的に取り入れています。

(名作「ミノタウルスの皿」が掲載されている「SF・異色短編集 1」は石黒先生の漫画的なルーツを知る上でも良い一冊ではないでしょうか。)



具体的には(もちろん浅草氏のキャラクター性が"モロ"にそうですが)「映像研」では映画でのテーマにもなった「ロボ研」とのやりとりや、「それ町」でも沢山のSFへの想いが描かれたエピソードがあります。一要素(エッセンス)としての取り込み方が似ているように思います。

「外天楼」は直球ストレートにSF作品です。


「それ町」の中でも特に「べちこ焼き回」(70話)は「SF回」として評判の回で、大童先生もその話を振ります。僕も「石黒先生らしい話」で「SF部分とキャラクター物語の配分の妙」がとても好き話なのですが、石黒先生はそんなに気に入っている話ではないと、その理由とともに話されていました。
「なるほどな〜」と感心しましたが、もちろんべちこ焼き回は好きなままです。

また宮﨑駿監督による「風の谷のナウシカ」あるいは「天空の城ラピュタ」で示されたロボティクスなSF表現に憧れていた大童先生は、「ポニョ」や「風立ちぬ」などではそのあたりがメインにフォーカスされることはなく、歯痒かったようです。

藤子・F・不二雄先生ファンを以前から公言している石黒正数先生も、ドラえもん映画のなかでも特に評価の高い「のび太と鉄人兵団」をテーマに、SF論(というか鉄人兵団論)を繰り広げます。(現在はTELASAで配信中のようです。)


今回の配信は全体的に2人ともやわらかい口調や表現で(それでいてしっかりと熱い)やりとりが進むなか、「鉄人兵団はみんな観ているものとして話します」など、ここの段落だけやけに石黒先生が「強い口調」で、大童先生も「出た、オタク(笑)」などと笑いながら突っ込んでいます。
鉄人兵団についてはこれまでもピンポイントで度々名前を挙げているようで、本当に好きなんだな〜。

※石黒先生が「好きなものを話す」というコンテンツでは、AKIRAにまつわるレビューインタビューも秀逸です。

既に何十回と観ている石黒先生が、新型のテレビで、最新のリマスターで、改めて「AKIRA」を観たことの感想をインタビュー形式で話す。というもので、かなり掘り下げて話しをされています。

自身の作品でも1コマごと1シーンごとに大切なことを忍ばせる石黒先生のこだわりは、大友克洋先生にも由来していたと感心したものです。大友先生、藤子・F・不二雄先生の2人は石黒先生の作品観を掘り下げる上で外せない要素ですね。

逆に、今回の配信では「通ってこなかった」漫画家の名前も挙がりました。好きなものの話ですすむインタビューが多いので、こういうのフリートークな感じで楽しいですね。
そしてなんとその「通ってこなかった」漫画家は、かの手塚治虫先生とのこと。(全く読んだことがないレベルではないらしい)

そんな石黒先生、最近機会があって手塚作品を読み始めようとしているらしいです。その機会についての話も、大童先生が「そういうこと、あるある!」といった反応を示されていて、僕も聞いていて「ありそ〜!」と思いつつ、その上で石黒先生が手塚先生に馴染みがないというのは意外でした。

手塚先生の「鉄腕アトム」、「どろろ」や「ブラックジャック」などで表現される「人あらず者が持つ価値観」や「死生観」などは結構ダイレクトに同じジャンル、同じ方向性を持っているというイメージでした。

もちろん「影響を受けていない」というような言い方ではなく、子孫的な樹形図として、「手塚先生の影響を受けた作家の影響を受けている」と自認しています。これは大なり小なり、現代のクリエイター全員が抱える要素ですね。
(例えば「人あらず者」は、藤子・F・不二雄先生も得意としたジャンルです。)

公開当時、名前を挙げられた作家からの「自分もそうだったんだ」とやや皮肉を込められたコメントなどが物議をかもした「DEVILMAN crybaby」の「デビルマンの系譜」などもデビルマン(DEVILMAN crybayby製作陣)からみたときの直接的あるいは間接的な影響力の流れの変形樹形図です。

