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愛でるもの

◇読了時間目安:約10分(5400字)◇

 あなたにとって、閉じ込めてしまいたいほど大切なものとはなんでしょう。珍しい蝶々、あの日拾った貝殻、それとも四葉のクローバー?

 残念ながら、わたしにはそんなものありませんでした。--ただ、ひとつだけ。花を閉じ込めてもらいました。とても美しい結晶に、瑞々しい花を。そして、そう、それが始まりだったのです。 

 あの時わたしは、両親の仕事の関係で見ず知らずの土地に1週間滞在することになりました。そこのお屋敷は前のお屋敷と比べものにならないほど小さく、さらにお手伝いさんや先生もいませんでした。わたしは幼心にも両親に何かよくないことが起きたのだということは理解しました。そのため、できるだけわがままは言わず、自分のことは自分でやるようにしておりました。

 1日目。近くに住んでいるという親戚のお友達が一緒に遊んでくれたけれど、鬼ごっこばかりさせられました。しかも、屋敷から出て少し歩いたところでわたしは突然肩をつきとばされ、鬼をするよう命じられるのです。わたしはイヤだなと思いながらも、その場にしゃがんで10秒数えます。するとどうでしょう。さっきまでいたお友達はわたしを置いて、みんなでどこかへ行ってしまいました。一生懸命探してもみつけることができません。代わりに、白く可愛いお花を見つけました。1輪だけ摘んでお洋服の胸ポケットに入れました。お友達はどれだけ探しても見つかりません。そうこうしているうちに、辺りは暗くなってくるし、「そろそろ屋敷に帰らなくては」と思いました。しかし、一生懸命探し歩いているうちに、道に迷ってしまったようです。見ず知らずの土地で1人、屋敷を探し回るうちに、ポケットの白い花はすっかりくたびれてしまったのです。

 その時はどうやって屋敷に着いたのか覚えていません。しかし、お屋敷に着くと、お母様に頬をはたかれ、ポケットに入れていた花も捨てられてしまいました。外から汚いものを持ち込んではいけないと言われたのです。わたしはとても悲しい気持ちになりましたが、ひとつ「こくん」と頷きました。

 2日目。今日は誰も来てくれませんでした。でも、「どうせ誰もいなくなるのだから1人で遊んでいるほうがいいわ」と思い、1人でお屋敷を出ました。この辺りにはいくつもお屋敷が建ち並んでいました。白や淡い黄色の壁、ブルーの壁など色とりどりでしたが、ところどころペンキがはげていたり、ポーチが抜けていたりして、わたしを悲しくさせました。そこでわたしはお屋敷が建ち並ぶ大通りから少し横道へと入り、森の方へと歩いて行きました。

 5分くらいたった頃でしょうか。いよいよ建物もなくなってきたので、引き返そうかと思っていたところに、ひとつの建物が現れました。このあたりにはめずらしく、ダークブラウンの落ち着いた雰囲気の建物でした。しかし、どうやら誰かのお屋敷という訳ではなさそうです。近づいてみると、そこには「close」という看板がかけられていました。何かのお店のようです。ガラスの扉越しに中を見渡してみると、1人の男の人が顕微鏡を覗きこんでいるのが見えました。わたしはそのままじっと見つめていると、その男の人がふと顔を上げ、目が合ってしまいました。わたしはなぜか「しまった」と思い、その場から逃げ出しましたが、すぐに後ろから声をかけられました。

「いらっしゃいませ」

わたしはおそるおそる振り向くと、そこにはさっきのお兄さんがいました。遠くから見るよりももっと優しそうです。

「いらっしゃいませ。どうぞ、中にお入り下さい」

わたしは思い切ってお店に入ってみることにしました。お店の中はとても狭く、4〜5人も入ればいっぱいになりそうです。カウンターを挟み、お兄さんと向かい合う形で座りました。

「ここは何のお店? お酒を出すところ?」

辺りを見回しながら聞きました。お酒を出すにしては、それらしきものは一切ありませんでした。カウンターの上には、さきほどお兄さんが覗いていた顕微鏡と透明なガラスのようなものがいくつか転がっているだけでした。

「いいえ。ここはお酒を出すところではありません。ここは、大切なものをこの結晶に閉じ込めてずっとずっと愛でることができるようにするお店ですよ」

わたしはお兄さんの言っている意味が分かりませんでした。

「そうですねぇ。たとえば、お花。お花はきれいですが、いつか枯れてしまいますね。しかし、この結晶に閉じ込めれば、花を枯れることなくこの結晶の中でずっと咲き続けることができるのです」

