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17歳の日記  -1980/01-

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マガジン『17歳の日記』では、1980年に夫が書いた日記に妻が読んだ感想と挿絵を添えた絵日記を更新しています。誤字脱字は原文ママに、人名・地名を仮名に変更しています。
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#恋愛

1980/01/10 私には我慢しかないButでも

マガジン『17歳の日記』では、1980年に夫が書いた日記に妻が読んだ感想と挿絵を添えた絵日記を更新しています。 昨日はあまり良い日では なかったようですが・・・ 今日も「うらやましい」、 「無理でしょう」等、 チラホラ見えますが badな1日に なってしまうのでしょうか? 1月10日(土)晴 今日は、朝から土曜日という気がしなかった。 なぜなら席替えをしたので、なんとなく月曜日という気がした。 今度の席はまあまあである。 塩野が持って来たゲームは、むずかしい。

1980/01/11 私にも彼女ができていたとして

マガジン『17歳の日記』では、1980年に夫が書いた日記に妻が読んだ感想と挿絵を添えた絵日記を更新しています。 昨日は「じっと我慢の子・・・」 だったようですが、 今日は意味深なタイトルです。 今も昔も変わらない、女の子に対する 男心が素直につづられてます。 1月11日(日)曇 時々 雪 朝、寝坊をしてしまい、8:15頃学校に着いた。 7:00(定刻)頃に来たタケシには大変悪いと思っている。大東は以外とうまい。最初のうちはそうでもなかったが、最後の方になって、つく

1980/01/14 あの顔はどういう意味があったのか

1980年に夫のクマちゃんが書いた日記を、2018年に妻が読んだときの感想とあわせて更新しています。(経緯はこちらから。) 昨日の日記では、実力テスト一色でしたが 今日は、常に気にしている南さんが登場します。 1月14日(水)雪 とうとう 皆勤賞がダメになってしまった。 7:45 家を出てみると、ゆっくりと走っているバスの後ろ姿が見えた。定刻より2分も早いし雪も降っていて遅れるはずだから、一本前の山上通だろうと思っていた。 しかしその考えが甘かった。そのバスが古川行

1980/01/17 気持ちとは反対のことばかりする

1980年に夫が書いた日記を、2018年に妻が読んだときの感想とあわせて更新しています。(経緯はこちらから。) 昨日の日記では、かなり心の声が 綴られていましたが、今日の日記でも 女の子のことも含めてやはり本音が・・・ 1月17日(土)晴 カオスの以外な?秘密を知った。林村さんがカオスを好きなのような行動を示しているというのである。 タケシやミコトやカキちゃんがいる教室でカオスだけに声を掛けてクッキーをあげたというのである。しかしは私はこれは以外と思い過ごしではないか

1980/01/19  私の後方1mには彼女が座っているのに、そのようなことを言って欲しくなかった。

1980年に夫が書いた日記を、2018年に妻が読んだときの感想とあわせて更新しています。(経緯はこちらから。) 昨日の日記はほとんどバレーの話題でしたが、 今日は・・・? 1月19日(月) 今日、三年のカリキュラムの選択の用紙を持っていくのをを忘れてしまった。 そのことを、一時間目の放課(休み時間)ハギジーの所まで伝えにいったら、以外や以外「明日までに持って来いよ」という返事にビックリした。黒板には帰って持って来いというような事が書いてあったのに、よほど朝から気分がよ

1980/01/20 もし言っていたら、本当のミジメ賞になってしまっていたでしょう。

1980年に夫が書いた日記を、2018年に妻が読んだときの感想とあわせて更新しています。(経緯はこちらから。) 昨日は部活や授業の事もでてきましたが、 今日の日記では複雑な男女の関係が・・・ 1月20日(火)晴   ナント、正久が昔 アノコを好きだったのである。 今日は、バレー部がなくなったので、教室にもどって来てタケシやカオスたちといると、今日は火曜日なので私はみじめなのだが、南さんと正久が一緒に帰っていった。まあそのことは事実なのだからしょうがない。それから1時間ぐ

1980/01/20 そのような話題から1つだけ取り残されていたのである。非常にくやしい。

1980年に夫が書いた日記を、2018年に妻が読んだときの感想とあわせて更新しています。(経緯はこちらから。) 1月20日は思いがあふれすぎて、 長くなったため2つに分かれています。 この回は1月20日vol.2になります。 やはり恋愛のことは一大事ですね。 1月20日(火)晴  しかし、このような難しい関係が出来て、苦しんでいて、最終的にはトレードが成立し4人の間が丸く収まるように話しができていたとは・・・本当に知らなかった。私の存在など何一つ関係ないのである。だか

1980/01/22 げた箱へ帰ったら、ナント南さんがいるではないか。

1980年に夫が書いた日記を、2018年に妻が読んだときの感想とあわせて更新しています。(経緯はこちらから。) 今日はバレー部の様子と、 おなじみになってきた南さんの話題です。 1月22日(木) やはり、昨日休んだことがいけない様子である。だれも口を聞いてくれないし、パスもやってくれないし、川崎は2度ボールをぶつけてきた。まあしょうがない。そのような時は耐えるだけである。草野をできることならバレー部に戻さなければ・・・。 高田のことは依然として進展せず。 帰り、教室

1980/01/24   二人が分かれて南さんと私が付き合えばと思うこともある。

1980年に夫が書いた日記を、2018年に妻が読んだときの考察とあわせて更新しています。(経緯はこちらから。) 今日の日記は恋愛のモヤモヤです。 1月24日(土)雨 久しぶりに正久と2人だけでバスにのって、 料金改定のことについて話し合いながら教室までやってきた。 するとタケシとカオスが急に私を呼ぶではないか。 どうせまたカオスの事だろうと思っていたら、 ナント南さんと正久の事である。 金曜日なのに、二人で帰らないで、南さんが一人で外を見ながら、 廊下で泣いていた