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「○○することに決めている」って言う人への憧れ

何気なくしている会話の中で、とある著名人のインタビューの中で、ふと気になって一度立ち止まってしまう言葉。「○○することに決めている。」

これって、みんな持っているものなのでしょうか?

私、実はそういうことがないんです。何も決めていない。朝起きてすることも、会社に着いたらすることも、寝る前にすることも、何も決めていません。もしかしたら、いつも一緒のことをしているかもしれませんが、特に決めてやっていることや、マイルールはないんです。

だから、すごく憧れます。「○○することに決めている」っていうものがある人。

そこには、意志があるから。「こうした方が、自分が心地いいよ、調子いいよ」って、自分のことを分かっている気がするから。または、自分を分かっていて、そんな自分を律している気がするから。

そして、何も決めていることがない自分をよくよく見つめ直してみると、なんとふわふわ感覚だけで生きてきたな…と思うのです。

日常の業務レベルだと、仕事でも、例えばすごくやらなければいけないことが多い時、私は「大変だ〜、とりあえず、終電までにやれるところまでやろう。」ってやるタイプ。対して同僚は、この仕事にはこれだけの時間がかかるから、このペース配分でやればこれくらいで終わるな…みたいに仕事をしています。

これは「○○決めている案件」とはちょっとずれてしまうかもしれないけれど、でも、自己流のルールがきちんとあることや、理論的に考えられることが、なんだかすごく立派なことに感じます。その反面、何のルールもない(あるいは自覚していない)自分が恥ずかしくもなるわけです。

そして、現在真っ最中の、個人的「働き方改革」において、このふわふわな私に危機感を覚えてきました。30代にもなって、何がやりたいか分からないのです。いや、正確には、なんでやりたいのか分からないのです。

私は、実は本格的な就職活動の経験がなく、自己分析という物をせずに今まで来ました。ずっと、クリエイティブ系に携わりたい、文章を書くことが好きだから、そういう方面もいいなって漠然と考えてきました。「好きだ」って言う気持ちは本物だと思うのですが、なぜだ?と聞かれた時、わからないのです。

「好きだ」という気持ちだけでここまでこられたのも悪いことではないと思うけど、自分の主観的な感情だけを意識してきて、そこのもうちょっと深い部分との会話を避けてきたように思います。

本は読むのですが、それも自分の中の深いところまで落とし込んだりせず、なんと言うか、もったいないインプットをしているのではないかと。

昔、とあるインタビュー番組で、クリエイターの方が言っていたことが印象的でした。

「俺、ずっと自分のことエースだと思ってたけど、本当はジョーカーだったんだよね」

これって、すごい、自分の中で天地がひっくり返るくらいの発見で、でも、それに気づいた後はきっと、もっと生きやすくなっただろうな…と。そして、なんとなく、私にもそんな体験が待っているのかもしれないという予感が生じた言葉でもありました。

自分のことを一番分かっているのは自分でいたい。これからちょっとずつ、自分の深い部分と会話しながら、自己分析をしていこうかなと、就職活動中の大学生のように考えている日曜日の夜です。

そして、何事もルールに縛られるのは窮屈だけどでも、前向きな「○○に決めている案件」は、ちょっとずつ作っていきたいなと思います。


※写真はひらともやさんのもの。ねこが物思いにふけっているような姿と今日のテキストを重ねあわせて…。河川敷と鉄橋っていいですよね。そして、やっぱりねこが好きです。



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