 わたしは、「なんて素敵なのだろう」と思いました。これなら、昨日の可哀想な花だって捨てられることがなかったかもしれないのに。そして、お兄さんにお願いをしました。

「ねぇ、わたしも閉じ込めてほしいものがあるの。明日持って・・・」

こうして、明日わたしはもう一度お店に来ることにしました。

 3日目。屋敷の近くに咲いている白く小さな花を持ってお店へ行き、その美しい結晶に閉じ込めてもらいました。その美しい結晶は透明なのに所々きらりと光ったり、角度によっては白っぽくも見えました。何よりもお花がその結晶の中で小さく呼吸をしているかのようで、とてもいじらしく、愛らしく、ずっと見ていても飽きませんでした。

 4日目。また親戚の子たちが来て、わたしは1人ぼっちにされました。どうせ仲間はずれにするのなら、わざわざ一緒に遊ばなくてもいいのにと思いながらも、やはり涙がこみあげてきたので、今日もまたあのお店に行くことにしました。

「ねぇ、いじわるなあの子たちを閉じ込めて欲しいわ」

わたしはお店に着くなり、お兄さんに真剣にお願いいたしました。けれどお兄さんはこう言いました。

「それはできません。ここには大切なものしか閉じ込めることが出来ないのです。大切なものを閉じ込めて、愛でてあげるためのものですから」

そうして、わたしの頬を伝う涙を人差し指で優しく拭ってくれたのです。

「代わりに、あなたの涙を閉じ込めましょう。あなたの涙はとっても美しいけれど、頬を伝うのはかなしいですからね。ここに閉じ込めて、愛でることにしよう」

わたしは大喜びしました。だって、もう悲しくて泣くのはイヤだったのです。こうしてわたしたちはわたしの涙を結晶に閉じ込めました。結晶に閉じ込められた涙は角度によって虹色になったり、見えなくなったりもしました。

「涙ってとってもきれいね」

わたしは結晶をライトにかざしながら言いました。

「それに、これでもう泣かなくていい」

何だか急に自分が強くなったような気持ちになりました。

「そうですね。あなたはもう泣かなくていいのです。その結晶はあなたが持っていてください」

お兄さんはそう言いながら、別の部屋から温かい紅茶を持って来てくれました。しかし、この結晶を家に持って帰ったことがお母様にばれてしまうと、きっとどこかへ捨てられてしまいます。こんなにきれいな結晶を捨てられてしまうと、きっとまたわたしは泣いてしまうと思いました。

「いいえ、これはお兄さんが持っていて。わたしのきらきらした涙。そしてたまにわたしにも見せて欲しいの」

わたしはお兄さんに結晶を差し出しました。お兄さんは少し考えたような顔をしましたが、すぐに、

「分かりました。それでは私がお預かりしておきましょう」

と言って、わたしの涙を受け取ってくれました。

 5日目。今日もまたお兄さんに会いにあのお店に行きました。あのお店はひんやりと冷たく、少しだけ黴のような匂いがしました。それはちょうど今のお屋敷と同じ匂いです。

「いらっしゃいませ」

お兄さんが顔を上げました。また顕微鏡で何かを見ていたようです。

「何を見ていたの?」

「今ちょうどあなたの涙を見ていたのですよ。顕微鏡で見ると奥の奥まで見ることができるのです」

そう言われてわたしは何か恥ずかしい気持ちと少しだけ嬉しい気持ちがして、照れ隠しに鼻歌を歌いました。

「素敵な歌声ですね」

お兄さんはそう言ってくれました。そんなことを言われたのは初めてだったので、やっぱりまたわたしは恥ずかしいやら嬉しいやらで俯いてしまいました。そしてふと思ったのです。

「歌声も閉じ込めること出来るの?」

「もちろんです。閉じ込めてみましょうか」

お兄さんはわたしの歌声を閉じ込めてくれました。歌声を閉じ込めた結晶は角度によってきらきらと光ったり、白っぽく見えるだけで、中には何も見えません。

わたしが少し不満そうにしていると、お兄さんはこう言ったのです。

「この結晶を耳にあててみてください」

そう言われ、わたしはそろそろと結晶を耳にあてました。すると、中から鈴が転がるようなころころとした歌声が聞こえて来ました。

「これがあなたの歌声です」

お兄さんはにっこりと微笑みながら言いました。

わたしは自分の声がこんなにも軽やかだったとは思いもしませんでした。そして「素敵」と言おうとして声が出ないことに気が付きました。

「あぁ、今あなたの声はここに閉じ込めているのであなたからは出ないのです。ただ、この結晶を割ってしまえばあなたのもとに声は戻るので安心してください」

お兄さんはそう言いました。「あぁ、よかった」と心で思ったけれど、「そうならば先に言ってくれればよかったのに」とも思ってしまいました。

その気持ちが表情に出てしまったのか、彼が少し申し訳なさそうに、

「どうしますか? もう割りますか?」

と結晶を片手で持ち、わたしに差し出しました。

わたしはお兄さんから結晶を受け取り、もう一度耳を押し当ててみました。今度は優しく、甘やかな声がしました。本当にこれがわたしの声なのだろうか。わたしはもっともっとわたしの声をこの結晶から聞いてみたくなりました。

