議論できるとき、できないときとその結果についての話

少し前に、Twitterでちょっと揉めたことがあった。

知り合いの女性が初めてのフィリピンに行っていたのだけど、「フィリピンは東南アジアで一番アジアらしくて楽しい」とつぶやいていて。

私はフィリピンは東南アジアの中で一番アジアらしくない(というか無理やり西洋化された)とつねづね思っていたので、それを見て頭のなかが???となって、理由を知りたくて、どうしてそう思うのか訊いたのだ。

しかしその理由にもピンとこなくて(例えば「タイと違ってサイアムパラゴンやFacebookのようなものに毒されてない」と言われたけど、グリーンベルトやフォートボニファシオは十分サイアムパラゴン的だし、フィリピン人はFacebook大好きだし)2回くらいやりとりしたけど、誤解とまでは言わないけど反証の余地が充分ある内容で、

でも多分その人はそういうやり取りが好きじゃないだろうなと感じていたので自分のタイムラインで引き続き考察していたら、
それを『エアリプで攻撃された』『フィリピンに詳しいからってマウンティングをしてきた』として認識し、激怒していた事がわかり、(自分のフォロワーと私の悪口をやりとりしてところまでは見た)

せっかくの旅を楽しんでいるところに余計なことを言って台無しにしてしまったことは非常に申し訳ないと思うし、それについては謝ったのだけど、その翌日も私に対してイラついていて、私の方は別に『エアリプで攻撃』も『マウンティング』もしてないし(字面を見たときびっくりした…。)、そんな仮想敵に対する怒りまで引き取る理由も私にはなかったので、縁としてはそのままになってしまった。(私のTLにその人の表アカウントも裏アカウントも一切流れてこなくなったので、多分ブロックされたんじゃないかと思うけど、確認してません)

その出来事では私もわりと傷ついたので、
親しい(または親しくなりかけてた)と思っていたのは私だけだったのか…とか、自分が詳しくないって自覚があるなら詳しい人の話に耳を傾けてもいいのになぜ怒りに…?とか、違う意見を述べただけでただのマウンティング(笑)とか言い出すのは酷いんじゃないかとか、色々と余計なことを書いてしまいそうなのだけど、
それは今回の主題とは少しずれるので、出来る限りやめておきたい。

ベトナムで働いている友人と話をしていた時のことを思い出した。

その友人は「自分は本当はホーチミンのような文化のないところではなく、シンガポールのような文化があるところが好き」といって、私は頭のなかが???になったのだった。
ここまでは今回と同じだと思う。

私の中では、ベトナムは『何度か侵略されたし、中国やフランスに文化支配もされたけど、自国の文化を守り、なおかつ外との融合を経て発展させている国』だったし、シンガポールは私の中では『移民国家でご飯もほぼ中華+マレーなただの人工汐留エリア』みたいな印象で(シンガポールが好きな方すみません)少なくとも自国の文化があるような認識はなかったので、びっくりしたのだった。

なので理由を聞いてみたのだけど、その友人は議論に耐えられる(むしろ好きな)タイプの人だったので、ともすると彼の感性を否定しているとも取られかねない私の質問(えっ私はシンガポールってむしろ文化がないイメージなんだけど、何でそう思うの?)にも前向きに答えてくれた。

その結果、『文化』という言葉の定義が違うことが判明した。
彼が言っているのは現代アートとかの話で。個展などもお金のないベトナムには来づらいけどお金のあるシンガポールには来るのだろう。アートの中でも時代の最先端、例えばN.Y.などで流行っているものに近いものに触れられるかとか、そういう話だったのだ。
私の考えていたのは民族が作り上げてきた固有の文化だった。

そこまで判明したらすっきりするし、別に片方が否定やマウンティングと感じる要素も何もないし、むしろ同じセンテンスで捉え方が正反対になるのって面白いなー、と面白さだけをお互い感じて終われる。

前述の事件は、多分、彼女の言う『アジアらしさ』、『アジア』という単語の持つ意味が私と違ったのだと思って、実際そこまでは分かったので、アジアらしいってどういうことですか?と掘り下げてみた(それもまた彼女にとっては不愉快だったみたいだ…)

返事は『貧しさ』ということだったのだけど、私はそこでは終われなくて、本当はもう少し深い掘り下げがしたかった。

だって貧しさで言えばラオスやカンボジア・ミャンマーのほうが貧しいし、
フィリピンの一般市民やスラムの貧しさは決して『国全体が貧しいけど頑張ろう!』みたいなものではなく、システム的に政治家や警察や財閥などの勝ち組層からがっつり搾取されているがゆえの貧しさなので(元ダバオ市長が大統領になることで少なくとも政治や警察の腐敗はなくなっていくことを期待するけど)決して「わあ!アジアらしい!」みたいな『面白さ』として取れるものでは私にとってはないし、
それを踏まえて、なぜラオスなどではなくフィリピンのほうがアジアらしい(彼女の言葉で言えば=貧しい)と思ったのか?というのをもっと訊いてみたかったし、
スペインとアメリカに長期間占領され、信仰を土着の宗教からキリスト教に変えられてしまい、今はバスケとファストフードが大好きな彼らの姿を、『アジアらしい』と捉える事と私の感性との相違点を、もっと掘り下げたかった。

もちろん上の段落で書いたような分量で、相手の同意もなく議論を始めたら(ふっかけたらともいう)非常にうざいであろうことはさすがの私でもわかるので、相手にはそれ以上返信することなく一人で考えていたのだけど(ツイッターに書いていたら在フィリピン歴の長い人が参加してきて、私の知らないこともあってそれはそれで面白かった)、まさかセルフ議論を「エアリプで攻撃している」ととられるなんて思ってなかったんだよ〜。

議論をする事の好き嫌いによるものかもしれないし、単にそれをできる親密さがなかった(にも関わらず踏み込んでしまった)のかもしれないし、色々と残念な出来事だったのだけれども、まあ仕方がない…。
人間観察としてはある意味、同じような出来事でも原因が分かってすっきりして面白いね!となる場合もあれば、激怒させて終わるみたいな違いもあって、私のアプローチは同じなので人によってここまで違いが出るのか、という事が面白いとも言えなくはない。そこまで言い切るにはちょっと、まだ私も豆腐メンタルですけど。

結構危ない地域に行かれていたみたいなので心配だったけど、旅慣れていそうな人だったから下手に心配したら失礼にとるかな?と思って声をかけるのを躊躇して、そんな自分を考え過ぎだと思っていたけど、今考えたらその気遣いの方向性は当たっていた気がする。
しかし触れてはいけないところに気を使いながら相手が気持ち良いように付き合うより、自然な行動が合うような人と友だちになっていくほうがお互いいいかもなあ。だったら、まあ、仕方ないのかな。


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