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お札のはなし1

キャッシュレスの世の中、紙幣は徐々に使われなくなっています。withコロナの時代はますますキャッシュレス化が進むものと思われます。

紙幣をただの紙だと思う人は少ないでしょうが(笑)ある耐久性のある紙に複雑な印刷をし、国に住む全員がそれをお金と呼び、価値の交換を可能にするものが「この紙である」と認識することによってただの紙はお札となるわけです。周りくどいけど、まあそういうことです。

お札研究家ではなく、ラディカルに素材として使うというのも1つのコンセプトなので(もちろん博物学的な興味もあるけれど)その全員の認識を破壊し、紙として色とか模様とか紙質とかを判断の材料として使用する。十分に「紙のヘンタイ」を自認していますが、常に圧迫感、罪悪感が伴います。

法律的にどうなのか、という問題は次回に書くとして、興味深いスピンオフエピソードを書くことにします。モンゴルの古いお札を貼っているとき、糊のような作用のあるメディウムを使用しているのですが、それには水分があります。つまりお札を少し濡らすことになるわけですが、なんと作業していたら羊肉の香りが立ち上ってきたのです。

お札は、たくさんの人の手を渡るものなので、市場や料理屋で手についた微量なものが付着するわけです。そしてその国独特の匂いになる…ということ。なんだか感慨深いです。そしてコロナの状況ではそういうものが使われない方向に行くのは当然のことかもしれないとまた別の感慨も持ちます。

これは昨日立ち寄ってくれた若者と作品について色々話しているうちに思い出したエピソードです。やはり対面で人と話すというのは心に多方面から影響を与えるし、そういう余白に実りが多いということを実感しました。

さて本題の3日目のレジデンスの作業は、緻密組の標本みたいな作品の最後の4つの制作風景をインスタ@art.ogikumikoに上げました(タイムラプス)そして放埒組は並べては少し手を加え、というのを繰り返しています。

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