お家に持って帰ろうかしら。

しかし、外から家に物を持ち込んだらまたお母様に怒られるかもしれない。そう思ったけれど、もっと聞いていたいという欲求には勝てませんでした。そこでわたしはお兄さんにこの結晶を持って帰っていいか聞こうと思ったのですが、どうそれを伝えればいいか分かりませんでした。「何か書くものがあればよいのだけれど」と思い、わたしは書く真似をしました。

「あぁ、そうでした。ごめんなさい」

お兄さんはそう言って紙と鉛筆をわたしてくれました。

(これお屋敷に持ってかえってもいい?)

お兄さんは少し考えてから、紙にこう書きました。

(どうぞ)

そして鉛筆を置いて微笑みました。わたしはお兄さんの置いた鉛筆をまた持ち、こう書きました。

(ありがとう。とても嬉しいです。ありがとうございます)

文字にした言葉は普段わたしが話しているそれとはまた異なった趣があり、とても新鮮でした。

 結局声を閉じ込めたままお屋敷に戻ったけれど、それに気付く人はいませんでした。わたしはベッドに入ってから、何度も何度も結晶を耳に当てて、自分の閉じ込められた声を聞き、うとうととし始めたら、念のため枕の下に隠して眠りに着きました。

 6日目。お屋敷には『遊びに行ってきます』と初めて書き置きをしました。特別な意味はなかったけれど、なんとなく文字になった自分の言葉を誰かに見せたかったからです。そうしてわたしはまたあのお店に行きました。気付けば、明日この土地から離れてしまうのです。そのため、今日はお兄さんにお別れを言わなくてはなりませんでした。お店に行くと、お兄さんの姿はありませんでした。けれど、いつもわたしが座っている席に鉛筆と紙が用意されていたのです。そこでわたしは紙に『こんにちは』と書いてみました。でもお兄さんの姿は見えません。お兄さんはどこに行ってしまったのだろう。わたしは紙にいろいろな言葉を書いたり、声の結晶を光にあてたりしながらお兄さんを待ちました。『今までありがとう』『さようなら』『結晶』『声』『言葉』

「おや、いらっしゃいませ。気が付きませんでした。すみません」

お兄さんが別の部屋からやって来ました。わたしは声を戻してもらおうとしましたが、それを伝えるには紙の余白が足りません。困ったと思っているとお兄さんが言いました。

「あなたは言葉も美しいですね」

そうして、わたしが紙いっぱいに書き連ねた言葉のひとつひとつを指で撫でました。わたしは自分の言葉が他の人とどう違うのかわかりませんでした。けれど、あなたの言葉は美しいと言われて、イヤな気持ちになるわけがありません。

「どうでしょうか。一度言葉も結晶に閉じ込めてみませんか?」

 わたしはまず声を戻して欲しいと思ったけれど、言葉の結晶を見てみたいという気持ちもありました。そのため、ひとつ「こくん」と頷いたのです。声は後で、言葉と一緒に戻してもらえばいいと思ったのです。それよりも、言葉を閉じ込めた結晶は一体どんなふうに輝くのか。言葉は結晶の中でどうその姿を見せるのか。言葉はどんな音を響かせるのか。「言葉の結晶を愛でることができるなんて」。わたしはとてもわくわくしました。「きっと言葉の結晶も美しいに決まっているわ」

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 しかし、言葉は閉じ込めても、愛でることはできませんでした。言葉を閉じ込めた結晶は光ることもなければ、何も映さず、何も響きませんでした。そうして少女は言葉を失ったのです。もしかしたら悲しかったかもしれません。けれど、涙も声も閉じ込めてしまったので、泣くことはできませんでした。そもそも少女は言葉を失ったので、考えることさえできないのかもしれません。彼女はただ、息をして、ゆっくりと老いていくのみの存在となりました。そう、私の隣りで。

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「愛でるもの|あとがき」



お読みいただき、ありがとうございます。もし気に入っていただければ、今後も遊びにいらしてください。よろしくお願いします。