そもそもこれは「全てはデビルマンから始まった」というものではなく、この系譜の中にさえも「デビルマンに影響を強く与えた作品」として「デビルマン」と同じ永井豪先生による「魔王ダンテ」や、石森章太郎先生の「サイボーグ009 天使編/神々の闘い編」も記載されています。

そしてこの「強く影響を受けたもの(作家、作品、事象)」というのは個人で違いますし、時代で違います。

今年45歳の石黒先生、今年30歳の大童先生。15歳差です。

影響を受けた作品が全く違うわけでも、全て同じもののわけでもありません。「鉄人兵団」からその他の「ドラえもん」の映画シリーズにも話が及びましたが、石黒先生がドラえもんを「見ていない時期」と大童先生が「見始めた時期」の重なりなどについても、面白い話でした。

前回書いた「スーパー戦隊シリーズ」などの特撮もそうですが、「多感な幼少期に見る」ことが重要視される作品群は、作品の内容と同じくらい「自分がいくつのときに見たのか」というのも大きい要素のようです。

年の話に伴い、大童先生の「マイナーとされてる作品ばかり読んでしまうことの悩み」の石黒先生なりの是非の結論も笑いつつも納得しました。
そもそも良い作品を読み解くというのには知識や気力、体力が必要という前提があります。

良い作品と呼ばれる作品も種類は沢山あるわけですが、「情報量が多い」ものを読み解くのはもちろん、「斬新なもの」「バランスが良いもの」はそれが「他と比べてどうか」の対比的・知識的な判断も必要ですし、「感動的なもの」も自分の心を動かすには実は気力も体力もある程度必要なわけです。

読む力の要らない「読みやすい」ことばかりが良い作品の指標ではありません。もちろん「読みやすい」がないがしろにされた方が良いとも思いませんが、ものを書(描)く人は「良い作品」と「読みやすい」のバランスは気になる点だと思います。

(このnoteも読みやすいと良いなと思って書き進めていますが、普段より大分「聞いたときの生の感情」を優先して執筆しています。)

「読みやすい/読みづらい」そして「書きやすい/書きづらい」の部分で、「キャラクターの性別的(中性性/無性別性)な表現」についても時間をかけて話が膨らみました。
ここもフリートークならではの話の進み方で、下手な取り上げ方は齟齬が生じやすいと思うのでおおざっぱなものになりますが、大童先生も石黒先生も「古典的とされる女性表現」をあえて避けています。いわゆる「意識が高い」という(だけの)話ではなく、作者自身の興味の有無も含めて、赤裸々トークとなっています。

「天国大魔境」の要素に明確にこの「性別とは何か」がありますし、「映像研」でなぜメインキャラが女性「のみ」なのかも話されています。

ここの表現や考え方はクリエイターでなくとも、「性別とは何か」を問い問われる現代を過ごす人たちなら思うところがある段落ではないでしょうか。

※「性的嗜好」のことを「性癖(セイヘキ)」と誤用されるようになって久しいですが、それを誤用と受け入れた上でスラング的に「性的嗜好」を含めた「嗜好全般」を「癖(ヘキ)」と呼ぶの、その理由は全然配信中では触れられていないんですが、今時だなと感じました。

序盤で話していた「中堅作家」の掘り下げも中盤で改めてありました。改めての大童先生からの「中堅作家とはなんぞや」に対する石黒先生の「押切蓮介」という回答からは「やっぱり仲良いんだなあ」ということが強く伝わります。(このタイミングで配信を聞いていた押切蓮介先生も「難しいな」と動画にコメントされています。)

他にも多少の具体例もありましたが、「名前出しにくいけど、出さないと話が進まない」ということでしたので、こちらもぜひ本編でお楽しみください。

その上で「目標」についての話も広がりました。大童先生は「押切先生や石黒先生のようになりたい」と話し、石黒先生は「映像研のインパクトは既に俺を超えている」と返します。このあたりは「客観的にどうか」というよりも、当事者がどう感じているのかのところが大きいところでしょうか。

