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#38一度、死んでみたらいいんじゃない


「来た……」
6月のはじめ。
わたしの中に、それは訪れた。

来たもの。
それは、創作の始まりの一文。
長く脳内で探り、消し、また探っても見つからずに手放し、いつか訪れたら書こうと思っていたものが、6月の頭に不意に訪れたのだ。

わたしは、来たものを逃したくなかった。
来た、と思ったその後に「書きたい」という衝動に呑み込まれるのを知っていたから。
しかも、2週間後に締め切りの文学賞があると知り、書きたい欲は一気にあがった。

けれど、翌日から仕事が始まる。
新しく、お寺で働くことが決まっていたのだ。
それは、わたしが望んだもので、未知の世界での仕事は、ひどく楽しみでもあった。

しかし、まだ白紙の物語を、2週間で書ききるには、仕事をしていては間に合わない。
一応、母でもあるから、家でもそれなりに仕事もある。

仕方ない。とにかく、仕事しながら書こう。
それで間に合わないなら、それが縁だし、間に合ったところで、その作品が賞をとれるかは、未知数。というか、宝くじに当たるか当たらないかの確率だしな……。

そう思いながら、翌日、わたしはお寺へ向かった。

見るもの、触れるものが初めての中、やはり頑張ろう、ちゃんと、ひとつひとつ丁寧に仕事を覚えよう。それでも書こう。っていうか、疲れてても、書ききろう。
そう思っていた矢先、住職が言った。

「実は、貴女を雇用した後に、若い坊さんを預かることが決まり、初めに契約した勤務時間の確保が難しくなりました。それでも良ければ働いて下さって構わないのですが、どうなさいます?」と。

これって……オブラートに包まれながらのクビ宣告? でも、実際その坊さんの話は他のスタッフから聞いてたし……、もしかしてわたしの願いが通じた? と、いかにも住職の問いに真剣に考えを巡らせているように見せながら、わたしは別の問答を胸中でした後、
「では、せっかくですが、今日でおいとまさせていただきます……」
と、神妙な顔つきで応えた。

顔つきで、と書いたが、実際、残念な気分もあったのは事実だった。
けれどそれ以上に、目の前に出現した書く時間に、胸中では、書ける!という喜びが渦巻いていた。

その後、思いがけず住職と座談に入り、人生のあれやこれやを話す時間へ。

「子どもの頃より、自己や自我よりも寺、という世界で育ってきているので、今でも自己や自我より寺の名が先立つんです」
「(まじっすか!!! 」わたしは、自我の塊です……」
「そうだろうね。書く人はきっと」
「でもわたし、今、自我を手放したいという思いが芽生えてきているです……」

そんなことをつらつらと話す間に、わたしの現状を全て話したわけでもないのに、やはり、数々の修行を積んでこられた方らしい洞察力で、住職はわたしに必要な言葉を向けてくれた。

「一度、死んでみたらいいよ」
と。
「死ぬつもりで全てを手放したら、見えてくるものがある」
と。
「全てを手放すのは、怖いけどね」
と。

その言葉を聞きながら、わたしは思っていた。
「ああ、この言葉を聞くために、わたしはここに来たのだ」と。

じわるわたしに、ひるむ住職。
そのピュアな姿に笑いだしたわたしは、住職の目に、情緒不安定な中年女として映っただろう。
けれど、そんなことはどうでも良かった。少し前まで知らなかった方と、心を開いて言葉を交わせたことの喜びの方が大きかったから。

「今度、座禅会に来るといいよ」 
と笑顔を見せる住職に、
「はい、必ず」
と、言って寺を後にしながら、そういえば、知人に寺で働くと伝えたときに、
「宗派は?」
と訊ねられたけど、答えられなかったな……と思い、表札を見れば「臨済宗」とあった。

調べてみれば、1月に訪れた京都の建仁寺と、5月に訪れた京都の天龍寺と、同じ臨済宗であることが分かり(それすら、その時に知ったけれど)、あれ、この文字見たことあるな……と鞄から本を取り出せば、本に出ている、細川和尚が龍雲寺住職で、横田老師は円覚寺派管長、作家の玄侑宗久氏も、妙心寺派福聚寺の御子息で、天龍寺で修業をされ、現、福聚寺住職で、みな臨済宗!(その中でも、細かく別れるらしいけど……もう、わからん)

偶然の一致に「わーっ」「えーっ」と、ひとり感激しながら帰宅したのでした。

 

 


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