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工芸に息を吹き込むのは、五感をつかった体験じゃないか

ストーリーとかよりも。

中川木工芸の中川さんと開化堂の八木さんが工房を訪れて、いろんな工芸の職人さんと対話をしていく工房トークを
よかったらご一緒しませんか、とお声がけいただいて
えぇって舞い上がったりしながら
なんてありがたいんだって、何も持ってない私は必死でついていったりしているわけで。

工房トーク、工芸思考について思うところはまた書くことにして(これはまた改めて書きたい)

工房トーク第一回目を開催して、いろんな示唆を貰ったのだけど(これもまた雑でもメモ書きしたい)
https://www.facebook.com/events/541117889796914/
感覚的に思ったことは、

江戸時代では生活になくてはならないような、和ろうそく、とか、木桶、とか、茶筒などいまはもう
現代の生活必需品ではなくなっているけど

生活必需品ではなくなった工芸を生き残らせる・輝かせるのは、
五感をつかった体験なんじゃないかって。

工芸品はアートと違って、鑑賞するものでもアーティストの個を主張するものでもない。なぜならもともと生活に根ざしていた道具だから。
価値をつくり、ニーズをつくるには五感が介在する道具としての体験が大切になる。ストーリーを伝えるよりももっと直感的で、生々しい。

例えば、限定で発売された
開化堂のワイヤレススピーカー「響筒」
https://kaikado-blog.blogspot.com/2019/10/blog-post.html
茶筒をすっと開けると、手にも伝わる感触で音が広がって、茶筒が閉まるとスッと音が消える。もう五感なわけ。触感と聴覚とそして見目麗しい感じと、香りが広がるような錯覚と。

そしてまた大西常商店の扇骨をつかったルームフレグランス「かざ」とか
http://www.ohnishitune.com/news/13563/
(「これは当たると思うてたし、売れた」と京扇子の大西さんが言ってた)これも見目麗しさと、匂いと。

ひとが作用してはじめて輝きを放つというか、そういう品と人とのインタラクティブ性がね、痺れる。五感を刺激するプロダクツが、工芸なのだと思う。

で、逆に、
昔の必需品だけど生き残れていない物との差ってなんなんだろなと考えるわけで。
必需品じゃなくなったけど価値を高く評価されるものと、生き残れないものの違いは、何でしょう。
道具としての意味をまったく成さなくなったもの?かなぁ。見た目も関係ある?

※ご興味がありましたら、工芸思考はこちら。
https://www.facebook.com/%E5%B7%A5%E8%8A%B8%E6%80%9D%E8%80%83-102419684508358/?ref=br_rs

お時間いただきありがとうございます。