石黒先生の「大童先生は話していて20代と思えない」の返しに、「落語家は若く見えない方が良い」と大童先生が即答するやりとりがあるんですが、大童先生、もしかして落語家なのか...?(これも浅草氏の人物造詣から見てとれるように、落語が大好きなのは周知としたもの。)

このやりとりで石黒先生が「20代でしか書けなかった青い作品」と表現した「ネムルバカ」。良い意味で「先生らしくない」なと思える部分と「めちゃくちゃ先生らしい」基軸となる部分が混在する作品です。お勧め作品です。

「ネムルバカ 1.5巻」「キル光線のモデル」などを譲り受ける約束から、「天国大魔境」「映像研」に共通する「SF要素」に再び話は戻り、今度は概念というよりも「キル光線」をはじめとした具体的なオブジェクトについての解説、解釈になります。「ちょっと使いづらいカッコイイ武器はSFファンの憧れ!」って感じですね。

一例として大童先生が挙げた「GEAR戦士 電童」はいわゆる少年バディ物としての評価が非常に高く、ゲームシリーズ「スーパーロボット大戦」でも数作登場していますが、電池ギミックが活用された原作のイメージを保つために「エネルギー残量によって威力が変わる必殺技」を固有の特性として所有しており、使い勝手の独特な機体となっています。(スパロボオタクコメント)

石黒先生の原体験の一つ「勇者ライディーン」もスーパーロボットの1つとして評価が高く、のちに「超者ライディーン」などのリメイクが作られているほどです。こちらは「スーパーロボット大戦」頻出のシリーズで、特に「α」での「トップをねらえ!」とのクロスオーバーの認知度が高いでしょうか。(スパロボオタクコメント2)

一通りの原体験トークを終え、話は再び「良い作品」、「売れる商品」、「人としての生活」とはそれぞれなんぞやに戻ります。

石黒先生は漫画家の始動時期として原稿料と印税のタイミングが不定期なこともあり、かかる納税の大きさなどに苦しんだ時期もあったそうです。「今思い出しても辛い」と語り、大童先生も「そこで消えていった才能も多いんじゃないか」と応えます。

直近でも、芸人の麒麟の川島さん・かまいたちの山内さんが好きな漫画の話をする動画「川島・山内のマンガ沼」で、「東独にいた」を描く宮下暁先生へのインタビューでも、サラリーマンを退職して漫画家を目指した宮下先生の初動時期の財政についての話がありました。みんな気になるところのようですね。

以降は比較的日常的なやりとりが続きますが、2人が共通の好きな芸人の話として伊集院光さんのエピソードも膨らみます。テレビのイメージが強い人は深夜ラジオのイメージがないかもしれませんが、深夜ラジオのトークは良い意味で「オチまで整えられたオタク落語」的な要素が強く、「2人とも好きそう~」というものです。聞いたことない方はradikoのタイムフリー配信などで最新回を是非聴いてみてください。

伊集院さんは元々落語家で三遊亭円楽師匠のもとで修業していた時期もあり、昨年には二人で「二人会」と称した落語会を開催しています。

「2人の好きなもの」として最後に、そして今回の配信の機会を作った張本人である押切先生の話でしめくくられます。特に石黒先生は「作家」としても「人」としても自身と押切先生は似すぎている部分があるということを「ドラゴンボール」の「神様とピッコロ大魔王」を例に話をします。(二人は元々同一人物で、「どちらかが死ねばもう片方も死ぬ」レベルで、命を共にする。)誰かと自分が「神とピッコロかのよう」とまで思えるの、単に仲が良い以上に互いを理解し合う関係性ですね。

というわけで、大ボリューム3時間超の音声配信。無声になったりグダることもなく、2人の楽しい話がめいっぱいの内容となりました。

大童先生、石黒先生、そして押切先生方!ありがとうございました。


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