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テツヅキ

自動車免許の更新に来ている。2年ぶりにこの街に来てまた2年間来ないのだろうと思うと感慨深い。

試験を受けて良かったことなんてひとつもない。中学受験は合格したことを算数の先生に報告したら「まさかぁ」と笑われたし、英検漢検TOEIC大学受験教員採用試験SPIその全てにひとつも良かった思い出が伴わない。中でも一番最悪なのが自動車免許の試験だ。全部が嫌だった。まず、友人と免許合宿に行ったのに私だけ延泊になった。なんの思い入れもない土地に一人きりで毎日雨で、記憶を失うほど情けなかったし、実技試験ではエンストした車と救急車に挟まれて縁石にタイヤを擦って落ちたし、仮免許を取った後も解答欄が一つずつずれていたから35点だった。何かの間違いかと思った。あの時の衝撃も記憶がないのであんまり思い出せない。試験に向いてない。

でも自動車免許の更新は大好きと言って差し支えない。手続きが好きだ。明確でわかりやすくて、せっかちな私にぴったりな最短コースが用意されていて、それを粛々とこなすことが求められている。気持ちが良い。手続きの国の入国パスポートを手に入れるべく自動受付機にならぶ。どうでも良いのだけれど、鞄も携帯も持たず、本も読んでいない中年のおじさんは行列にならんでいる時に何を考えているんだろう。

せっかくなので、この巡礼の旅の仲間をつくることにした。パタゴニアと、ニッカポッカと、堀込だ。私の斜め前にならんでいる一番オーソドックスなパタゴニアのロゴの入ったTシャツを着た青年と、隣の列にならんでいる髪を脱色したニッカポッカを穿いた青年、あと私の三つ前の堀込だ。堀込はキリンジの誰かしらに多分似ている。途中、オレンジタオルのおじさんも仲間に入れてあげようかと思ったが、列が中々進まないことにイライラして舌打ちをしていたのでメンバーから外した。みんなで免許を手に入れるために頑張ろうね、と心の中で円陣を組む。

受付機の操作を最短で終えて、記入も問題なし。収入印紙もならんでるときからぴったりのお金を手元に用意して、私たち4人は付かず離れず粛々と列を進む。途中2列になったり3列になったり、フォーク並びをしたりしたけれど、誰ひとりとして欠けることなく免許に向かってひた進む。人選に狂いなし。オレンジタオルのおじさんははるか後方だ。おじさんが歯噛みをして地団駄を踏んでいるところを想像する。可哀想に。

雲行きが怪しくなってきた。おかしい。ニッカポッカの視力検査に時間がかかりすぎている。パタゴニアはもう隣の検査室を出た。ニッカポッカは私の前ので腰を屈めてもう2分経つ。そもそもはじめからニッカポッカの様子は変だった。検査機を覗き込みながら「これ、もう始まってます?」と言った辺りからもうおかしかった。ニッカポッカには、上下左右では回答できない謎の検査が課された。「お呼びしますので外で待っていてください」と言われて一旦外に出されるニッカポッカ。可哀想なニッカポッカ。「上、右、下、右、左」私の検査は30秒で終わった。検査室の外でうなだれているニッカポッカに一瞥を投げて先を急ぐ。ごめん、先行くね。早くパタゴニアに追い付かなくては。

本日最大のイベント写真撮影のブースが見えてきた。やっと追い付いたパタゴニアは設置してある鏡の前で執拗に前髪を気にしている。可愛い奴め。パタゴニアのロゴの入った背中しか見えない。前から見たい。パタゴニアはどんな顔で映るのが適切だと思ってるんだろう。免許センターの写真を撮る人はハイチーズの瞬間を絶対に教えてくれない。口角をもう少し上げようかな、と思ったときにはもうシャッターがきられている。今回もどうせ仏頂面だ。

あとはもう、講習が終われば免許がもらえる。長い道のりだった。途中で仲間を失なったり、収入印紙をびしょびしょにしすぎたりもしたが、中々良い旅路だった。みんな、良く頑張ったね。講習室にパタゴニアの姿はなかった。私とパタゴニアの差について考える。なんだろう。何が私とパタゴニアを割いたんだ。こんなにずっと一緒だったのに。

パタゴニアを失なった悲しみにくれながら喫煙所に行く。喫煙所の灰皿には「入れ墨が入っていても献血できます」と張り紙がしてある。死んだパタゴニアを想う。よかったね、パタゴニア!できるって、献血。パタゴニアの肘の辺りにモヤモヤした入れ墨が入っていたことを思い出す。入れ墨の免罪符としての献血。美々しい。隣の灰皿を見るといまならなんとハーゲンダッツがもらえるらしいことがわかった。俄然興味が湧いてくる。

2時間も人の話をじっと聞くのは久しぶりで楽しく、もらったテキストの挿し絵にヒゲを描いて遊ぶのも久しぶりで楽しいので講習はあっという間に終わってしまった。休憩時間に机に突っ伏して寝てしまい、気づかないうちに講義が再開しているのも懐かしかった。

いよいよ免許が交付される。鉄仮面みたいな自分の顔が印字されているとわかっていても楽しみだ。個人情報保護のため、名前で呼び出されるのではなく、誕生日の下1桁の若い順から前に取りに行く仕組みだ。こういうところが好きなんだ。なんて効率的なんだろう。「お誕生日の日付、下1桁が1の方は前に来てください」とアナウンスされる。私はまだしばらく先だな、と思っておとなしく待っていると見覚えのある背中が、座っている私を追い越した。パタゴニアだ。パタゴニア!そこにいたのか!正面から君を見たことがなかったから気がつかなかった!私の後ろに。そうか。元気そうだ。良かった。パタゴニアが講習室を出るとき一瞬こちらを見た気がした。私と一緒にこんなところまで来てくれて、ありがとう。またどこかで。そんな気持ちだ。

もらった免許はやっぱり気にくわない。元公務員の工作員と言う感じがある。長所そろばん、趣味はガーデニングと替え玉受験です。まあ二年後には変わるし、あまり気にしすぎないようにしよう。免許センターの自動ドアを出たところで、堀込のことをすっかり忘れていたことを思い出す。堀込にはあれ以来会わなかったな。堀込は、免許を受け取れただろうか。あの重そうな目蓋を何度も擦りながら講習を最後まで受けたんだろうか。堀込も「まずは映画を見ていただきます」の言葉に一瞬はしゃいだりしたんだろうか。堀込。

免許センターからの帰り道、キリンジを画像検索してみて堀込がどこにも居ないことに気づく。どの時代のキリンジにもいない。私の坊ちゃん刈り真ん中分けメガネの概念が大きく揺らぐ。なんてこった。

じゃあ、私と旅をしていた堀込は、一体誰だったんだ???

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